弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

ハラスメントで出勤できなくなった労働者による復職までの期間の賃金請求

1.解雇撤回事件(復職事件)の攻撃防御の展開

 解雇は客観的合理的理由と社会通念上の相当性がある場合にしか認められません(労働契約法16条)。この規制を考慮しない無理のある解雇がなされている事案で復職を求めると、使用者側から「解雇を撤回する」と回答されることがあります。

 しかし、労働契約法を無視した無理のある解雇を強行するような会社では、労働者が解雇前にハラスメントを受けていることが珍しくありません。こうした場合、労働者の側で、ハラスメントを踏まえた配慮がなければ安心して復職することができないという気持ちになることは自然なことです。

 それでは、解雇が撤回されたものの、使用者側からハラスメントに対する特段の配慮が示されない場合、労働者は不就労期間中の賃金を請求することができるのでしょうか?

 解雇事件の未払賃金の請求は、

「債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債権者は、反対給付の履行を拒むことができない。」

と規定する民法536条2項本文に基づいています。違法な解雇をした使用者の責めに帰すべき事由によって、労務提供義務を履行することができなくなった場合について、使用者は賃金の支払を拒むことができないという理屈です。

 それでは、解雇が撤回された場合に、

「働くことができないのは、ハラスメント対応など復職に向けた諸条件を整えない使用者の責めに帰すべき事由による」

として、復職までの不就労期間中に賃金を請求することはできないのでしょうか?

 当然のことながら、解雇を撤回した使用者の側は、働かないのは労働者の側の事情だという姿勢をとります。賃金の支払に容易には応じず、実務上、労使間で不就労期間中の賃金支払義務の存否が争われることは、決して少なくありません。

 この問題を考えるにあたり、近時公刊された判例集に参考になる裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いていた、東京地判令4.2.4労働判例ジャーナル125-42 トラストリー事件です。

2.トラストリー事件

 本件で被告になったのは、宅地建物取引業等を業とする株式会社です。

 原告は、令和2年3月1日に被告との間で雇用契約を締結し(本件雇用契約)、同年5月30日まで被告で労務を提供していた方です。

 原告の方は、

同日付けで試用期間満了に伴う解雇・留保解約権行使をされたことが違法であるとして、地位確認やバックペイの支払いを求めるとともに、

被告の実質的代表者であるCからパワーハラスメント(パワハラ)を受けたのに、被告が全く配慮しなかったと主張して、慰謝料の支払いを請求しました。

 これに対し、被告は、

「本件雇用契約は純粋な3か月の有期雇用契約である」

同年5月22日、Cは「君の試用期間、2か月ぐらい延長しませんか?」と発言したが、これは「原告に対し、新たに2か月間の有期雇用契約締結の申し入れをするか否かを問うているものである。」

「本件雇用契約は、3か月が満了する」同年5月30日に「当然終了している」

などと述べ、第一次的には解雇事案ではないと主張しました。

 被告は、仮定的に、同年3月1日から同年5月30日までの期間を使用期間と解するにしても、留保解約権の行使には、客観的合理的理由、社会通念上の相当性があると主張しました。

 裁判所は、本件雇用契約は試用期間付きの期間の定めのない雇用契約であり、解雇権・留保解約権行使は違法であるとしたうえ、次のとおり述べて、未払賃金の請求を認めました。

(裁判所の判断)

「原告が令和2年6月1日以降被告に出社していないのは、同年5月30日にCから解雇を通告されたからにほかならず、また、原告は、被告に対し、代理人弁護士を通じて、出社できない理由を明確に通知している(甲5の1・2)。」

「以上のとおり、被告の主張する解雇理由は、いずれも事実を認めるに足りる証拠がないか、事実が認められるとしても、本件解雇の合理的理由を客観的に基礎づけるものとはいない。仮に、解雇理由が存在したとしても、適切な指導を経ないまま突然解雇を通告するのは社会通念上相当とは認められない。」

「したがって、本件解雇は、解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が存し、社会通念上相当として是認され得るものとは認められず、解約権の濫用に当たり無効である。」

「その結果、原告は、本件解雇の日以降も、被告との間の雇用契約上の権利を有する地位にあることになる。」

そして、前記認定事実1(9)によれば、原告が被告に出勤できていないのは、本件解雇、Cのパワハラ行為及び後述の被告の安全配慮義務違反のためであると認められる。そうすると、原告が被告の責めに帰すべき事由によって本件雇用契約に基づく債務を履行することができなくなっているものということになるから、被告は、原告に対する本件解雇の日以降の給与の支払を拒むことができないこととなる(民法536条2項)。

3.注目の「前記認定事実1(9)」

 この事件で目を引かれるのは、上述の「前記認定事実1(9)」です。

 これは次の事実を指しています。

(裁判所の認定した「前記認定事実1(9)」)

「原告は、同年6月1日以降、欠勤した。」

「原告は、同月9日、被告に対し、Cのパワハラ行為を指摘した上で、職場復帰の意向があることを伝え、職場復帰のスケジュール等を尋ねる文書を送付した。」

「同月16日、原告代理人谷垣雅庸、被告代理人須田唯雄及びDの3名で話合いを行ったが、解決には至らなかった。」

被告は、同年7月2日、原告に対し、原告を同月末まで従前どおり待遇すると文書で回答したが、Cのパワハラ行為を踏まえた職場復帰後の配慮についての記載はなかった。

「そこで、原告は、上記文書に対して反論するとともに、職場復帰後の配慮方法を尋ねる文書を送付した。」

「これに対し、被告は、職場復帰後の配慮としては、Cが原告に接触せず、両名では何も話さないこと、これが最大限の配慮である旨を回答した。

「原告は、これ以上の話合いは難しいと考え、労働審判を申し立てた。(甲5~8、12)」

 被告の賃金支払方法は月末締め翌月10日払です。

 この事件の裁判所は、上述のとおり「被告は、原告に対する本件解雇の日(令和2年5月30日 括弧内筆者)以降の給与の支払を拒むことができない」と指摘したうえ

「被告は、原告に対し、令和2年7月から本判決確定の日まで、毎月10日限り、25万円の割合による金員を支払え」

という判決主文を言い渡しています。

 このことからも明確に分かるとおり、裁判所は、令和2年7月に被告が行った

「原告を同月末まで従前どおり待遇する」

「職場復帰後の配慮としては、Cが原告に接触せず、両名では何も話さないこと、これが最大級の配慮である」

という回答に意義を認めませんでした。同年7月中に原告が働かなかったのも、飽くまでも被告に責任があるという立場を堅持したということです。

 これはハラスメントに対する配慮を見せず、ただ従前通りの労働条件で復職することを認めたとしても、使用者の責めによる労務提供義務の履行不能状態が解消されないことを意味しています。

 これは解雇撤回後の不就労期間の賃金請求の可否を考えるうえで極めて画期的な判断です。ハラスメント対応を行わず、漫然と従前通りの労働条件での復職することを求める使用者への対抗手段として、広く活用して行くことが考えられます。