弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

業務命令権濫用の判断枠組み

1.業務命令権濫用の判断枠組み

 労働契約法6条は、

「労働契約は、労働者が使用者に使用されて労働し、使用者がこれに対して賃金を支払うことについて、労働者及び使用者が合意することによって成立する。」

と規定しています。

 労働契約に基づいて、使用者は、労働者を使用すること、言い換えると、業務命令権を行使することができます。

 ただ、業務命令権を行使できるとはいっても、権限を逸脱・濫用することは許されません。逸脱・濫用した業務命令に対しては従わなかったとしても法的責任を負いませんし、損害が生じた場合には、その賠償を使用者に請求することもできます。

 それでは、ある業務命令が、権限を逸脱・濫用したものであるのかどうかは、どのように判断されるのでしょうか?

 この問題に関しては、

配転命令権の権利濫用性について、

「使用者は業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定することができるものというべきであるが、転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、使用者の転勤命令権は無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することの許されないことはいうまでもないところ、当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であつても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもつてなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべきである。右の業務上の必要性についても、当該転勤先への異動が余人をもつては容易に替え難いといつた高度の必要性に限定することは相当でなく、労働力の適正配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与する点が認められる限りは、業務上の必要性の存在を肯定すべきである。」

と判示した東亜ペイント事件(最二小判昭61.7.14労働判例477-6)の判断枠組に準拠して判断されるという見解があります。例えば、水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕493頁は、

「この判例(東亜ペイント事件 括弧内筆者)の判断枠組みは、配転命令のみならず、業務命令、出向命令、降格、懲戒処分など他の使用者の人事上の命令・措置・処分などにも同様にあてはまりうる一般的な枠組みを示したものといえる」

と記述しています。

 しかし、近時公刊された判例集に、業務命令権の権利濫用性について、東亜ペイント事件を引用しながらも、これとは異なる言い回しの判断枠組みを用いた裁判例が掲載されていました。大阪地判令3.4.8労働判例1282-48 サービック事件です。

2.大阪地判令3.4.8労働判例1282-48 サービック事件

 本件で被告になったのは、、新幹線車両の清掃整備業務等を行う株式会社(被告会社)とF事業所(本件事業所)の所長(被告Y1)、本件事業所の副所長兼科長(被告Y2)です。

 原告になったのは、訴外東海旅客鉄道株式会社から被告会社に出向し、本件事業所に所属して、新幹線車内の清掃や簡易な修繕業務に従事していた方2名です(原告X1、原告X2)。自宅待機中に命じられた課題を作成、提出しなかったところ、自宅待機が命じられるべき日に出勤を命じられ(本件出勤指示1~3)、不必要に新型コロナウイルス感染症への感染の危険にさらされたなどと主張し、出勤命令(清掃業務等の命令)を不法行為として構成したうえ、被告に対し、損害賠償(慰謝料)の支払いを求める訴えを提起しました。

 裁判所は、結論として本件原告らの請求を棄却しましたが、ある業務命令が業務命令権の濫用・逸脱と判断されるのか否かを決する場面において、次のような判断基準を採用しました。

(裁判所の判断)

「本件出勤指示1は、被告会社が、原告X1に対し、『5組』『1組』といった、一定の内容の新幹線車両の清掃業務を行うことを命ずるものであり、本件出勤指示2は、原告X2に対し、『5組』『検C』といった同様の清掃又は修繕業務を命じるものであったことが認められる・・・。被告会社の就業規則によれば、従業員の業務内容(勤務)は、被告会社が指定するものとされているから・・・、被告会社には、原告X1に対し、労働契約上、業務の具体的内容を決定する人事上の裁量権を有するものと解される(最高裁判所第二小法廷昭和61年7月14日判決・集民148号281頁(東亜ペイント事件 括弧内筆者)参照)。」

「すると、被告会社が従業員に対して一定の業務への従事を指示することが、他の従業員との間で不利益な取扱いをするものとして、不法行為上、違法性を有するのは、被告会社が一定の業務への従事を指示することによって前記裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したと評価されることを要するものと解するのが相当であり、この判断に当たっては、①当該業務指示に係る業務上の必要性、②当該業務に従事することによって当該従業員に生ずる不利益の程度、③従業員間における業務内容に関する負担又の相違の有無、程度及び合理性といった観点から検討するのが相当である。

3.東亜ペイント事件と異なる規範が用いられているのではないか

 東亜ペイント事件は、配転命令が権利濫用として無効になる場合として、

① 業務上の必要性がない場合、

② 業務上の必要性があっても、他の不当な動機・目的のもとでなされたとき、

③ 業務上の必要性があっても、著しい不利益を受ける場合

の三つの類型を掲げています。

 対して、本裁判例は業務命令権の逸脱・濫用の有無を、

①当該業務指示に係る業務上の必要性、

②当該業務に従事することによって当該従業員に生ずる不利益の程度、

③従業員間における業務内容に関する負担又の相違の有無、程度及び合理性

といった観点から検討するといったように、①~③の要素を総合して判断すると述べています。着眼点についての言い回しも微妙に異なり、本裁判例は東亜ペイント事件とは似て非なる基準を用いているように思われます。

 こうした裁判例が出現すると、業務命令権の逸脱・濫用を争う場合に、いずれの裁判例を引用して論証を試みるのかを考えることができるようになります。

 本件は労働者側敗訴の事案ではありますが、活用できる規範の選択の幅を広げるという意味において、事件処理の参考になります。