弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

IDとパスワードを使って従業員であれば誰でもアクセス可能な情報の営業秘密該当性

1.営業秘密の侵害

 営業秘密は不正競争防止法で保護されています。

 例えば、「窃取、詐欺、強迫その他の不正の手段により営業秘密を取得する行為」は不正競争行為として、差止や損害賠償の対象となります(不正競争防止法2条1項4号、3条、4条参照)。

 また、「営業秘密を営業秘密保有者から示された者であって、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密の管理に係る任務に背き」「営業秘密記録媒体等の記載若しくは記録について、又は営業秘密が化体された物件について、その複製を作成すること」により「営業秘密を領得した」場合、刑事罰の対象になります(不正競争防止法21条1項3号参照)。
 加えて、営業秘密への侵害は、懲戒処分や解雇理由になることもあります。不正競争防止法違反に該当する行為をしたから○○の懲戒処分をする/解雇するといったようにです。

 懲戒事由は解雇理由になることから、不正競争防止法上の「営業秘密」の理解は、労働事件を主要な取扱業務としている弁護士にとっても大きな関心事となっています。

 近時公刊された判例集に、この「営業秘密」の理解について、重要な判断を示した裁判例が掲載されていました。札幌高判令5.7.16労働経済判例速報2529-7 Z営業秘密侵害罪被告事件です。

2.Z営業秘密侵害罪被告事件

 本件は刑事裁判例です。

 本件は、勤務先(H社)から販売先、販売商品、販売金額等の履歴が記載された得意先電子元帳を示されていた被告人甲野らが、同得意先電子元帳の特定の顧客先や仕入先の情報を複製したとして、営業秘密侵害罪で公訴提起された事件です。

 一審判決では有罪とされましたが、被告人らはこれを不服として控訴しました。

 本件二審裁判所は、対象となった情報(本件情報)の営業秘密該当性を否定し、原判決を破棄したうえ、無罪判決を言い渡しました。個人的に注目しているのは、次の判示部分です。

(裁判所の判断)

「本件情報はパーツマン(システムの名称 括弧内筆者)内の得意先電子元帳内に保管されていた情報であるところ、パーツマンにアクセスする際には、原判決が適切に認定しているとおり、USBアクセスキーを挿入し、企業認証ログイン画面において、H社共通の企業認証アカウントを入力し、更に従業員ログイン画面において、各従業員に付与されたIDとパスワードを入力するといった手順が要求されている。もっとも、パーツマンには、本件情報のような営業秘密にかかわるものに限らず、在庫数や日報といった機能も搭載されており、上記の手順は、本件情報を含む営業秘密に属する情報へのアクセスのみならず、パーツマンに搭載された諸機能を利用するために要求される手順にすぎないとも考えられる。また、パーツマンは、上記のように多岐に渡る機能が搭載されているため、H社の従業員であれば、自己に付与されたID及びパスワードを用いてアクセスすることができ、得意先電子元帳自体にアクセスする際に新たにパスワード等の入力を求めるなどといった制限は設けられていなかった。そうすると、本件情報を含む得意先電子帳簿に記録されている情報に接する従業員において、H社が該当情報をその他の秘密とはされない情報と区別し、特に秘密として管理しようとする意思を有していることを明確に認識できるほど、客観的な徴表があると認めることはできず、パーツマンにアクセスする際に、IDやパスワード等を入力するなどの手順を要するということのみでは、H社が十分な秘密管理措置を講じていたと認めることはできないというべきである。

3.社外の者に秘密にされているというだけではダメ

 営業秘密に関する事件をしていると、しばしば使用者側から、社外に公開されていない情報であることが強調されます。社員以外の人間にとって、いかにアクセスしにくいのかといった事情が滔々と主張されます。

 しかし、本判決が判示するとおり、幾ら社外の人からのアクセスが遮断されていたとしても、社員であればIDやパスワードを使って誰でもアクセスでき、他の一般情報と区別されずに保管されているような情報との関係で、営業秘密を侵害したものとして不正競争防止法違反に問われることはありません。一般情報との区別可能性がないからです。

 近時言い渡された裁判例の一つに、不正競争防止法上の営業秘密該当性が否定されたにもかかわらず、懲戒解雇が有効判示した裁判例があります(東京地判令4.12.26労働判例ジャーナル134-20 伊藤忠商事ほか1社)参照)。

 このような裁判例が出現して以降、不正競争防止法上の「営業秘密」への該当性を否定することにどれあけの意味があるのかという疑問はあります。とはいえ、営業秘密への該当性を論じるにあたり、裁判所の判断は実務上参考になります。