弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

無期転換権を放棄するには、無期転換権の発生を認識していることが必要か?

1.無期転換ルール

 労働契約法18条1項1文は、

「同一の使用者との間で締結された二以上の有期労働契約・・・の契約期間を通算した期間・・・が五年を超える労働者が、当該使用者に対し、現に締結している有期労働契約の契約期間が満了する日までの間に、当該満了する日の翌日から労務が提供される期間の定めのない労働契約の締結の申込みをしたときは、使用者は当該申込みを承諾したものとみなす。」

と規定しています。

 これは、簡単に言うと、有期労働契約が反復更新されて、通算期間が5年以上になった場合、労働者には有期労働契約を無期労働契約に転換する権利(無期転換権)が生じるというルールです(無期転換ルール)。

2.無期転換権の放棄

 この無期転換権を事前に放棄することができないことに争いはありません(平成24年8月10日 基発0810第2号参照)。 

 他方、事後的に放棄することができるのかは見解が分かれています。

 「無期転換申込権は事後的にも放棄させることはできないと解すべきであろう」とする見解もありますが(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕392頁参照)、裁判例・実務が放棄を許容していないかというと、そう言い切れるわけではありません。ただ、放棄を認めるにしても、放棄意思は慎重に認定していることが多いように思われます。

 放棄意思の認定にあたり、しばしば問題になるのが、無期転換権が発生していることを労働者の側できちんと認識している必要があるのかです。

 当たり前ですが、使用者が労働者に無期転換権の行使を迫る場合、

「あなたには無期転換権が発生しているけれども、無期転換権を放棄して欲しい。」

とストレートに迫ることは普通ありません。無期転換権の行使と矛盾しそうな行動を誘発し、事後的に

「~という行動は無期転換権を放棄したものと評価できる」

と放棄の主張をしてきます。このような争われ方がされることから、無期転換権の行使にあたり、労働者の側で無期転換権が発生していることをきちんと認識している必要があるのかどうかは重要な問題だと捉えられています。

 近時公刊された判例集に、この問題を考えるうえで参考になる裁判例が掲載されていました。東京地判令4.2.25労働判例ジャーナル127-50 DRPネットワーク事件です。

3.DRPネットワーク事件

 本件で被告になったのは、自動車板金塗装事業等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、平成25年4月1日以降、期間1年の有期労働契約の更新を繰り返し、アジャスター業務に従事していた方です。

 平成31年2月26日、被告のC会長とD社長は、原告に対し、経営状態が良くないことを理由に、次期契約を更新しない意向を伝えました。

 しかし、原告が刑やウ更新を強く希望した結果、契約は更新されることになり、平成31年4月1日、労働契約の終期を令和2年3月15日とする有期労働契約を締結しました。

 令和元年12月11日、被告のC会長から令和2年1月15日付けで解雇すると告げられたことを受け、令和元年12月16日、原告は被告に対してメールで無期転換権を行使しました。

 しかし、被告は令和2年1月30日、同月末日付で労働契約を解除する旨の意思表示をしました。

 これを受けた原告は、

本件労働契約が無期転換されていること、

解雇の意思表示が無効であること、

を主張し、地位確認等を求める訴えを提起しました。

 被告は、

「被告は、原告と平成31年4月1日付け労働契約を締結するに際して、同年2月頃から事業が思わしくないこと、保険会社との契約に照らしてアジャスターの人数が過剰であること、既に定年を過ぎていることを説明した上で、労働契約を更新せず終了させてほしいと打診した。これに対し、原告は令和元年12月末日までは出社させてほしいと希望した。被告は、原告と協議のうえ、同日まで出社することを前提として、労働契約を更新した。この際、原告が有給体暇を取得するであろうこと、給与が15日締めであることを加味して、令和2年3月15日までを契約期間として定めた。」

「原告は、上記・・・の後、被告に対して転職先を紹介してほしいと求めた。被告は、ソニー損害保険株式会社を紹介して、原告の転職活動を支援した。」

「以上のとおり、原告は取得した無期転換申込権を放棄した。その後に行われた原告による無期転換権行使の意思表示は無効である。

などと主張し、本件労働契約は無期転換されることなく、(仮に解雇が無効でも)令和2年3月15日付けで終了していると反論しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、被告の主張を排斥しました。結論としても原告による地位確認請求を認めています。

(裁判所の判断)

「被告は、前記・・・のとおり、原告との平成31年4月1日付け労働契約の締結に際して、令和元年12月末日を最終出勤日とする旨の合意が成立したことをもって、原告は無期転換申込権を放棄した旨主張し、被告代表者の陳述書・・・の記載及び本人尋問における供述には、これに沿う部分がある。」

「しかし、そもそも原告、被告代表者ともに、平成31年4月時点では労働契約法18条1項に基づく無期労働契約への転換という制度についての認識はなかった(原告本人、被告代表者)うえ、仮に令和元年12月末日を最終出勤日とする(その後一定の期間を経て退職する)旨の合意が有効に成立したとしても、同日に先立って無期転換申込権が行使されれば、無期転換後に当該合意の効果が発生すると解されるから、当該合意とその後の無期転換申込権の行使は何ら矛盾しない。したがって、被告が主張するように、最終出勤日の合意をしたことをもって原告が無期転換申込権を放棄したものと解し得るかは、甚だ疑問があると言わざるを得ない。

「以上の点を措くとしても、

〔1〕平成31年3月ないし4月の契約更新は、被告が原告との契約更新打切りの方針をアジャスターの人員不足を理由に撤回して行われた措置であり、その後も令和元年12月31日までは4名のアジャスターの求人募集をしていたことに照らせば、被告としても、人員補充の目途が立っていない段階で、原告の最終出勤日を同年12月末日と合意することは、再び人員不足に陥るリスクを伴うこと、

〔2〕労働契約書では、契約期間の終期について『2020年3月15日』、契約更新について『更新する場合がありえる』と記載され・・・、直後の取締役会議事録にも、原告から『少なくとも12月末までは働きたいとの意思表示』があった旨の記載があるのみで、最終出勤日の合意をした旨の報告がされた形跡はなく・・・、被告代表者自身も、会社の経済状況次第で可能ならば更新したい意向であった趣旨の供述をしていること・・・、

〔3〕原告は、被告が契約打切りの方針を示していた平成31年3月の時点では有給休暇を消化する前提で休暇申請をしていた・・・のに対し、上記契約更新後は令和元年12月末日の時点で27.5日の有給休暇を残していたにもかかわらず、その消化を前提とする休暇申請はしていないこと・・・、

〔4〕原告が令和2年1月になって出勤した際にも被告は原告を排除せず、むしろ業務の引継ぎや旧社屋での待機を命じたこと

に照らせば、令和元年12月末日をもって最終出勤日とする旨の合意をしたとは認め難い。これに反する被告代表者の本人尋問における供述及び陳述書・・・の記載部分は、採用することができない。」

「なお、被告は原告が転職先の紹介を求めたことをその主張を裏付ける事情とするが、当該事実を認めるに足りる的確な証拠はないうえ、仮に原告が転職を考えていたとしても無期転換申込権は失われず、かつ、その後に無期転換を申し込むことと何ら矛盾しないから、当該事情もまた、無期転換申込権の放棄を裏付けるものとはいえない。」

4.要件かどうかは不明だが、重要な要素とまでは言えるのではないだろうか

 この裁判例が無期転換権の発生を認識していることを無期転換権放棄の要件として位置付けているのかまでは分かりません。

 しかし、無期転換権の認識がなかったと言及されていることを考えれば、無期転換権の放棄が認められるのか否かを判断するにあたり、少なくとも放棄を認めるための重要な要素だと考えていることは確かだと思います。

 また、無期転換後に最終出勤日合意の効果が発生すると判示している部分は本当にそう単純に言えるのか問題であるにせよ、無期転換権の行使と矛盾する行為をかなり狭く理解しようとしていることも注目に値します。

 無期転換権の放棄にあたり、無期転換権の認識が必要かどうかは、不分明な問題ですが、無期転換権の発生の認識がないまま無期転換権を放棄させられた形になっている方にとって、本裁判例は活用できる可能性を持っているように思われます。