1.同僚からの暴力と労災
労働者災害補償保険法7条1号は、
「労働者の業務上の負傷、疾病、障害又は死亡」
に関し、保険給付を行うことを定めています。
同僚から暴力を振るわれたことが「業務上の」災害といえるのか否かに関し、
平成21年7月23日 基発0723第12号 都道府県労働局長あて厚生労働省労働基準局長通知「他人の故意に基づく暴行による負傷の取扱いについて」は、
「業務に従事している場合又は通勤途上である場合において被った負傷であって、他人の故意に基づく暴行によるものについては、当該故意が私的怨恨に基づくもの、自招行為によるものその他明らかに業務に起因しないものを除き、業務に起因する又は通勤によるものと推定することとする」
と規定しています。
要するに、
① 私的怨恨に基づく暴行、
② 自招行為による暴行、
③ その他明らかに業務に起因しない暴行
以外は、業務起因性を認めるということです。
字面だけを見ると、同僚から暴力を振るわれた場合には、基本的に労災で保護されるようにも思われます。
しかし、この「私的怨恨に基づく暴行」という類型が曲者で、この言葉の解釈によって、労災の適用範囲は大きく左右される関係にあります。
かみ砕いて言うと、人が何の恨みも持っていない他人を殴るというケースは、現実には殆どありません。人が人を殴る時には、大抵、何らかの怨恨が関係しています(その怨恨が正当なものなのか/理解できるものなのかは全く別の問題です)。これが広く私的怨恨に基づく暴行に該当するものとして整理されてしまうと、例外類型であるはずの「私的怨恨に基づくもの」が暴行事案の圧倒的多数を占めることになり、労働者が救済される余地は極めて狭くなります。
それでは、この「私的怨恨に基づくもの」は、どのように理解されるのでしょうか?
この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令6.1.24労働判例ジャーナル151-50労働経済判例速報2561-33 国・向島労基署長事件です。
2.国・向島労基署長事件
本件は労災の不支給処分の取消訴訟です。
原告になったのは、株式会社Eでトレーラー運転手として勤務していた方です。
勤務先で同僚のトレーラー運転手Dから暴行を加えられ、負傷のため就労することができなかったとして休業補償給付の支給を申請しました。
しかし、処分行政庁から不支給処分を受けたため、その取消を求めて出訴したのが本件です。処分行政庁が依拠したのが上記通達で、被告側は、不支給処分の理由について、次のとおり主張しました。
(被告の主張)
「Dは、原告について、普段から年下と見て嫌がらせをされていたために個人的に恨んでいたと述べている。実際に、Dは、本件暴行の際に、原告に対して『寝てるのにトントンしてきた違うんか。』(DがD車両内で仮眠をしてる際に、原告が窓を叩く嫌がらせをしてきたという趣旨)などと、原告の過去の行為に関する発言をしていた。そうすると、Dは、元々原告に悪感情を有していたものと認められる。」
「また、原告は、本件暴行の前、まだD車両が停止している状態だったにもかかわらず、Dに対して『コラー。』などと怒鳴りつけており、また、トレーラーヘッドと原告のバイクとは接触しておらず、その危険もなかったのに、『ぶつけ【て】んじゃねぇよ。』などと因縁をつけている。これらの行為は、Dによる暴行を自招するものである。」
「さらに、Dも本件暴行の際に全治1週間を要する見込みの左肩関節捻挫の傷害を受けていることからすれば、本件暴行は原告とDとのけんかと評価すべきものである。」
「以上によれば、本件暴行は原告に対して悪感情を有していたDが、原告から因縁をつけられたことで生じたけんかであるから、本件暴行から生じた本件負傷と業務との間には相当因果関係がない。」
これに対し、裁判所は、暴行による負傷の業務起因性を認めるとともに、次のとおり述べて、被告の主張を排斥しました。
(裁判所の判断)
「被告は、Dが原告に対して元々悪感情(私的な恨み)を有していたと主張し、確かに、前記・・・のとおり、Dは処分行政庁等において原告に対して普段から嫌がらせのいじめにあっていたために個人的に恨んでいたと伝えている。」
「しかしながら、Dが具体的な事例として挙げるものは、そのほとんどが本件暴行から数か月以上前のことであるし、その個々の事例も直ちに暴行につながる程の恨みの原因になるものとはいえない。また、前記・・・のとおり、本件暴行に至る経緯は、DがD車両を駐車しようとした際に原告から注意されたことに激高したというものであり、D第2降車中までの間は専らこのことに関するやりとりがされ、Dが初めて過去の出来事に言及したのはD第2降車中とD第3降車中の間になってからのことである。前記・・・のとおり、原告及びDの同僚が原告とDとの間にトラブルがあるとの認識も有していなかったことも考慮すると、Dが、本件暴行より前から、原告に対して暴行を加えようとする程に強固な恨みを抱いていたとみることはできない。」
「したがって、Dが本件暴行中に過去の出来事に言及したのは、それまでのやりとりで興奮して原告への怒りを高める中で、過去の不満が思い出されたために口に出したに過ぎないものとみるべきである。また、Dが本件暴行後に原告への恨みについて言及したのも本件暴行を経た上での原告への憎しみに基づくものとみるべきである。そうすると、Dの原告に対する元々の悪感情は、本件暴行について何ら影響がないとはいえないとしても、それが本件暴行の原因とみることはできない。」
3.加害者が言ったからといって即「私的怨恨に基づくもの」にはなるわけではない
上述のとおり、裁判所はDが「個人的に恨んでいた」と述べていた事実を認定しつつ、暴行は「私的怨恨に基づくもの」にあたるとは考えませんでした。何でもかんでも「私的怨恨に基づくもの」類型に放り込まれないように、一定の合理的なタガを嵌めたものとして評価できます。
当たり前ですが、人を殴ることは仕事そのものではありません。そうした直観的判断が先行するためか、業務中の暴行事件の業務関連性、業務起因性は、実務上、しばしば問題になります。
そうした事件に取り組むにあたり、裁判所の判断は、実務上参考になります。