1.公務員のセクハラの特殊性-主観的要件の存在
人事院規則10-10(セクシュアル・ハラスメントの防止等)第2条1号は、セクシュアル・ハラスメントの概念を、
「他の者を不快にさせる職場における性的な言動及び職員が他の職員を不快にさせる職場外における性的な言動」
と規定しています。
ここで言う「性的な言動」については、
「人事院規則10―10(セクシュアル・ハラスメントの防止等)の運用について(平成10年11月13日職福―442)」
という下位規範によって、
「『性的な言動』とは、性的な関心や欲求に基づく言動をいい、性別により役割を分担すべきとする意識又は性的指向若しくは性自認に関する偏見に基づく言動も含まれる。」
と定義されています。
人事院規則10―10(セクシュアル・ハラスメントの防止等)の運用について
つまり、国家公務員のセクシュアル・ハラスメントの成立には、言動が、
「性的な関心や欲求」
に基づいている必要があります。これは国家公務員に係るルールですが、地方公務員を抱える多くの自治体でも、これに準じた考え方が採用されています。
近時公刊された判例集に、この「性的な関心や欲求」の意味内容を判示した裁判例が掲載されていました。東京高判令6.10.29労働経済判例速報2573-35 国・静岡刑務所長事件です。
以前、同じテーマで、東京地判令6.4.25労働経済判例速報2553-21、労働判例ジャーナル149-66 国・静岡刑務所長事件を紹介しましたが、本件は、その控訴審になります。
公務員のセクハラと「性的な関心や欲求」 - 弁護士 師子角允彬のブログ
2.国・静岡刑務所長事件
本件で原告になったのは、刑務所処遇部に所属する准看護師資格を有する刑務官(国家公務員)の男性です。
この方は、部下(女性職員A)の業務が成果に結びつかなかったことに対し「それは、お前のマスターベーションだ。」と発言したこと等を理由に減給(3か月間、俸給の月額の100分の20)の懲戒処分を受けました。
これに対し、原告側は、「自己満足だ」と注意する趣旨で使った言葉であり、そこに性的な意思はなかったと主張し、処分の取消を求める訴えを提起しました。
原審が請求を棄却したことを受け、原告側が控訴したのが本件です。
原告側は控訴審でも同様の主張を展開しました。
しかし、裁判所は、次のとおり述べて、性的な関心や欲求はあると判示し、原告側の控訴を棄却しました。
(裁判所の判断)
「控訴人は、
〔1〕『それは、お前のマスターベーションだ』との発言は、Aの業務が成果に結びつかなかったことについて説諭する際にされたものであり、自己満足であることを指摘する言葉として必要性や相当性がないことが明らかとはいえない旨、
〔2〕マスターベーションという言葉は控訴人の上長からの受け売りであって上長の言動が問題視された事実はないこと、人目につかない場所で行われたのではなく多数の同僚の前で発言しており第三者の目を気にしてもいなかったことなどから、控訴人の発言が性的関心や欲求に基づいたものでないことは明らかである旨、
〔3〕控訴人が、Aに対して肉体関係を迫ったり、男女交際を求めたり、Aの胸や尻を触ったりしたことはなく、Aも控訴人から性的欲望の対象になっていると感じたことはないと述べており、控訴人がAに性的に心惹かれていること、Aに性的な注意を向けていること、Aを性的に強く欲しがって求めていることと結びつく事情はなく、注意、指導の一環としての発言である旨を主張し、
処分理由〔1〕の行為は、性的関心や欲求に基づく言動ではない旨を主張する。」
「しかしながら、上記〔1〕については、自己満足であることを指摘する際に、殊更に『お前のマスターベーションだ』との文言を用いる必要性も相当性もないことは明らかである。また、上記〔2〕において控訴人が指摘する事実は、控訴人の上長、控訴人及びその周囲の者らにおいてセクシュアル・ハラスメントに関する問題意識が低かったことを示すにとどまり、控訴人の発言が性的関心や欲求に基づいたものでないことを裏付けるに足りる事情ではない。」
「そして、上記〔3〕については、人事院規則10-10(セクシュアル・ハラスメントの防止等)が規定する『性的な言動』とは、『人事院規則10-10(セクシュアル・ハラスメントの防止等)の運用について』により『性的な関心や欲求に基づく言動』を意味するものと敷衍されているところ、ここにいう『性的な関心や欲求に基づく言動』については、控訴人が上記挙示するような対象者に対する直接的、生理的な欲求に基づく言動等に限定されるものでないことは、上記『人事院規則10-10(セクシュアル・ハラスメントの防止等)の運用について』が『性別により役割を分担すべきとする意識又は性的指向若しくは性自認に関する偏見に基づく言動も含まれる』として、性の概念や性の在り方に関わる意識ないし心情に由来する言動であっても、『性的な関心や欲求に基づく言動』に包含されることを注意的に規定していることからも明らかである。このような規定の内容に照らし、人事院規則10-10は、『性的』意味合いを持ち、他の職員等を不快にさせるハラスメント行為を防止することを目的とする規定であると解するのが相当であり、かかる趣旨にかんがみると、『性的な関心や欲求に基づく言動』には、上記の対象者に対する直接的、生理的な欲求に基づく言動のみならず、対象者に性的な文脈において羞恥、困惑、嫌悪等の感情を抱かせる言動も含まれるものと解するのが相当であり、また、『性的な関心や欲求に基づく言動』と評価されるについては、問題とされる行為が専ら性的な関心や欲求に基づく言動である必要はなく、他の目的ないし意図を併存させていたとしても、『性的な関心や欲求に基づく言動』であることが否定されるものではないというべきである。そして、問題とされる言動が、一般通常人ないし行為の対象者が属する性的範疇に属する一般的な者の意識ないし受け止めから見て、『性的な関心や欲求に基づく言動』であると評価される言動である場合、特段の事情がない限り、性的な関心や欲求に基づくものであると推認することが相当である。以上を踏まえて検討すると、処分理由〔1〕の行為は、当該文言を用いる必要性も相当性もないにもかかわらず、『マスターベーション』という性的行為の意味を併せ持つ卑わいな印象を与える用語を、業務上の指導というAが回避できない状況で、A自身の行為の評価の比喩として用いたものであって、仮に控訴人にAに注意又は指導する目的ないし意図があったとしても、一般通常人ないし行為の対象者が属する性的範疇に属する一般的な者の意識ないし受け止めから見て、対象者に性的な文脈において羞恥、困惑、嫌悪等の感情を抱かせるものとして、『性的な関心や欲求に基づく言動』であると評価される言動であり、別異に認定すべき特段の事情も認められないから、処分理由〔1〕の行為は、性的な関心や欲求に基づくものであったと推認される。」
3.性的な意味合いのある単語が入ったら、その時点でアウトだろう
裁判所は割と強烈なことを言っていて、
性的な言動にあたるためには、対象者に対する直接的、生理的な欲求に基づく言動でなくても構わない、
専ら性的な関心や欲求に基づく言動である必要もない、
対象者が属する性的範疇に属する一般的な者の意識ないし受け止めから見て、『性的な関心や欲求に基づく言動』であると評価される言動である場合、特段の事情がない限り、性的な関心や欲求に基づくものであると推認される、
としています。
このルールに従うと、性的な意味合いを持つ単語を発してしまったら、おそらくその時点でアウトで、性的関心や欲求を否定するのは難しそうに思います。
セクハラ事件の行為者側は、処分を受けた時にその効力を争いにくいので、職場での言動には普段から細心の注意を払っておく必要があります。