弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

「残業代の請求をした場合には人事評価が下がる」との発言に違法性が認められた例

1.残業代請求の妨害

 残業代が支払われないことに対し、労働者が残業代を請求しようとすると、会社側から陰に陽に嫌がらせを受けることがあります。人事権を背景とした「残業代の請求をした場合には人事評価が下がる」という脅しは、その典型であるといえます。

 こうした言動は、それ自体、違法とはいえないのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令6.2.5労働判例ジャーナル150-28 アイエスエフネット事件です。

2.アイエスエフネット事件

 本件で被告になったのは、情報システムの設計、施工、保守及びコンサルタント業務等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告の従業員の方です。取締役らからパワーハラスメント等を受けて適応障害を発症したなどと主張し、安全配慮義務違反等を理由に、慰謝料等を請求する訴えを提起したのが本件です。なお、原告の方は、別途、割増賃金(いわゆる残業代)も請求していましたが、この点については裁判上の和解が成立しています。

 本件で原告が問題にした行為は多岐に渡りますが、その中の一つに、上司であるg部長の

「残業代の請求をすると原告の人事評価が下がるので止めた方がよい」

という発言がありました。

 この発言について、裁判所は、次のとおり述べて、違法性を認めました。

(裁判所の判断)

g部長発言は、原告に対して、残業代の請求をした場合には人事評価が下がる旨を伝えたものであり、原告の権利行使のための行為を不当に阻害するものであるといえる。

「被告は、g部長発言は、原告が残業調整等によって被告に定められた方法によって勤怠報告をしていなかった点を指摘して、そのような状況で残業代請求をすることの問題点を指摘したのみであり、原告の権利行使を妨げる意図はなかったと主張する。しかしながら、前記・・・のとおり、残業調整については原告のみを非難することはできないものであるし、前提事実・・・のとおり、令和2年3月頃から原告の残業の調査は継続的に実施されていたのであるから、遅くともg部長発言があった時点においては、被告においても、原告による残業調整が専ら原告の責めによるものではないことを理解していてしかるべきだったといえる。そうすると、g部長の意図が被告の主張するとおりであったとしても、g部長発言は正当化されない。」

したがって、g部長発言は、違法なものといえる。

3.権利行使の妨害の違法性が認められた

 読者の方には、このような発言に違法性が認められるのは当然だと思う方もいると思います。

 しかし、弁護士的な感覚で言うと、決して当然ではありません。裁判においては、違法と適法との間に、

「不適当ではあるが、違法とまではいえない」

という広大なゾーンが存在しているからです。誰がどう見ても不適切な言動であったとしても、単発の発言などは、

「不適当ではあるが、(金銭賠償を必要とするほどの域に達しているという意味で)違法とまではいえない。」

といった形で違法性が否定される例が少なくありません。

 そのため、今回、裁判所が、残業代請求を阻止するための言動に違法性を認定したことは、私には画期的なことであるように思われます。

 特に注目されるのは、g部長の発言がサービス残業を強いる会社で用いられる典型的な言動であることです。この種の言動は、実務上頻繁に観測されます。他の同種事案に広く活用して行くことが考えられ、本裁判例は、実務上参考になります。