弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

研究活動の不正、論文不正を理由とする懲戒解雇-立証責任の所在はどのように理解されるのか

1.懲戒事由に該当する事実は誰が立証責任を負うのか

 一般論として言うと、懲戒事由に該当する事実の存在は、懲戒権を行使する使用者の側で立証する責任があります(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』〔青林書院、改訂版、令3〕367頁参照)。

 この一般原則から考えると、大学当局が研究活動の不正、論文不正を理由に大学教授等に懲戒権を行使する場合、不正行為の存在は、使用者である大学当局の側で立証する必要があるように思えます。

 しかし、アカデミズムにおける研究不正は、必ずしもそのように理解されていません。例えば、文部科学省の「研究活動の不正行為に関する特別委員会」は、

「『研究活動における不正行為への対応』3原則」

の中で、

「研究活動とその公表の本質(先人の業績を踏まえつつ、自らの発想に基づいて行った知的創造活動の成果を、検証可能な根拠を示して、研究者コミュニティーの批判を仰ぐ)からすれば、被疑研究者が『不正行為』を行っていないことを立証する責任を負うものである。

との考え方を示しています。

資料2 「研究活動における不正行為への対応」3原則:文部科学省

 平成18年8月18日にまとめられている

「研究活動の不正行為への対応のガイドラインについて 研究活動の不正行為に関する特別委員会報告書」

にも、

被告発者が自己の説明によって、不正行為であるとの疑いを覆すことができないときは、不正行為と認定される。また、被告発者が生データや実験・観察ノート、実験試料・試薬の不存在など、本来存在するべき基本的な要素の不足により、不正行為であるとの疑いを覆すに足る証拠を示せないとき・・・も同様とする。

とする記述がみられます。

4 告発等に係る事案の調査:文部科学省

 アカデミズムにおいては、大学教授等の研究者の側で不正行為がないことを立証できなければ、不正行為が認定されるという考え方が採用されています。実際、多くの大学等は、こうしたルールを設け、研究活動の不正、論文不正を認定しています。

 このように、裁判所で採用されている懲戒事由の立証責任についての考え方と、アカデミズムにおける研究活動の不正、論文不正の立証責任についての考え方は、ねじれた関係にあります。

 それでは、研究活動の不正や論文不正を理由に懲戒解雇が行われた場合、懲戒事由に該当する事実(不正行為)の立証責任は、誰が負うことになるのでしょうか?

 学内のルールに従い、大学教授等の研究者の側で不正行為がなかったことを立証できなければ、懲戒事由が認定されることになるのでしょうか?

 それとも、学内でどのようなルールが採用されていようが裁判における立証責任の所在は変わらないとし、大学当局側で不正行為の立証責任を負うことになるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。前橋地判令4.4.26労働判例ジャーナル127-52 国立大学法人群馬大学事件です。

2.国立大学法人群馬大学事件

 本件で被告になったのは、群馬県内に所在する国立大学法人です。

 原告になったのは、被告の大学院保健学研究科教授として勤務していた方です。4編の論文の不正に関与したことなどを理由として被告から懲戒解雇されたことを受け、懲戒事由の存在等を争い、雇用契約上の地位の確認等を求める訴えを提起しました。

 本件では懲戒事由に該当する事実が認められるか否かが争点になりましたが、この問題について、裁判所は、次のとおり判示しました。なお、裁判所は、結論として、懲戒解雇を有効だと判断しています。

(裁判所の判断)

「まず、上記・・・で認定したところ及び弁論の全趣旨によれば、本件ガイドラインにおいて、研究活動の不正行為に係る認定の方法が記載されており、被告規範委員会も当該方法に従って本件論文の不正行為を認定していることが認められる。そこで、同ガイドラインに記載の方法により研究活動の不正行為の認定をすることの相当性について検討するに、証拠・・・によれば、

〔1〕文部科学省において、国費による研究費(特に文部科学省が所管する競争的資金)を活用した研究活動において不正行為(特に捏造、改ざん、盗用)が指摘されたときの対応体制等と不正行為を行ったものに対しての所要の措置を整備するとともに、大学・研究機関に対しても、体制構築に向けて自主的な取組みを促していること、

〔2〕同省の科学技術・学術審議会が設置する研究活動の不正行為に関する特別委員会は、その要請を受け、不正行為の抑止に対する研究者や研究者コミュニティ、大学・研究機関の取組みを促しつつ、国費による競争的資金を活用して研究を行っている研究者による不正行為への対応(告発等の受付から調査・事実確認、措置まで)について、文部科学省や資金配分機関、大学・研究機関が構築すべきシステムとルールの在り方を検討し、その当面の結論を提言したものであること

がそれぞれ認められるところ、これらの同ガイドラインの作成経緯を踏まえれば、その内容は一般的かつ合理的なものであると認めるのが相当であるから、本件論文の不正行為の有無についても、同ガイドラインの方法に従って検討するのが相当であり、また、後記の調査協力義務違反の有無や本件論文の取下勧告に対する対応の適否についても、同様に、同ガイドラインに沿って検討するのが相当である。なお、同ガイドラインを本件に適用することについては、原告も異論がない旨を述べている(本件第18回弁論準備手続調書参照)。

「以上を前提に本件論文の不正行為の有無について検討するに、上記・・・で認定したところ並びに証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、

〔1〕本件ガイドラインでは、被告発者の説明及びその他の証拠によって、不正行為であるとの疑いが覆されないときは、不正行為と認定され、また、被告発者が生データ等の不存在など、本来存在するべき基本的な要素の不足により、不正行為であるとの疑いを覆すに足りる証拠を示せないときも同様とするとされていること、

〔2〕被告調査委員会による本調査において、本件図表に意図的に行われた改ざんがあるなどと判断がされ、かつ、そのうち#3の図表については、その実験を行ったH(以下「H」という。)自身が誤った画像を貼り付けてしまった可能性が高いとの供述をしていること、

〔3〕原告は、本件実験ノートを所持していないとして、不正行為であることの疑いを覆すに足りる証拠を示せていないこと

がそれぞれ認められ、これらに照らせば、本件図表について、本件ガイドラインにいう不正行為があったと認めるのが相当である。」

3.大学のガイドラインに準拠して立証責任が労働者(教授等)側に転換された

 以上のとおり、裁判所は、大学側が証拠提出したガイドラインに基づいて不正行為の有無を判断することを認め、教授側が不正行為の疑いを払拭していないとして、不正行為の存在を認めました。

 本件の結論には労働者側がガイドラインの適用に異論を述べなかったことも関係していると思われますが、大学関係の事件を扱う場合、研究活動の不正、論文不正を懲戒事由とする事案において、立証責任が転換される場合のあることには、十分留意しておく必要がありそうです。