弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

昼食の時間を犠牲にせざるを得ない従業員に「昼食をとらないと人事考課を下げるぞ」と要求することによる心理的負荷

1.二律背反の指示

 従業員の悩みの一つに、上司からの矛盾する指示があります。

 例えば、業務量が多く、とても時間内に業務を終えることができないにもかかわらず、「残業をしないように」といった命令を受けるような場合が典型です。

 この種の二律背反は、労働者に強いストレスを生じさせます。

 それでは、こうした両立困難な指示は、どの程度の心理的負荷を生じると理解されるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、この問題を考えるうえで参考になる裁判例が掲載されていました。一昨日、昨日とご紹介している、名古屋高判令6.9.12労働経済判例速報2570-20 国・瀬戸労基署長(東濃信用金庫)事件です。

2.国・瀬戸労基署長事件

 本件は労災(葬祭料)の不支給処分の取消訴訟です。

 原告(控訴人)になったのは、信用金庫の職員(自殺)の方の父親です。

 自分の子が自殺したのは、業務上の過大なノルマ(営業目標)の設定や上司によるパワーハラスメント等により精神障害を発病したからだと主張し、葬祭料の支給を申請しました。

 しかし、処分行政庁は、精神障害の発病が認められないなどとして、葬祭料の不支給処分を行いました。これに対し、原告の方は処分の取消を求めて出訴しました。

 一審判決が原告の請求を棄却したため、原告側が控訴したのが本件です。

 控訴審裁判所は、ハラスメントによる精神障害の発病を認めたうえ、原判決を破棄し、原告の請求を認めました。

 裁判所は複数のハラスメントの存在を認めましたが、その中の一つに、両立困難な状況下における両立の指示がありました。これは、事務処理上、昼食をとれない従業員に対し、「昼食とらないと人事考課を下げるぞ」などと威迫していたものです。

 裁判所は、これについて、次のとおり述べて、心理的負荷の程度は非常に強いものであったと評価しました。

(裁判所の判断)

「Aは事務処理にミスが多く、渉外活動日報の手書き部分を乱雑に記載しており、事務処理での不備発生が多いとして改善の必要性が指摘され、さらに、作業の効率も課題とされていたこと、Aの上記ミス等に対して、B支店長は日常的に大声で叱責していたことが認められる。」

「Aは、信用金庫の営業職として、金銭に関わる事務処理の正確さや丁寧さが求められるし、同じような不注意による単純ミスや乱雑な記載が繰り返されていたことからすれば、B支店長が上司としてAに対し事務処理の改善を促すため叱責することは、それだけで直ちに合理性を欠くということはできない。しかし、B支店長の叱責の態様は、強い表現を用い、大声で激しく行うものであるし、Aは、B支店長のターゲットにされてしまい、平成29年4月頃には、『バカ野郎!』、『横領してるからそうなるんじゃないか』、『無駄に仕事してるふりしてるなら客をとってこい!』などと罵倒されるなど、他の職員と比較しても特に厳しく叱責されていたもので、叱責の内容として事務処理の改善を促す趣旨のものが含まれていたとしても、業務上必要かつ相当な範囲を逸脱するものといわざるを得ない(なお、字が下手な者にとっては、時間を使って相当の努力をしなければ、丁寧な字を書くことができないのであって、時間がない中で丁寧な字を書くことを要求されることは非常に苦痛でストレスとなるのであるが、元々綺麗な字を書くことができる者にはこれを理解できない可能性が高い。)。」

「B支店長が、Aが店舗内で昼食をとらないのを叱責していたことについては、得意先係が顧客訪問で預かった金銭や書類等を所持したまま外食に立ち寄ると紛失や盗難のリスクが高まることから渉外活動中の外食が禁止されており・・・、仮にそのような趣旨による叱責であったとすれば、『コンプライアンス違反』などと述べたことも、業務上必要な指導であったと評価できる可能性もある。しかし、Aは、そもそも昼食をとっていなかった(とることができなかった)のであって、外食をしていたわけではないから、コンプライアンス違反ではない。」

「また、B支店長が、『昼食をとらないと人事考課を下げるぞ』などと降格等の処分を示唆したことについては、仮に昼食をとる時間を確保できるよう効率的な事務処理を求める趣旨であった(ただし、そのように善意なものであったとは認められない。)としても、一般のサラリーマンにとっては死活問題である現実的な不利益を告知するものであり、業務上必要かつ相当な指導の範囲を超えるものであったというべきである。しかも、前述のとおり、Aは、営業目標の達成を強く要求され、これを達成しようとすれば顧客との対応に時間を使わざるを得ないのに、これと同時に、丁寧でミスのない事務処理も要求され、これを行うための残業は認めてもらえない中で、止むを得ず行っていた昼食時間の事務処理に対して、『人事考課を下げるぞ』などと明白な不利益を告知されていたのである。そして、本件信金は、顧客に対し、時間をかけた丁寧な対応をしなければ、他の金融機関に競り負ける状況にあり、Aは、そのために案件がとれないことが続いていたのである。」

「すなわち、Aは、残業をせず、勤務時間終了までに丁寧でミスのない事務処理を行うためには、事務処理のための時間を増やす必要があり、そのためには昼食時間を犠牲にせざるを得ず、逆に、昼食時間を確保するためには、顧客対応の時間を短くせざるを得ないところ、顧客対応の時間を短くすれば、丁寧な対応ができず、他の金融機関に競り負けるなどして、案件がさらに取れなくなり、営業目標が達成できず、「給料泥棒」などとB支店長からさらに激しく罵倒される(激詰めされる)という二律背反の進退窮まった状況にあったのである。これらを両立させ、顧客との接遇に時間をかけずに、契約締結を実現できれば望ましいことではあるが、両立することが困難な状況において、他に望ましい状態があり得ることによって、両立できない困難な状況にあった者の心理的負荷が小さくなるものではない。また、両立させることが困難な状況において、上司は、それらの両立を要求してはならないというべきである。そうすると、Aの置かれていた上記のような状況が、通常の精神の持ち主であったとしても耐え難い状況であることは容易に理解できるものであり、しかも、AはB支店長の強い叱責のターゲットにされていたのであって、本件信金での勤務を続ける限りこのような身動きの取れない状況から逃れることができなかった(本件信金では、上司のパワハラを訴えても、それが改善される見込みが乏しかった)のであるから、その心理的負荷の程度が非常に強いものであったことは明らかである。

3.できない人間に思いを馳せることなく両立困難な指示を出したらダメ

 上述のとおり、裁判所は、字の巧拙について珍しい言及をしています。

 これは単に変わった判示だからというよりも、

元々できる人間には、できない人間が感じているストレスを理解し難い

という一般的経験則を判示したものとして注目に値します。

 現場で一定の成績をあげて上司になった方の注意、指導は、しばしばエスカレートして過酷なものになりがちです。裁判所の判示は、その背景要因を述べたものとして参考になります。

 また、裁判所は、両立困難な状況のもと、両立を要求することはダメだと判示しました。二律背反の指示が出され、それによって労働者が精神的苦痛を感じている例は決して少なくありません。こうした事案で、業務命令権行使の適否を議論して行くにあたっても、裁判所の判断は活用できる可能性があります。

 事例判断ではありますが、本件は活用の幅が広い事案だと思います。