1.実労働時間の主張立証責任
割増賃金(残業代)を請求するにあたっての実労働時間の主張立証責任は、原告である労働者の側にあります。したがって、割増賃金を請求するにあたっては、労働者の側で始業時刻・終業時刻を特定し、その間、労務を提供していたことを立証する必要があります。
実労働時間の立証について言うと、タイムカードがある事案では、それほどの困難はありません。
問題はタイムカードのない日の労働時間立証をどうするかです。
タイムカードのない日の労働時間の立証方法については、パソコンのログイン・ログオフ時刻を手掛かりにする、オフィスへの入退館記録を手掛かりにする、客観証拠で始業時刻・終業時刻を認定できる期間から推計するなど、実務上、様々な工夫が試みられてきました。
こうした工夫の一環として、興味深い方法がとられた裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。ここ数日ご紹介させて頂いている、東京地判令3.3.4労働判例1314-99 月光フーズ事件です。何が興味深いのかというと、「労働基準監督署において監督官から聞き取った時間を記録した書面」が活用されていることです。
2.月光フーズ事件
本件は、いわゆる残業代請求訴訟です。
被告になったのは、広島風お好み焼き等の飲食店等の各種店舗の経営等の事業を行う株式会社です。
原告になったのは、被告の広島風お好み焼き等を提供する店舗で働いていた方2名です。
本件の争点は多岐に渡りますが、その中の一つに実労働時間をどのように理解するのかという問題がありました。
この問題について、裁判所は、次のとおり判示しました。
(裁判所の判断)
「原告X1は勤務実績報告書を毎月被告に提出していたが,これに対し被告から何らか事実と異なる旨の指摘があったことをうかがわせる事情等は見当たらないことから,勤務実績報告書が存在する月・・・については,原則としてこれに基づいて始業時間及び終業時間を認定するのが相当である。また,下記・・・以外の部分で勤務実績報告書が存在しない部分及び原告の主張と勤務実績報告書の記載が異なる部分については,原告関係者が労働基準監督署において監督官から聞き取った時間を記載した書面(甲A4の2ないし5,7,14ないし18),シフト表・・・及び弁論の全趣旨により始業時間及び終業時間を認定するのが相当である。」
(中略)
「原告X2の始業時間及び終業時間については,前記認定事実・・・によれば,原告X2の勤務実績報告書及びタイムカード・・・,原告関係者が労働基準監督署において監督官から聞き取った時間を記載した書面(甲B8),シフト表・・・並びに弁論の全趣旨に基づき,以下の点を除いて,別紙2-2のとおり認定するのが相当である(以下の点を反映したものが別紙4-2である。)。」
3.教えてもらえることもあるのか?
労働基準監督官には、私人にはない種々の権限が与えられています。
例えば、労働基準法101条1項は、
「労働基準監督官は、事業場、寄宿舎その他の附属建設物に臨検し、帳簿及び書類の提出を求め、又は使用者若しくは労働者に対して尋問を行うことができる。」
と規定しています。また、労働基準法102条は、
「労働基準監督官は、この法律違反の罪について、刑事訴訟法に規定する司法警察官の職務を行う。」
と規定しています。
割増賃金(残業代)の支払義務は、労働基準法37条に規定されていて、労働基準法37条違反は、労働基準法119条1号により、
「六箇月以下の懲役又は三十万円以下の罰金」
に処せられる犯罪として規定されています。
したがって、労働基準監督官は、割増賃金(残業代)の不払については、犯罪に対して活用される捜査権限を行使することもできます。
ただ、このような法律上の権限を行使して集めた証拠に関しては、守秘義務が課せられています。労働基準法105条は、
「労働基準監督官は、職務上知り得た秘密を漏してはならない。労働基準監督官を退官した後においても同様である」
と規定しており、それほど簡単に情報が外部に出ることはありません。
そのため労働基準監督官経由で日々の労働時間に関する情報を収集することは難しいようにも思われていたところですが、教えてもらえることもあるようです。
そして、教えてもらえた場合、それを書き留めたメモは、一定の証拠力を持ち、裁判所での事実認定に活用されることもあります。
残業代を請求するための実労働時間の立証方法として、実務上参考になります。