弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

詐欺・背任・横領を認める書面の効力を否定できた例

1.詐欺等を認める書面を作ってしまったら・・・

 事実に反しているにも関わらず、会社に対する損害賠償義務を認めることを内容とする書面を作成してしまった場合、どのように対処すればよいのでしょうか? この問題は、しばしば労働者側で事件を取り扱っている弁護士の頭を悩ませてきました。伝統的な民法上の意思表示理論によっても、自由な意思の法理によっても、救済が容易でない場合が多いからです。

 民法の意思表示理論は、錯誤(民法95条)、詐欺(民法96条)、強迫(民法96条)などの何等かの分かりやすい瑕疵がある場合にしか使うことができません。

 しかし、債務負担と内容とする合意には、しばしば互譲が伴っています。使用者側が当初横領した金額と100万円と主張していた時に、金額を80万円とした返還を約束する念書が作成されている場合が典型です。この場合、債務負担行為は和解契約として理解されますが(民法695条)、互譲によって問題を解決するという性質上、「互譲によって決定した事項自体について、当事者に錯誤があっても、和解は、これによってその効力を左右されない」と理解されています(我妻榮ほか『我妻・有泉コンメンタール民法 総則 物権 債権』〔日本評論社、第6版、令元〕1381頁参照)。そのため、錯誤取消を主張できる場面は、実務上、かなり限定的に理解されているのが実情です。

 また、詐欺取消・強迫取消の制度は、欺罔行為や強迫行為など、相当強い事情が立証できる場合でなければ活用することができません。

 労働法特有の判例法理に「自由な意思の法理」があります。これは外形的に同意がある場合でも「自由な意思に基づいて認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在」するとはいえないとして、合意(同意)の効力を否定する理屈です。

 しかし、自由な意思の法理は、最二小判平28.2.19労働判例1136-6山梨県民信用組合事件の、

使用者が提示した労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば、当該行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく、当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきである。そうすると、就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である(最高裁昭和44年(オ)第1073号同48年1月19日第二小法廷判決・民集27巻1号27頁、最高裁昭和63年(オ)第4号平成2年11月26日第二小法廷判決・民集44巻8号1085頁等参照)。」

という判示からも分かるとおり、主には賃金や退職金などの労働条件の不利益変更を念頭においた判例法理です。その射程上、損害賠償義務の負担や非違行為の自認などの場面にも適用されるのかどうかは判然としません。

 上述ような法制度上の問題があるため、一旦損害賠償義務を認める書面を作成してしまった場合、その効力を否定することは必ずしも容易ではありません。

 このような状況の中、近時公刊された判例集に、メールや書面で詐欺・背任・横領に及んだことを認めながらも、その事実を否定することができた裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令4.4.22労働判例ジャーナル128-40 Ciel Bleu事件です。

2.Ciel Bleu事件

 本件で被告になったのは、ハンドバック、時計、アクセサリー、ベルト等の輸入及び卸売業を営む株式会社(被告会社)と、その経営者一族の身内(被告C)、従業員兼執行役員(被告Ⅾ)の3名です。

 原告になったのは、被告の元従業員の方です。賃金減額合意の効力を争い未払賃金の支払を求めたほか、横領の嫌疑をかけられたり理由のない配転命令をされたり等の違法行為を受けたとして損害賠償を請求しました。

 これに対し、被告会社は、

「原告が真実は被告会社の経費として費消したのではないにもかかわらず、経費であると申告して被告会社を欺罔し、経費名下に金銭を騙取した」

として、原告に対し、675万5958円の損害賠償を請求する反訴を提起しました。

 本件で被告会社が反訴請求に踏み切った背景には、次のような事実がありました。

・確認書の作成(前提事実よりば引用)

「原告は、同年(令和元年 括弧内筆者)9月2日、被告Dの求めに応じ、

〔1〕原告がドン・キホーテの社員を接待したとして被告会社から接待交際費を受け取っていたが、実際には、接待した事実はないこと、

〔2〕自身がクラブなどで飲食をした領収書を、ドン・キホーテの社員を接待した領収書だと偽って経理の担当者に提出して接待交際費として被告会社から受け取り、会社の資金を騙し取っていたこと

などを認める内容の確認書(以下『本件確認書』という。)に署名押印し、被告会社に提出した

・背任横領の承認(認定事実より引用)

「被告Cらは、同年6月頃、原告の降格と本件減給措置を検討するに当たり、原告が過去にどの程度接待交際費を使用しているかを調べることとした。その結果、被告Cらは、原告が平成30年9月以降、390万円もの金額の接待交際費を使用しており、かつ、接待相手をほぼ全てドン・キホーテと被告会社に申告していることを把握した。」

「被告Cは、令和元年6月20日、原告に対し、原告が使用した接待交際費につき、ドン・キホーテの従業員との接待以外に使用していた場合には背任横領になると申し向けた上で、平成30年9月以降の接待交際相手を明らかにするよう求めるメッセージを送信した。」

「原告は、被告Cをこれ以上怒らせると何をされるか分からないというという恐怖を感じ、令和元年6月20日、被告Cに対し『最近の私の行動、発言全てにおいてかなりのご迷惑をおかけしております。』『どう責任を取るべきなのかと結論を出そうと熟考しております。』『全部がドンキさんに使ったかというとそうではありません。おっしゃる通り背任横領だと思います。』『目的があれど業者とのもあります。』などと返信した。

(中略)

「被告Dは、同年8月5日、原告に対し、接待交際相手を明らかにするよう求めるメールを送信した。」

「原告は、同月8日、被告Dに対し、『全部ドンキに使ったかというとそうではありません。当然業者間のみの分も入っています。』と返信した。

「また、原告は、同月12日、被告Cらに対し、『まず結論から申し上げますとほとんどが、先日C部長の仰った通りドンキで使用したものではありません。』『今はっきりと覚えているのは、年末にG・H・Jと忘年会として使用したものだけです。ですので、全部私個人で使用したものです。』と記載したメールを送信した。

「被告Dは、同月下旬頃、原告に対し、接待交際費の使い込みの件で書面を作成予定である旨を伝えた。被告Dは、本件確認書の文案を作成した。(乙8~10)」

 このような事実関係の下、裁判所は、次のとおり判示し、被告会社からの反訴請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「被告会社は、原告が、実際には私的な飲食費に関する領収書であるにもかかわらず、ドン・キホーテの社員に対する接待交際費の領収書であると偽ってこれを被告会社に提出して、被告会社から合計675万5958円を騙取したと主張している。」

「確かに、原告は、被告Cらに対して、飲食費について私的に費消したものであることを自認する旨のメッセージを送信している上、会社の資金を騙し取っていたことなどを認める内容の本件確認書に署名押印している。」

「しかしながら、前記認定のとおり、被告Cは、被告会社において実質的な経営者といえる程の権力を有しており、原告は、イタリア出張後、被告Cをこれ以上怒らせたら何をされるか分からないという恐怖を感じていた。また、原告は、イタリア出張後、突如、本件減給措置を受けたばかりか、被告Cらから九州への配転命令を打診されるようになった。前記認定のとおり、本件配転命令に業務上の必要性は認められず、本件減給措置及び本件配転命令は、イタリア出張における原告の態度に立腹した被告Cらが一方的に行ったものと認められる。」

このような状況下において、原告は、イタリア出張のことで腹を立てている被告Cを落ち着かせるために、接待交際費の不正取得を認めるかのような内容のメッセージの送信を余儀なくされ、本件確認書にも署名押印をせざるを得なかったものと認められる。

したがって、原告が私的な費消を自認する旨のメッセージを送信し、本件確認書に署名押印したとしても、そのことをもって原告が接待交際費の騙取ないし横領を認めたものと直ちに認めることはできない。

「かえって、前記認定のとおり、原告は、入社以来、被告Cより、ドン・キホーテからの発注を増やすためにドン・キホーテの従業員を接待したり、同業他社の従業員を被告会社に引き抜くために接待するよう指示を受けており、業務の一環で、ドン・キホーテの従業員や同業他社の営業職等との食事等の場を設け、接待することが頻繁にあったのであって、その会食費が平成28年9月以降で合計675万5958円に上ることは不自然ではない。原告が長年にわたって接待交際相手を偽り、接待交際費を不正に受給していたのであれば、被告会社の経理処理の過程で被告らは問題点に気付くはずであるが、原告がイタリア出張から帰国した令和元年6月まで、被告らが原告が使用した経費を調査したり、問題視したことはなかった。このことからすれば、被告らは、原告による接待交際費の申告・使用を黙認していたといえる。このような経過に照らせば、原告による平成28年9月以降の接待交際費の申請及び使用が不正とまでは言い難い。」

「この点、被告らは、原告が同業他社又はドン・キホーテ従業員との接待に接待交際費を使用した旨の供述の信用性を弾劾する証拠として・・・までを提出し、原告が被告会社に提出した領収書の一部が風俗店等のものであったことを指摘するが、上記弾劾証拠はいずれも令和3年12月9日ないし同月10日にインターネット上に掲載されていた情報にすぎず、原告が各領収書を取得した時点において風俗店等であったことまでは立証されておらず、原告の供述の信用性に影響を与えるものではない。」

「以上のとおり、被告ら提出の各証拠をもってしても、原告が接待交際費675万5958円を騙取したとまでは認められず、他に、原告が接待交際費を騙取したことを認めるに足りる証拠はない。」

「したがって、被告会社による反訴請求は理由がない。」

3.合意文書ではないが・・・

 本件で証拠としての価値が否定された原告の確認書やメッセージは、単に一定の事実関係があったものを認めるにすぎません。また、本件は意思表示理論の適否が争われた事案でもありません。

 しかし、裁判所が、詐欺、横領、背任を認める確認書、メッセージの証拠力を厳格に検討している部分は、意思表示の瑕疵の有無が問題になる事案を含め、勤務先からの圧力に屈して真実に反する書面やメールを差し出してしまった事件で広く活用できる判示であるように思われます。