弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

労災における労働時間の意味-質的過重性

1.労災における労働時間

 労働者災害補償保険法に規定されている保険給付を受けるにあたり、労働時間は重要な意味を持っています。

 例えば、精神障害との関係でいうと、

「発病直前の連続した3か月間に、1月当たりおおむね100時間以上の時間外労働を行い、その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった」

場合、強い心理的負荷が発生するとされています(平成23年12月26日 基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について 最終改正:令和2年8月21日 基発0821第4号」参照)。

 また、脳・心臓疾患との関係でいうと、

「発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できる」

と理解されています(令和3年9月14日 基発0914第1号「血管病変等を著しく増悪させる業務による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」参照)。

 この「労働時間」の意義に関しては、行政解釈上、

「労働基準法第 32条で定める労働時間と同義であること」

とされています(令和3年3月30日 基補発 0330 第1号 労働時間の認定に係る質疑応答・参考事例集の活用について参照)。

 しかし、実際に労災認定に関する裁判例を分析していると、

労災法上の労働時間=労基法上の労働時間

という定式は、多分にフィクションを含んでいることが分かります。

 労基法上の労働時間に該当しても、労働強度の観点から労働時間としてカウントしなかったり、労働時間としてカウントしても質的な過重性が認められないとして業務起因性を否定したりする裁判例が少なくありません。

 近時公刊された判例集に掲載されていた、福岡地判令3.12.7労働判例ジャーナル121-56 福岡東労基署長事件も、そうした裁判例の一つです。

2.福岡東労基署長事件

 本件は労災の不支給処分に対する取消訴訟です。

 原告になったのは、亡Dの配偶者です。亡Dは、生前、農業協同組合の職員として道の駅に併設されたパン工房の店長として稼働していました。この方が蜘蛛膜下出血(本件疾病)を発症して死亡したことから、原告は遺族補償年金と葬祭料の支給を請求しました。これに対し、福岡東労働基準監督署長が不支給処分を行ったことから、審査請求、再審査請求を経て、取消訴訟が提起されました。

 本件では本件疾病発症と長時間労働に起因しているのではないかのが問題になりました。この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、本件疾病の業務起因性を否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、平成28年10月8日から同年11月6日までの30日間(以下『本件期間』という。)における亡Dの時間外労働時間数が93時間34分に達していること・・・を指摘し、労働時間という観点から亡Dの業務が過重であったことを主張する。」

「この点、確かに、同期間における亡Dの時間外労働時間数は多いことに加え、亡Dが、10月28日から11月6日まで、9日間連続で勤務しており、この期間だけでも45時間を超える時間外労働を行っていることからすると、10月28日から11月6日までの9日間を含む本件期間の業務は、一定程度の負荷を有する業務であったといえる。」

「もっとも、11月7日及び同月8日は休日であり、同月9日及び10日には午前10時頃には終業して同月11日が再び休日となっていること、その後の連続勤務日数は3日を超えず、定期的に休日を取得していること、11月7日以降の1か月当たりの時間外労働時間数は概ね45時間を超えないこと・・・を併せて考えると、亡Dには、本件期間における疲労を回復する機会も与えられていたといえる。」

「また、原告は、亡Dが、帰宅後も本件店舗の従業員などからの電話への対応を行っていた旨主張するところ、その頻度は1週間に1、2回程度にとどまるから・・・、亡Dの休息を妨げるような事情であるとは評価できない。」

「したがって、本件期間における時間外労働時間の長さ等を考慮しても、労働時間という観点のみから、本件店舗における業務が亡Dにとって著しい疲労をもたらすものであったと認めることはできない。」

(中略)

「亡Dの連続勤務の日数は2日又は3日にとどまることが多かったことや、勤務日は事前にシフトにより定められていたこと・・・、勤務の時間帯については亡D自身の判断で決定しており・・・、日常的に所定の終業時刻よりも早く仕事を切り上げ、かなり早く帰宅することもままあったこと、勤務日や勤務時間帯が予定外に変更されることは多くなかったこと、深夜時間帯の労働が長年の亡Dの生活リズムに組み込まれていたことがうかがえること等を総合すると、勤務時間帯が深夜に及んでいたことによる負荷が、疲労の蓄積という観点から、さほど大きなものであったとまでは認め難い。」

(中略)

「亡Dの労働密度は高かったといえるものの、亡Dは業務に習熟していた上、自身で決定した作業量に応じて作業を行っていたものであるから、亡Dが対応可能な範囲内で業務を行っていたというべきであり、その負荷が過重なものであったとはいえない。」

(中略)

「売上目標が達成できなかったことについては特にペナルティは設けられておらず・・・、本件店舗の売上げが賞与に直結していたわけでもないことからすると・・・、売上目標達成の有無が亡Dに与える直接的な影響は少なかったといえる。」

「したがって、売上目標が設定されていたことをもって、強度のストレスを与えるような重いノルマが課せられていたと評価することはできない。」

(中略)

「作業場には空調設備が設置されており、オーブンによる熱気も拡散しないよう機器が設置されていたと認められ、著しい高温環境下にあったとは認められず、亡Dが温度変化の激しい環境で業務を行っていたとも認められない・・・。また、本件店舗は構造上結露が多く生じていたと認められるものの・・・、かかる事情が亡Dの身体的負荷になっていたとは認められない。したがって、業務上の負荷を加重する要因として作業環境を考慮することはできない。」

(中略)

「以上を総合すると、亡Dの業務は、労働時間からみた量的過重性の面において、一定程度の負荷があったと認められるものの、休息の機会は与えられていたと評価でき、業務内容等の質的過重性という面において強度の負荷があったとは評価し難く、一般的・客観的にみて、くも膜下出血を引き起こすような危険性を内在した過重な業務であったとは認められない。

(中略)

「以上によれば、処分行政庁による本件各処分は適法であり、原告の本件請求は理由がない」

3.質的検討が必要

 疾病の業務起因性が問題になる場面では、単純な労働時間の長短だけが問題になるわけではありません。事件の見通しを正確に立てるにあたっては、質的な観点からの過重性にも留意する必要があります。