弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

複数人で不法行為をした公務員が負う求償義務の範囲

1.公務員の個人責任

 公務員の場合、職務執行に関連して不法行為を犯しても、被害者から個人責任を追及されることはありません。このことは、過去、本ブログでも何度か説明させて頂いています。

パワハラ上司個人を訴えられるか?(公務員の場合) - 弁護士 師子角允彬のブログ

 しかし、公務員個人が何ら責任を負わないというと、そういうわけでもありません。

 国家賠償法1条2項は、

「前項の場合(国家賠償責任が発生する場合 括弧内筆者)において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。」

と規定しています。

 したがって、故意・重過失に基づいて国家賠償責任を発生させた公務員は、賠償義務を履行した国や地方公共団体から、損害賠償金の負担を求められることがあります。

 それでは、複数の公務員が国家賠償責任を発生させた場合、賠償義務を履行した国や地方公共団体は、どの範囲で各公務員に求償することができるのでしょうか?

 この問題には、二つの考え方があります。

 一つは、責任割合に応じて、各公務員の責任が分割されるという考え方です。例えば、A、B、C三名の公務員が、2対3対5の責任割合で共同不法行為を犯した場合、10の賠償義務を履行した国は、Aに対しては2の限度で、Bに対しては3の限度で、Cに対しては5の限度で求償権を行使できるとする考え方です。

 もう一つは、いずれの公務員に対しても、全額の求償が可能であるとする考え方です。この考え方に立つと、国は、A、B、Cいずれに対しても、10を求償することができます。10の求償義務を履行したAは、Bに対しては3の、Cに対しては5の負担を求めることができます。しかし、国との関係では、自分の責任割合が2しかないことを理由に、求償義務を免れることはできません。

 いずれの見解が正当であるかに関しては、長らく最高裁判例の存在しない状態が続いていました。しかし、近時、この論点についての判断を示した最高裁判決が言い渡されました。最三小判令2.7.14判例時報2465・2466-5です。

2.最三小判令2.7.14判例時報2465・2466-5

 本件は、教員採用試験に関してE、Fと共に不正行為を行ったA(大分県教育審議監)の求償義務の範囲が問題となった事件です。

 B夫婦から子どもを教員採用試験に合格させて欲しいと依頼を受けたAは、E、Fらとともに、受験者の得点を操作して、B夫婦の子を合格させました(本件不正)。

 しかし、本件不正は後に発覚し、大分県は不合格者31名に対し総額7095万円もの損害賠償金を支払いました。

 Eは死亡し、Fは破産手続により免責許可決定がされていたこともあり、大分県は、住民から、E、Fの負担割合を考慮することなくAに対して求償義務の履行を迫ることを求める住民訴訟を提起されました。

 原審高裁は、A対E対Fの責任割合を、4 対 3.5 対 2.5 と理解し、4から弁済金を控除した金額の限度で、Aに対して求償権を行使すべきと判示しました。

 しかし、最高裁は、以下のとおり判示し、大分県は全額をAに対して求償すべき(Aは責任割合に応じた分割債務ではなく連帯債務を負う)と判示しました。

(裁判所の判断)

国又は公共団体の公権力の行使に当たる複数の公務員が、その職務を行うについて、共同して故意によって違法に他人に加えた損害につき、国又は公共団体がこれを賠償した場合においては、当該公務員らは、国又は公共団体に対し、連帯して国家賠償法1条2項による求償債務を負うものと解すべきである。なぜならば、上記の場合には、当該公務員らは、国又は公共団体に対する関係においても一体を成すものというべきであり、当該他人に対して支払われた損害賠償金に係る求償債務につき、当該公務員らのうち一部の者が無資力等により弁済することができないとしても、国又は公共団体と当該公務員らとの間では、当該公務員らにおいてその危険を負担すべきものとすることが公平の見地から相当であると解されるからである。」

3.僅かであっても不正行為への関与は危険

 裁判所も述べているとおり、連帯債務を負う結果、共同不法行為者の中に無資力者がいて負担部分以上の金額を負担しなければならないリスクは、公務員個人が負うことになります。これは本件のように損害額が大きな事件では、かなり大きな負担になります。特に、不正への関与割合の少ない人ほど割を食うことになります。

 不正行為に関与することは、僅かであったとしても、大きな負担と結びつくことがあります。やはり、不正行為に巻き込まれそうになった時の対応としては、毅然と断るのが一番であるように思われます。