弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

明示の命令がなくても早出残業の立証が認められた例-看護師&電子カルテ

1.早出残業の認定は厳しい

 タイムカードで労働時間が記録されている場合、終業時刻は基本的にはタイムカードの打刻時間によって認定されます。しかし、始業時刻の場合、所定の始業時刻前にタイムカードが打刻されていた場合であっても、打刻時刻から労働時間のカウントを開始してもらうためには、「使用者から明示的には労務の提供を義務付けていない始業時刻前の時間が、使用者から義務付けられまたはこれを余儀なくされ、使用者の指揮命令下にある労働時間に該当することについての具体的な主張・立証が必要」で、「そのような事情が存しないときは、所定の始業時刻をもって労務提供開始時間とするのが相当である。」と理解されています(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕68頁参照)。

 このように早出残業(始業時刻前に出勤して働くこと)の立証は、必ずしも容易ではありません。しかし、近時公刊された判例集に、早出残業の労働時間性の立証に成功した裁判例が掲載されていました。さいたま地判令4.7.29労働判例ジャーナル129-28 埼玉県立病院機構事件です。

2.埼玉県立病院機構事件

 本件は、いわゆる残業代請求事件です。

 被告になったのは、高度専門医療を提供すること等を目的とし、埼玉県立がんセンター(がんセンター)を設置・運営する地方独立行政法人です。

 原告になったのは、がんセンターにおいて看護師として勤務していた方です。退職後、未払時間外勤務手当等(残業代)の支払いを求めて被告を提訴しました。

 原告の方の所定労働時間は、

日勤 午前8時30分~午後5時15分

夜勤 午後4時00分~翌午前9時30分

とされていました。

 本件の原告は、始業時刻の認定について、

「日勤の場合は、午前8時30分から手術への患者の送り出しなどの業務が始まり、午前9時から夜勤担当者からの引継ぎ(申し送り)が始まるため、原告は、午前7時には出勤し、担当する患者の情報の確認、点滴の準備などの業務をしていた。夜勤の場合も同様に、原告は、午後3時には出勤し、業務をしていた。早出の場合は、担当する患者はなかったが、原告は、後輩看護師のフォローなどのために午前6時45分には出勤していた。しかし、がんセンターにおいては、始業時間前の勤務を申請する仕組みがなかった。」

と主張しました。

 被告はこれを争いましたが、裁判所は、次のとおり述べて、原告の早出残業を認めました。

(裁判所の判断)

「前記・・・で認定したとおり、原告は、業務マニュアルにおいて前の勤務帯の者からの申し送りを受ける前にすることとされる業務(受け持ちの患者について電子カルテを確認し、行動計画を立て、薬剤等の準備をする業務)について、所定の始業時刻から始めると、申し送りの時刻までに終わらせることができないことを理由に早く出勤して業務に着手していたものである。」

原告が電子カルテを確認するために使用するパソコンは、ナースステーションに設置された共有のものであり、このパソコンを業務外で利用することが許されていたとはいえないことからすれば、始業時刻前に原告がパソコンを使用すれば、上長である看護師長や他の看護師は、即時、容易に、原告が始業時刻前にマニュアル所定の業務を行っていることを知ることができるはずである。

平成30年2月1日から平成31年5月7日までの原告のパソコンのログイン履歴・・・をみても、原告はほとんど全ての勤務日において、所定の始業時刻より前に、当日最初のログインをしていることは明らかである。

そうであれば、看護師長は、原告が常態として始業時刻より前に業務を開始していることを知っていたと認めるのが相当である。

「これに対し、看護師長が、原告に対し、始業時刻前に業務をすることについて禁じたり、やめるように指導をしたりした形跡はない。」

「そして、看護師長は、命令簿における時間外勤務命令の決裁権者であるところ、長期間にわたり、ほぼ毎勤務日、何らの異議を述べずに始業時刻前の労務の提供を受入れていたものであることからすれば、これらの業務は、被告(がんセンター)の黙示の指揮命令の下で行われたものと評価するのが相当である。」

被告は始業時刻前の業務を命令したことはない旨主張するところ、確かに、原告の命令簿をみても、早出の時間外勤務が命じられた日はほとんどない。しかし、がんセンターにおいては、新人研修などの行事の準備のために早出を命じるときには命令簿により時間外勤務命令を出していたが、それ以外の早出については命令簿が作成されることはほとんどなかったものと認められ・・・、原告も早出残業についての申請の仕方は知らなかったと述べることからすれば、命令簿による明示の命令がないことをもって、始業時刻前の労務提供について、被告による指揮命令外のものであるということはできない。

以上から、原告のパソコンのログイン時刻・・・又は所定の始業時刻のいずれか早い方を実際の始業時刻と認める。

3.明示の命令がなくても早出残業の立証が認められた

 本件では殆どの日において、被告から明示的に残業が命じられていたわけではありません。しかし、原告が電子カルテに入力作業を行っていることを上長や同僚は即時かつ容易に知り得たはずだとして、裁判所は労務提供が黙示の指揮命令下で行われたことを認め、早出残業を労働時間であると判示しました。

 明示的な命令や指示がなくても早出残業に労働時間性が認められることは、実務上、それほど多くありません。

 本件は、黙示の指揮命令下で行われたことを理由に早出残業に労働時間性が認められた事例として、実務上参考になります。