弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

時間外勤務時間(残業時間)を目標時間内に修正する業務で生じる心理的負荷

1.公務員のサービス残業問題

 所属部署に割り振られる予算上の制約などの理由により、公務員にはサービス残業が横行しています。これは古くから指摘されている問題ですが、残念ながら改善には至っていません。

 部署単位で残業代を調整するとなると、ある程度組織的に行わざるを得ません。そして、組織的な調整を行うにあたっては、所属部署の職員の残業時間を目標時間内に修正することが業務として生じることがあります。

 指摘するまでもありませんが、このような修正は法的に問題があります。それでは、このような違法な業務を命じられることは、職員に対し、どのような心理的負荷を生じさせるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、この問題を取り扱った裁判例が掲載されていました。名古屋地判令3.4.19労働判例ジャーナル113-32 地方公務員災害補償基金・愛知県支部長事件です。

2.地方公務員災害補償基金・愛知県支部長事件

 本件は公務災害(労災の公務員版)の取消訴訟です。

 原告になったのは、市職員の方です。平成19年4月1日の市民病院(本件病院)への異動後、量的・質的に加重な公務によって同年5月頃までに精神障害(双極性感情障害)に罹患したとして、公務災害認定を請求しました。しかし、公務外認定処分を受け、審査請求も棄却されてしまったため、処分の取消を求めて裁判所に出訴しました。

 本件の原告は、精神障害を発症させた心理的負荷として、量的過重(時間外勤務の時間数)と質的過重を主張しました。質的過重として原告が展開した主張は、次のとおりです。

「原告は、庶務的な業務を担当したことがなく、その研修を受けたこともなかったのに、平成19年4月に本件病院に配置換えとなり、全く経験がなかった業務に従事することになったばかりか、職員全員が慣れない自分の仕事に手いっぱいで、かつ、厳格な期限のある業務に追われていたため、お互いをサポートできる状況にはなかった。また、原告は、業務を行うに当たって、医師となかなか連絡が取れず、対応に苦慮する医師を相手として常に緊張を強いられ、その過程で、副院長に罵声を浴びせられることもあった。」

「さらに、原告は、前任者からの引継ぎ事項として、職員の勤務実態に関係なく、職員の時間外勤務時間を月80時間以内に修正するという違法行為を強要された一方、労働基準監督署の是正勧告にも対応しなければならなかった。

「このように、原告の公務は、質的に過重であった。」

 こうした原告の主張を受け、裁判所は、次のとおり判示し、精神障害の公務起因性を認めました。

(裁判所の判断)

-時間外勤務時間について-

「原告は、本件病院で勤務を開始した平成19年4月2日から精神障害の発病日である同月25日までの間に、少なくとも合計123時間45分の時間外勤務・・・をしていたものと認められる」

-質的過重について-

「原告は、原告の業務が、

〔1〕対応に苦慮する医師らを相手とするものであって、

〔2〕職員の時間外勤務時間を月80時間以内に修正するよう強要されていたばかりか、

〔3〕労働基準監督署の是正勧告にも対応しなければならなかったという点で

質的に過重であった旨主張し、原告の供述・・・は、これに沿うものである。」

「そこで検討するに、原告の前記供述については、

〔1〕医師らの対応に苦慮することがあった点については、本件病院が医療機関であるということに加えて、職場関係者及びd主査の供述・・・によっても裏付けられていること、

〔2〕本件病院では、当時、時間外勤務時間を80時間までとする方針が採用されており・・・、現に、原告の時間外勤務時間自体、実際には毎日4時間30分を限度として承認されていたにとどまる・・・ばかりか、原告は、本件病院の全職員の命令簿の作成及び取りまとめを担当していたこと、

〔3〕豊橋労働基準監督署は、原告の着任後間もない平成19年4月11日、本件病院に対し、医師に係る賃金台帳について是正勧告を行っており、原告は、その対応に当たる担当者の一人であることが明らかであることを踏まえると、原告の前記供述は、いずれも裏付けがあるものとして信用できる。」

「以上に加えて、原告は、本件病院への配置換え直後に、前記のとおり長時間にわたって慣れない庶務業務に従事することになったものであり、このこと自体、原告の心理的負荷として評価することが可能である。」

「そうすると、原告は、平成19年4月、配置換え直後に長時間にわたって慣れない庶務業務に従事したものであり、原告の当時の業務は、前記・・・のような困難を抱えたものであって、特に職員の時間外勤務時間を月80時間以内に修正する作業は、それ自体法律的に問題がある業務であるばかりか、ただでさえ長い原告の時間外勤務時間をさらに増大させる甚だ不条理なものであって、原告に対して質的にも量的にも大きな心理的負荷を与えたものといえる。

3.残業時間の修正の強要が職員に大きな心理的負荷を与えると認められた例

 精神障害の労災認定基準には、「業務に関し、違法行為を強要された」という類型が定められており、この類型の標準的な心理的負荷は「中」とされています。

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 本件は、残業時間を組織的に修正する業務の強要を、大きな心理的負荷を与える出来事として位置付けたことに特徴があります。

 量的過重だけでも大きな負荷があり、質的過重が公務起因性の認定にあたりどれだけ影響を及ぼしてたのかは不分明です。また、質的過重は飽くまでも公務起因性との関係で判断されているにすぎず、本件は残業時間の組織的修正を直接問題にした事件というわけでもありません。それでも、残業時間の組織的修正を不条理で職員に大きな心理的負荷を生じさせる業務だと位置付けたことは、サービス残業の横行する公務員の勤務関係において画期的な判断だと思われます。一朝一夕に解決する問題ではないにしても、これを機に、公務員のサービス残業の問題が少しでも改善に向かうことが期待されます。