弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

取締役退任登記後、雇用保険に加入し、基本給の支払いを受けながら働いていても、労働者性が否定された例

1.使用人兼務取締役

 一部例外はありますが、使用人(従業員)と取締役を兼務することは、禁止されているわけではありません。この場合、労働契約と委任契約とが併存することになります。

 併存している契約は、どちらが一方の終了により、他方も当然に終了することになるわけではありません。取締役としての地位を喪失しても、従業員としての立場を保持し続けることはありますし、従業員としての立場を失ったからといって、取締役の地位が奪われるわけではありません。

 取締役を退任した後も同じ会社で働き続けている場合、その方の立場は、

従業員兼取締役であったところ、取締役のみ退任した、

取締役退任後、労働契約を締結した、

のいずれかと理解される例が多いのではないかと思います。

 しかし、近時公刊された判例集に、取締役退任後、雇用保険に加入し、基本給の支払いを受けながら働いているにもかかわらず、労働者性が否定された裁判例が掲載されていました。大阪地判令4.11.25る同判例ジャーナル132-60 河野総合経営システム事件です。

2.河野総合経営システム事件

 本件で被告になったのは、貸会議室、貸会場の経営等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、昭和29年生まれの女性です。昭和62年に被告代表者と婚姻し、平成5年6月に被告の取締役に就任しました。

 その後、平成14年7月に協議離婚が成立し、平成16年7月5日には被告の取締役を退任した旨の登記がなされました。

 しかし、その後も被告の事業への関与を続け、令和2年5月10日までは被告に出社していました。

 本件の原告は幾つかの請求をしていますが、その中の一つに、労働契約に基づく退職金請求がありました。原告は、被告との間で労働契約を締結していたと主張し、労働契約に基づく退職金を請求しました。

 これに対し、被告は、原告が労働者ではないと主張し、退職金支払義務の存在を争いました。

 本件で特徴的なのは、原告が基本給として報酬の支払いを受けていたほか、雇用保険に加入させてもらうなどの手続がとられてきたことです。

 それでも労働者ではないのかが問題になりましたが、裁判所は、次のとおり述べて、原告の労働者性を否定しました。

(裁判所の判断)

(1)判断の枠組み

「労働契約法2条1項、6条、労働基準法9条1項等の規定に照らせば、労働契約とは、労働者が使用者の指揮命令に従って労務を提供し、使用者がその対価として賃金を支払う契約であるといえる。そして、ある契約が労働契約であるか否かの判断は、上記の意味における実質的な使用従属性の有無を、原告が被告の事業に関与するに至った経緯、原告の職務遂行態様、報酬の労務対償性及びこれに関連する諸要素を勘案して総合的に検討されるべきものである。」

(2)争点に対する判断

 「以下では、原告が被告の指揮命令に従って労務を提供し、被告がその対価として賃金を支払っていたといえるか否かについて検討する。」

ア 原告が被告の事業に関与するに至った経緯

「原告は、昭和62年に被告代表者と婚姻し、被告代表者が法人たる被告を設立する前から営んでいた個人事業を被告代表者の配偶者として手伝い、被告代表者が被告を設立した当初、被告代表者と2人で、被告の運営に必要な業務を全般的に担当し、被告代表者と共に、被告の事業を軌道に乗せることに尽力した・・・。そして、原告は、被告が株式会社となった際には、被告の取締役に就任した・・・。」

「このように、原告は、被告の事業の立上げに当たり、被告代表者と共に中心的な役割を果たしていたものであり、被告社内における原告の立場は、原告自身が本人尋問においても供述したとおり、まさに、被告の『共同創業者』に当たるものであったということができる。この点に鑑みても、原告が被告の指揮命令に従って労務を提供する義務を負っていたとはにわかに考え難い。」

イ 原告の職務遂行態様

「原告は、被告において、経理関係業務を中心とする事務作業等を担当していたところ(・・・、本件全証拠によっても、上記業務の具体的な遂行方法につき、被告が原告に対して指揮命令権を行使していたものと認めることはできない。原告は、前記・・・のとおり、被告の『共同創業者』の立場にあり、被告の取締役として、被告の事業を運営していたものである。原告は、平成16年7月5日の取締役退任登記後も、社内においては『専務』と呼ばれており、被告代表者らと同様に、被告の役員として、その職務を遂行していたといえる。」

「被告の従業員の勤務日及び勤務時間は、被告が毎月作成するシフト表によって定められ、かつ、被告の従業員の労働時間は、タイムカードによって管理されていたのに対し、原告については、被告代表者を含む他の役員と同様に、シフト表は作成されず、かつ、タイムカードによる労働時間の管理もされていなかった・・・。このように、原告は、被告の業務に関与するに当たり、被告からの時間的拘束を受けていなかった。」

「原告は、役付手当が支払われる管理職である主任、係長、課長又は部長のいずれにも該当せず、被告に在籍していた期間中、有給休暇を取得したことはなく、かつ、就業規則において定められている65歳定年制の適用も受けてなかった・・・。これらの事情からしても、『共同創業者』としての立場にある原告には、被告の従業員に適用される就業規則や給与規定の適用がないことが前提とされていたといえる。」

「このように、原告は、被告において、『共同創業者』として被告の運営のために必要な職務を遂行していたものであり、こうした原告の職務遂行態様は、平成14年7月23日の被告代表者との離婚や、平成16年7月5日の取締役退任登記を経ても、特段、変化がなかったということができる。」

「なお、原告自身が本人尋問において供述したとおり、原告が被告代表者に対して取締役退任登記手続をすることを求めたのは、被告代表者との離婚が成立したのに被告の取締役として登記簿に名前が残ってしまうことが嫌だったからであって、原告が被告の「共同創業者」又は事実上の取締役としての立場を退いたことによるものとはうかがわれない。よって、取締役退任登記手続がされた事実は、上記認定を左右しない。

ウ 報酬の労務対償性

「被告は、原告が在籍していた期間中、同人に対し、月額170万円(年額2040万円)という極めて高額な金員を支払っており、上記の金員の支払は、原告が私傷病のために入院するなどして被告に出社しなかった時期においても続いていた・・・。」

「このように、被告が原告に対して支払っていた金員は、経理関係業務を中心とする事務作業を行う従業員による労務提供の対価としてはあまりにも高額なものであり、原告が被告の事業に関与していない時期においても継続的に支払われていたことからしても、報酬の労務対償性が認められないことは明らかといえる。被告は、原告の「共同創業者」又は事実上の取締役としての特別な地位に鑑み、他の従業員の賃金とは比較にならない程に高額な金員を報酬として支払っていたものと考えられる。」

エ その他の事情について

被告は、原告に対して月額170万円の報酬を「基本給」の名目で支払い、これに際して、健康保険料、介護保険料、雇用保険料、所得税及び住民税を控除しており、決算報告書においては、上記金員を役員報酬として処理していなかった(前記1(3)ア、ウ及びエ)。原告が平成16年6月29日に雇用保険の被保険者となったとされること(甲14)を含めて、上記の各事情は、原告の労働者性を肯定する方向に一定程度作用するものに当たり得る。

しかし、前記・・・の各事情は、いずれも、被告によって容易に作出することのできる外形的事情にすぎないものであるところ、前記・・・において説示したとおり、ある契約が労働契約に当たるか否かの判断は、一方当事者が他方当事者の指揮命令に従って労務を提供し、その対価として賃金の支払を受けるという意味における実質的な使用従属性の有無を、当事者間の契約の実態に照らして検討すべきものであるから、上記のような容易に作出することのできる外形的事情を重視するのは相当でない。

「なお、証拠・・・によれば、被告代理人は、令和2年7月20日付けで、原告代理人に対し、原告の退職金が565万円となることを前提とするかのような書面を送付していたことが認められるものの、被告代理人は、同書面において、原告が被告の設立時から被告の取締役にある旨の主張もしていたし、同年8月14日付けの書面においては、上記の金額は経緯を知らない公認会計士・税理士事務所の職員が退職金規定に従って機械的に計算した結果にすぎなかったとして、上記の同年7月20日付けの書面には誤りがあったとの指摘をしていたものである。そもそも、前記・・・のとおり、労働者性の判断は、当事者間の契約の実態に照らして実質的な使用従属性の有無を検討することを通じて行われるべきものであり、上記のような当事者間の書面のやり取りの内容についても重視するのは相当でない。

オ 小括

以上のように、原告は、被告の設立当初から、被告の『共同創業者』として、被告の事業活動において中心的な役割を果たしており、被告代表者との離婚後も、一貫して、『共同創業者』ないし『役員』としての立場から、被告の運営に必要な職務を遂行していたのであって、原告が被告の指揮命令に従って被告に対して従属的に労務を提供していたものと評価することはできない。また、被告が原告に対して支払っていた報酬の労務対償性が認められないことは明らかである。

こうした事情に鑑みれば、原告と被告との間の契約の性質が労働契約であったと認めることはできず、これに反する原告の主張を採用することはできない。

3.実体に踏み込んで労働者性を否定する必要があったのだろうか。

 裁判所は、職務遂行態様や報酬の労務対償性などを検討したうえ、原告の労働者性を否定しました。

 しかし、弁護士の労働者性が問題になった事案(横浜地川崎支判令3.4.27労働判例1280-57 弁護士法人甲野法律事務所事件)を紹介した時にも言及したとおり、当事者間で労働契約であることを前提とするかのような既成事実が積み重ねられている場合にまで、敢えて契約の実体に踏み込み、労働者であるのかどうかを振り分けることには、やや疑問を覚えます。

 個人的には、振り分けの必要が生じるのは、業務委託契約など雇用以外の方式が用いられている契約を労働契約とそれ以外のものに区分けする場面に限ってもよいのではないかと思います。