弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

新型コロナ対策-従業員の「体温」の掲示板記入の問題に男女差は関係あるか?

1.新型コロナ対策と従業員の「体温」の掲示板記入問題

 ネット上に、

「新型コロナ対策、従業員の「体温」を掲示板に記入させて公開 こんな職場は問題では?」

との記事が掲載されていました。

https://www.bengo4.com/c_5/n_10858/

 記事は、

「新型コロナウイルスの対策として、従業員に『毎朝の体温測定と体温報告』を求める企業もあるという。報告先は上司や総務課など、会社によってさまざまだ。」

(中略)

「相談者の会社では、仕事が始まる前に全員が検温をしなければならない。ここまでは許容できるとしても、問題はその先だ。会社内の掲示板に張り出した用紙に自分の体温を記入しなければならず、その掲示板は誰もが見ることができるのだという。」

との事実関係を前提に、

「男性が多い職場のため、抵抗があります。拒否することはできないのでしょうか」

と問題提起しています。

 これに対し、回答者となっている弁護士は、

「プライバシー権は『私生活をみだりに公開されない権利』(伝統的古典的定義)や『自己の情報をコントロールする権利』(憲法学の通説的見解)などと定義されます。」

「もし、プライバシー権を『自己の情報をコントロールする権利』と解した場合には、毎朝の体温を公表されることは個人のプライバシー権を侵害する行為に該当し得ると思われます。」

「特に、妊娠・出産を望んでいる女性従業員にしてみれば、公表の期間が1か月にも及べば、自らの基礎体温を公表するに等しいといえます。そのため、プライバシー侵害の程度は男性従業員のそれに比して極めて強いと考えます

と回答しています。

 このような会社が現実に存在するとすれば、私も会社の対応には問題があると思います。しかし、この問題を考えるにあたっては、

性差は関係あるのだろうか? 

プライバシー侵害の程度は男性従業員のそれに比して極めて強いと言えるのだろうか? 

と疑問に思っています。

2.厚生労働省ガイドライン

 厚生労働省は、

「雇用管理分野における個人情報のうち健康情報を取り扱うに当たっての留意事項」

という文書を作成・公表しています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000027272.html

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/0000167762.pdf

 「任意に労働者等から提供された本人の病歴、健康診断の結果、その他の健康に関する情報」は「留意事項」のいう「健康情報」の定義に含まれるため、「留意事項」に添った取扱いが必要になります。

 そして、留意事項では、

「健康情報については労働者個人の心身の健康に関する情報であり、本人に対する不利益な取扱い又は差別等につながるおそれのある要配慮個人情報であるため、事業者においては健康情報の取扱いに特に配慮を要する。」

と規定されています。

 健康情報の取り扱いの場面では、差別等につながる可能性があることは、欠かすことができない視点だと思います。

 新型コロナウイルスへの罹患についても、東京都総務局人権部が、

「新型コロナウイルスの感染が拡大する中、感染者や中国の方に対する誹謗中傷や心無い書き込み等がSNS等で広がっています。また、感染者を受け入れた病院で職員やその子供がいわれのない差別的扱いを受けたり、海外旅行から帰国後自宅待機を無給で命じられたりするなどの事例も発生しています。」

と注意喚起しているとおり、不確かな情報に惑わされたことによる人権侵害・差別を引き起こしかねない問題として考えることが必要だと思います。

https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/10jinken/tobira/

3.基礎体温の公開といったレベルの問題なのだろうか?

 少し前に、

「採用面接で嘘をつくことは例外なく責められるべきことなのか?-HIV訴訟」

という記事を書きました。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/02/27/011921

 記事でご紹介した裁判例(札幌地判令元.9.17労働判例1214-18 社会福祉法人北海道社会事業協会事件)は、

「HIVに感染しているという情報は、極めて秘密性が高く、その取扱いには極めて慎重な配慮が必要であるのに対し、HIV感染者の就労による他者への感染の危険性は、ほぼ皆無といってよい。そうすると、そもそも事業者が採用に当たって応募者に無断でHIV検査をすることはもちろんのこと、応募者に対しHIV感染の有無を確認することですら、HIV抗体検査陰性証明が必要な外国での勤務が予定されているなど特段の事情のない限り、許されないというべきである。

と述べています。

 新型コロナウイルスに関しては、他者への感染の危険性があるため、これと同列に議論することはできないと思います。事業主には安全配慮義務の一環として他の従業員への感染を防ぐ責務があり、時節柄、労務管理部門が、取扱いに注意しながら、体温に関する情報を収集・取得すること自体には、それほどの問題はないと思います。

 しかし、疾病とそれに伴う社会的偏見・差別の問題は密接不可分な問題として意識されておく必要があります。

 掲示板に体温を記入させ続ける措置は、新型コロナウイルスに感染している可能性を公にすることを強いているのと同義だと思います。

 感染者に対して不利益取扱・差別が生じかねない社会状況において、そうした行為を強制することは、業務命令権の濫用というのかプライバシー権の侵害というのかは別として、不適切な行為であることは確かだと思います。それは、女性の基礎体温云々といった話ではなく(基礎体温を知られたくないという心情を否定するものではありませんが)、性差に関係のない、差別との脈絡で意識される必要があるのではないかと思います。

4.男性にとっても、強度のプライバシーの侵害と言えるのではないだろうか

 以上のような意味において、記事にかかれているような取扱いは、男性にとっても女性にとっても、等しく強度のプライバシー侵害に該当するのではないかと思っています。

 記事で回答を担当している弁護士の「プライバシー侵害の程度は男性従業員のそれに比して極めて強いと考えます」との記載を見て、女性だから救済されると思いこむ人が出かねないと思い、本記事を執筆しました。

 この問題に関しては、特に定まった見解はないと思いますが、性差が関係ないという見解を持つ弁護士もいることを、ご承知おき頂ければと思います。