弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

中小企業退職金共済制度(中退共)等の退職金の受給妨害の不法行為該当性

1.中小企業退職金共済制度

 中小企業退職金共済制度とは、独力で退職金制度を設けることが難しい中小企業について、事業主の相互共済の仕組みと国の援助によって退職金制度を設け、中小企業で働く方々の福祉の増進を図ることを目的とした制度です。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000113598.html

 この制度のもとでは、事業主と独立行政法人勤労者退職金共済機構・中小企業退職金共済事業本部(中退共)が契約を結べば、あとは退職者に直接退職金が支払われるとされています。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/taisilyokukin_kyousai/ippanchuutai/

 しかし、近時、この制度に基づいて労働者が退職金を受け取ることを、使用者が妨害するケースが散見されます。

 妨害の方法は概ね二通りあります。

 一つ目は、必要な手続をしないことです。

 退職金を請求しようとする労働者は、「退職金請求書」という書類を独立行政法人勤労者退職金共済機構に提出しなければなりません(中小企業退職金共済法施行規則14条1項参照)。

 この退職金請求書は、事業主が必要事項を記入・押印したうえで、退職した労働者に交付するものとされています。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/taisilyokukin_kyousai/ippanchuutai/dl/aramashi.pdf

 退職金請求書を労働者に交付しないというのが、受給妨害の一つ目の手口です。

 もう一つは、懲戒解雇だと言い張ることです。

 中小企業退職金共済法10条5項は、

「被共済者がその責めに帰すべき事由により退職し、かつ、共済契約者の申出があつた場合において、厚生労働省令で定める基準に従い厚生労働大臣が相当であると認めたときは、機構は、厚生労働省令で定めるところにより、退職金の額を減額して支給することができる。」

と規定してます。

 これを受けた中小企業退職金共済法施行規則18条は、上記「厚生労働省令で定める基準」として、

窃取、横領、傷害その他刑罰法規に触れる行為により、当該企業に重大な損害を加え、その名誉若しくは信用を著しくき損し、又は職場規律を著しく乱したこと
秘密の漏えいその他の行為により職務上の義務に著しく違反したこと
正当な理由がない欠勤その他の行為により職場規律を乱したこと又は雇用契約に関し著しく信義に反する行為があつたこと

の三つの場合を掲げています。

 この仕組みを利用して、労働者に重大な非違行為があったなどと主張し、退職金の受給を妨害するのが二つ目の手口です。

 慰留されるのを振り切って退職し、使用者と揉めた時などに、こうした受給妨害をされることがあります。

 それでは、こうした受給妨害を受けた労働者は、使用者に対し、何等かの対抗措置をとることができないのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。一昨日ご紹介した、札幌地判令2.5.26労働判例1232-32 日成産業事件です。

2.日成産業事件

 本件で被告になったのは、道路工事用資材の販売等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告会社で営業部長として勤務していた方です。平成29年4月17日、被告会社のA会長に対して退職を申し出ました。A会長からは慰留されましたが、退職する意思は変わらないと伝えたところ、怒ったA会長から「ならば懲戒解雇だ。4月21日から来なくてよい。」などと言われました(本件懲戒解雇)。その後、B社長らが原告を慰留するなどし、結局、懲戒解雇の話はなくなるとともに、原告も退職を保留することになりました。

 しかし、退職の意向が変わらなかった原告は、5月2日に改めてA会長に退職の意思を伝えました。このとき、原告は5月20日をもって退職すると伝えましたが、A会長は怒りだし「それでは4月17日に懲戒解雇したので、4月21日から5月2日までの給料・・・は支払わない。」などと述べました。

 また、被告は公益財団法人札幌市中小企業共済センター(共済センター)との間で、従業員を会員とする退職金共済契約を締結していました。原告に懲戒解雇を言い渡した後、被告は、原告を懲戒解雇したことを理由とし、給付率を0%にすることを求める書面を共済センターに提出しました。

 本件では、このような退職金の受給妨害が民事的な不法行為に該当するのではないかも、争点の一つになりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、被告による退職金の受給妨害を不法行為だと判示しました。

(裁判所の判断)

本件懲戒解雇は存在しないものであって、当然のことながら、被告も、そのような事実関係を認識していた。それにもかかわらず、被告は、原告から本件退職届が送付された後、本件懲戒解雇が存在するものであるかのように装い、上記・・・のとおり、懲戒解雇を理由に、原告に対する退職一時金(額)を不支給とする旨の書面等を共済センターに提出するなどし、原告の共済センターからの退職一時金の受給を妨害したものと認められ、これは原告に対する不法行為となるものというべきである。

3.少なくとも懲戒処分をでっちあげるタイプの受給妨害は不法行為となり得る

 上述のとおり、裁判所は、退職金の受給妨害に民事上の不法行為該当性を認めました。被告が原告に対して理由のない損害賠償請求を行ったこと、訴訟において偽造証拠を用いたこと、退職金共済の掛金の納付を停止したことなど不法行為と併せ、裁判所は慰謝料50万円、弁護士費用10万円を損害として認めました。少額ではありますが、慰謝料が認定されたことには大きな意味があります。

 日成産業事件で問題になった退職金共済は、所得税法施行令74条に基づく特定退職金共済団体が運営しているものであり、中小企業退職金共済制度とは異なる法律に基づいています。

 しかし、仕組みとしての類似する点は多く、裁判所の判示事項は中小企業退職金共済制度に基づく退職金の受給妨害にもあてはまるように思われます。

 退職金の受給妨害は、私自身の実務経験に照らしても、これまで何例か目にしたことがあります。それなりに件数のある紛争類型だと推測されるため、本件のような裁判例が公表されたことには、一定の意義があるように思われます。