弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

アカデミック・ハラスメント-研究指導・博士論文の評価の問題

1.学生が怖い?

 アカデミック・ハラスメントに関しては、学生側だけではなく、大学教員の方から相談を受けることもあります。

 個人的な経験の範囲では、普通に指導して成果物が合格水準に達していなかったから、そのような評価をしただけなのに、学生からハラスメントだと大学当局に申し入れがなされて、参っているといった相談が多いです。大学当局からの調査・査問に対して、どのように対応していくのかは、労働分野のハラスメントの加害者とされた側を弁護する知見や技術が応用できます。

 そして、もう一つ、加害者だと名指しされた方が気にすることに、損害賠償の問題があります。学生側から損害賠償を請求されたら、どうなるのかという問題です。

 しかし、損害賠償は、余程のことがない限り、認められることはありません。研究指導における判断や、博士論文の評価は、基本的には司法審査の対象にならないからです。一昨日、昨日と話題にさせて頂いている、野田進『アカデミック・ハラスメントの法理・序説』季刊労働法No.269-130にも、参考になる裁判例が紹介されています。岡山地判平27.5.26 LLI/DB判例秘書登載です。

2.岡山地判平27.5.26 LLI/DB判例秘書登載

 この事件は、大学院博士課程に在学していた子(A)が自殺したのは指導教員であったY2の指導上の違法行為に原因があるとして、両親が、被告Y1大学と被告Y2指導教員に対し、損害賠償を請求した事件です。

 Aは提出期限当日に博士論文を提出しましたが、Y2が事務担当者に論文の受理手続を止めるように指示しました。結果、論文はAの手元に返却され、Aは過年度2年目にも引き続き博士課程に在籍することになりました。

 論文を提出しようとしたのが平成19年12月14日で、Aが自殺したのは平成20年8月28日だと推定されています。こうした経過が辿られていたことから、本件では博士論文を提出させなかったことの適否が争点の一つとなりました。

 この問題について、裁判所は、次の通り述べて、Y2の行為の違法性を否定しました。

(裁判所の判断)

「大学は、学生の教育と研究を目的とする施設であって、その教育目的を達成するために必要な事項について決定する自律的、包括的な権利を有している。なかでも、大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめ、または高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培い、文化の進展に寄与することを目的とするものであり(学校教育法99条)、被告Y1大学が、同一の目的の下、専攻分野について研究者として自立して研究活動を行い、またはその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うことを目的として、博士課程を設置していること(被告Y1大学通則(以下「本件通則」という。)1条、3条の5)からすると、大学院博士課程における研究指導の内容、研究指導における判断、そして、博士論文の評価については、まさに大学院が専門的、教育的見地から決定すべき問題であって、その適否、当不当につき、直ちに司法審査が及ぶということはできない。このことは、指導教員の研究指導の内容等についても同様であるが、当該指導教員の当該学生に対する行為が、研究指導の枠を越え、嫌がらせ目的など、研究指導以外の目的で行われたものである、若しくは、それに匹敵する重大な過失により行われたものであるといえるような特段の事情がある場合には、当該行為の有無及びその違法性について、例外的に司法審査が及ぶと解するのが相当である。

(中略)

「地学専攻では、博士論文の原稿を博士学位の審査のために正式に提出する前に、指導教員に見せ、指導を受けた上、主査及び副査が査読し、その後、同学科の教員全員が査読するという方法が執られており、指導教員は、大幅に修正する必要があるものについては、基本的に主査及び副査の査読のために提出させないようにしていることが認められる・・・ところ、被告Y1大学において、博士課程を修了するためには、必要な研究指導を受けた上、博士論文を提出し、その審査及び最終試験に合格しなければならず、その博士論文は、高度の研究能力及び豊かな学識を証示するに足りるものでなければならないとされていること(本件通則3条の5、33条の2第1号、34条1項)からすれば、主査及び副査の査読に入る前の段階で、指導教員において、学生の博士論文について、査読及び最終的な審査に付し得るものであるか否かを判断し、大幅な修正が必要な場合には、基本的に提出させないとの上記の方法が、それ自体直ちに違法なものであると認めることはできない。」

「本件では、被告Y2が、Aに対し、平成19年10月1日に、実験に区切りをつけて論文を書くよう促していること・・・からすれば、Aが主査副査提出期限日の2日前である平成19年12月12日まで博士論文の原稿を見せに来なかったことから、被告Y2において、同年度のAの博士論文提出が困難であろうと考え、教員会議でその旨を述べたこと・・・には合理性が認められ、そのことが、Aに対する嫌がらせであるなど、研究指導を目的としたものではなかったとまで認めることはできず、また、被告Y2の重大な過失に当たると認めることもできない。」

「また、被告Y2は、本件論文の受理手続を一旦止めさせた後、本件論文を通読し、同月18日に、本件論文に修正指示を記入して返却し、口頭でAに対して修正点を述べた・・・が、被告Y2がAの指導教員であるとともに、平成19年度博士論文審査会(地学専攻〈地圏進化学・環境動態論〉)の最終試験委員会のメンバーであったこと・・・にも照らすと、上記行為は、被告Y2において、本件論文が博士論文として査読及び審査を受け得る状態に至っているかを確かめるためにしたことであると認められるのであり、そのことが直ちにAの利益を害するとみることは相当でなく、本件全証拠によっても、Aが更に被告Y2のした説明について異議を述べたりした事実は認められないのである。そうすると、被告Y2が、主査副査提出期限日に、本件論文の受理手続を一旦止めさせたことが嫌がらせ目的による違法なものであるとか、重大な過失によるものであると認めることはできず、Aが、同日、本件論文を提出したいと言っていたことは、上記認定を左右しない。そして、Aが、同月18日、本件論文を修正するようにとの被告Y2の説明に異議を述べていないことからすれば、被告Y2が、本件論文について、博士学位の審査に付すべき状態にないと判断し、Aに本件論文を返却したことが、Aの意向を無視した、嫌がらせ目的による違法なものであるとか、重大な過失によるものであると認めることはできない。そして前後の事情・・・に照らしても、Aに対する嫌がらせ目的または重大な過失による行為があったと認めることはできない。」

「以上によれば、本件論文不受理事件に、司法審査が及ぶべき特段の事情は認められず、被告Y2が、本件論文に修正が必要であるとした上記判断及び指導内容の適否、当不当及びその程度については、判断することができない。被告Y2が、博士論文の提出後、その審査委員会が1年間有効であることを知らなかったことは、上記認定を左右しない。」

3.普通の指導で損害賠償が認められることはない、それより危ないのは懲戒処分

 上述のとおり、嫌がらせ目的で何か酷いことをやるなどといった特殊な事情でもない限り、普通の研究指導が司法審査の対象になることはありません。

 そのため、単に学問に対する姿勢が厳格であるがゆえに損害賠償を請求されることを、あまり心配する必要はありません。

 それよりも、危ないのは懲戒処分との関係です。裁判所が専門的・教育的な判断の当否の判断に立ち入ることには制限がありますが、専門的・教育的機関である大学当局には、専門的・教育的な判断の当否に立ち入って懲戒処分を科すことが認められています。本件Y2も損害賠償責任を負うことは否定されましたが、大学当局の懲戒委員会からは停職1か月が相当であるとの議決を受けています。

 ハラスメントの疑いをかけられて査問の対象になると、懲戒処分との関係、(滅多に認められないとはいえ)損害賠償との関係など、同時並行的に多方面に気を配りながら対応して行かなければならなくなります。これは結構大変な作業なので、早い段階から対応を弁護士に相談することをお勧めします。