1.パソコンデータの消去
退職する際、職場から貸与されたパソコンを初期化して返却する方がいます。
こうした方を代理して、退職後、時間外勤務手当等(残業代)を請求したり、ハラスメントを理由とする損害賠償を請求したりすると、会社から、
「退職にあたって、勝手にパソコンデータを消去した。ついては、復元費用相当額の損害賠償を支払え」
と反訴提起されることがあります。
個人的な経験の範囲でも、こうした反訴に複数回対応しているので、類似した請求は相当数あるのではないかと推測しています。
ただ、こうした反訴請求には大抵理由がありません。重要なデータを貸与パソコンの端末内でのみ管理していることは稀だからです。私が経験したケースでは、残業代等の請求を受けたことに対する腹いせか、あるいは、在職中の粗探しのためのデータ復旧に必要な費用を労働者に転嫁しようとするものかで、本当に困っていそうな事案に巡り合ったことは今のところありません。
そのため、
違法性がない(貸与品を原状に復して返還するのは当たり前のことでしかない)、
損害がない、
復元費用の支出と消去行為との間の相当因果関係がない(消去したからといって、別段、復元を余儀なくされるような関係にはない)、
などと主張して行くことにより、比較的容易に防御することができるのが通例です。
しかし、近時公刊された判例集に、使用者から労働者に対するパソコンデータの復元費用等の損害賠償請求が認められた裁判例が掲載されていました。東京地判令4.4.19労働経済判例速報2494-3 A社事件です。
2.A社事件
本件で原告になったのは、学習塾の経営等を行う株式会社です。
被告になったのは、原告の元従業員2名です(被告Y1、被告Y2)。
被告Y1は原告の医学部受験専門校舎の校長として勤務していた方(被告Y1)です。被告Y2は原告の営業職で、退職した後、医学部受験塾を設立した方です。
被告らが共謀して生徒の引き抜き、教材の持ち出し、貸与パソコンのデータ消去等の不法行為に及んだなどとして、原告が損害賠償を請求する訴えを提起したのが本件です。
裁判所は、被告Y1がインターネット上に原告の悪評を掲載していたことなどを理由に内部生の引き抜き行為に違法性を認めたうえ、原告の費用で購入した教材を持ち出したことも不法行為(横領)を構成すると判示しました。
また、貸与パソコンのデータ消去についても、次のとおり述べて、不法行為の成立を認めました。
(裁判所の判断)
「被告Y1が、Sと面談し自宅待機を命じられた翌日早朝に、原告市ヶ谷本部校で資料を処分していたこと、被告Y2から平成30年11月13日に『PCのデータ消去も忘れずに』と指示されていること(認定事実(10))、被告Y1に貸与されていたパソコンを同人以外が操作してデータを消去することは考えがたいことから、同人がデータを消去したことが推認される。また、被告Y1の貸与パソコン中には、原告の業務上必要なデータがある他、原告としては、被告Y1が原告から隠ぺいしようとしたデータがあると考え、同パソコンにあったデータを費用をかけて復元せざるを得なくなることは、被告Y1も容易に想定できたはずである。これらの事情を踏まえると、被告Y1による貸与パソコンのデータ消去行為は、原告に対する不法行為を構成するといえる。」
「原告は、被告Y1の上記行為により、パソコンのデータを復元するために負担した費用110万3688円相当の損害を被ったことが認められる・・・。」
※ 認定事実(10)
「原告は、平成30年11月13日、被告Y1と面談し、自宅待機を命じた。」
「被告Y1は、同日、被告Y2に対し、自宅待機を命じられた旨伝えた。被告Y2は、被告Y1に対し、『他塾への斡旋の証拠を可能な限り用意してね。』、『PCのデータ消去も忘れずに』、『ログアウトも』とのメッセージを送信した。」
3.不法行為が成立するレベルのことをしていると安全とはいえない
本件は勤務先に対して不法行為が成立するほど悪性の強い行動がとられている事案であり、一般化はできないように思います。また、被告Y1がインターネット上の掲示板に会社の悪評を書き込んでいたことも結論に影響している可能性があります。
とはいえ、本件のように、データ復旧費用の損害賠償が認められた裁判例があることを踏まえると、職場から貸与されたパソコンは、特にデータを消去せずに返却した方が無難といえそうです。また、その前提として、職場のパソコンでは、勤務先に見られて問題視されかねないやりとりは控えておくことが必要です。