1.固定残業代の有効要件
最一小判令2.3.30労働判例1220-5 国際自動車(第二次上告審)事件は、固定残業代の有効要件について、
「通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要である・・・。そして、使用者が、労働契約に基づく特定の手当を支払うことにより労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったと主張している場合において、上記の判別をすることができるというためには、当該手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていることを要するところ、当該手当がそのような趣旨で支払われるものとされているか否かは、当該労働契約に係る契約書等の記載内容のほか諸般の事情を考慮して判断すべきであり・・・、その判断に際しては、当該手当の名称や算定方法だけでなく、上記・・・で説示した同条の趣旨を踏まえ、当該労働契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならない」
と判示しています。
傍線部の一番目は「判別要件」「明確区分性」などと言われています。傍線部の二番目は「対価性要件」と言われています。
固定残業代が有効であるといえるためには、判別要件、対価性要件が充足されなければならないのはもちろんですが、判別要件、対価性要件を論じるにあたっては、前提として賃金に固定残業代が含まれることが立証されなければなりません。
この固定残業代の合意に関し、近時公刊された判例集に、注目すべき判断を示した裁判例が掲載されていました。東京地判令4.4.12労働判例1276-54 酔心開発事件です。
2.酔心開発事件
本件で被告になったのは、飲食店の経営等を目的とする株式会社です。
原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、被告が経営する店舗(本件店舗)において、厨房スタッフ(料理長)として勤務していた方です。被告を退職した後、
① 在職中の時間外労働に係る割増賃金の未払分、
② 労働基準法114条に基づく付加金、
③ 割増賃金請求に係る弁護士費用、
④ 在職中の被告による不法行為を理由とする損害賠償
を請求する訴えを提起したのが本件です。
本件では、①との関係で、固定残業代の有無及びその効力が争点の一つになりました。
本件の原告は、労働契約の締結時(平成22年2月15日頃)に、
「給料 24万円(休日手当並びに深夜にかかる割増分含む)」
と書かれた「雇用通知(月給)」と題する書面に署名していました(平成22年雇用通知)。
被告は、この記載を前提としたうえ、面接時に給与のうち4万円が固定残業代であることなど、固定残業手当制度の内容・趣旨及び金額等を説明したと主張しました。
これに対し、原告は、固定残業代について合意した事実はないと反論しました。
両当事者の主張を受けた裁判所は、次のとおり判示し、固定残業代の合意の成立を否定しました。
(裁判所の判断)
「被告は、本件労働契約の締結の際における原告との面談において、B部長が、原告に対し、24万円の給料のうち20万円が基本給で、うち4万円が固定残業代である旨を説明し、原告もこれを承諾したと主張し、B部長は、その証人尋問においてこれに沿う供述をする。また、平成22年雇用通知書には、『③給料』として『給240、000円(休日手当並びに深夜にかかる割増し分含む)』と、また、『⑤勤務時間』として『1日8時間(拘束9時間)以内を原則とし、店の繁忙閑散に応じ加減することがある。(給料の加算減算なし)』と、それぞれ記載されており・・・、これらの文言は、本件労働契約締結時に基本給に固定残業代が含まれる旨を説明したという上記B部長の供述に整合している。」
「しかしながら、平成22年雇用通知書にある固定残業代制を窺わせる記載は、上記のものだけであり、給料24万円のうち幾らが固定残業代であるのかなど、固定残業代の具体的内容に関する記載はない。また、本件全証拠を検討しても、24万円の給料のうち20万円が基本給で4万円が固定残業代である旨を説明したという上記B部長の供述を裏付けるに足りる証拠はない。」
「そうすると、仮に、被告が本件労働契約締結時に給料24万円に固定残業代が含まれる旨を説明していたとしても、被告が原告にその内訳を説明して合意をしたとは認められないから、被告の主張する固定残業代は、基本給部分とこれに対する割増賃金部分を明確に区分することができないものであり、無効である。」
3.整合的な書面があっても、口頭で説明しただけでは固定残業代合意は成立しない
上述のとおり、裁判所は、「割増し分含む」という書面と、それと整合する
「24万円の給料のうち20万円が基本給で4万円が固定残業代である旨を説明した」
という被告側証人(B部長)の証言があってもなお、
「平成22年雇用通知書にある固定残業代制を窺わせる記載は、上記のものだけであり、給料24万円のうち幾らが固定残業代であるのかなど、固定残業代の具体的内容に関する記載はない。また、本件全証拠を検討しても、24万円の給料のうち20万円が基本給で4万円が固定残業代である旨を説明したという上記B部長の供述を裏付けるに足りる証拠はない」
などと述べたうえ、
「被告が原告にその内訳を説明して合意をしたとは認められない」
と判示しました。
これは、事実上、
書面に固定残業代の金額が明記されていなければ固定残業代の合意は認められない
と述べているに等しく、固定残業代が無効となる範囲を広くとる判断です。
固定残業代は労働契約の締結時に明確な説明のないまま導入・運用されている例が多々みられます。そうした事案で労働者が残業代を請求するにあたり、本裁判例は先例として広く参照されて行くことが考えられます。