弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

固定残業代の合意-提訴から8年以上前に導入されたものでも争えた例

1.古い事件は難しい

 一般論として、年単位の既成事実が積み重なってしまうと、相手方から一方的に言い渡された法律関係であったとしても、その効力を覆すことは非常に困難です。

 長年に渡って法的措置をとることなく、放置してきたこと自体が、納得していた証拠として扱われるからです。

 しかし、このことは、労働条件の不利益変更との関係では、必ずしも妥当しません。労働条件の不利益変更の効力は、法的措置をとらないまま年単位の時間が経過したとしても、争えることがあります。

 以前、2年以上前に導入された固定残業代に関する合意の効力が否定された裁判例をご紹介させて頂きました。

固定残業代の合意-2年以上前の導入の経緯であっても争える - 弁護士 師子角允彬のブログ

 近時公刊された判例集に、これを大幅に上回る年月、具体的にいうと、8年以上前に導入された固定残業代に関する合意の効力を否定した裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、東京地判令4.3.2労働判例ジャーナル127-44 インターメディア事件です。

2.インターメディア事件

 本件で被告になったのは、照明、音響、映像、制御システムの企画、設計、施工、管理等の業務を営む株式会社です。

 原告になったのは、被告の元従業員の方です。被告を退職した後、未払割増賃金(残業代)等の支払いを求める訴えを提起したのが本件です。

 本件では割増賃金の金額との関係で、原告在職中に導入された固定残業代の効力が問題になりました。

 元々、原告の賃金は、

基本給 18万5000円、

住宅手当 2万0000円

営業手当   5000円

技術手当   5000円、

特別勤務 1万0000円

の合計24万円でしたが、固定残業代(業務手当:時間外勤務手当56時間相当)を導入する就業規則の変更により、

基本給 14万8800円

業務手当 8万3000円

職務手当 3万3200円

の合計26万5000円になりました。

 本件では固定残業代の導入について、労働者との間での合意が認められるのか否かが、争点の一つになりました。

 この事件の特徴の一つは、固定残業代の導入が非常に古いことです。

 原告が被告との間で労働契約を交わしたのが平成23年(2011年)2月21日で、固定残業代の導入が平成23年(2011年)9月です。

 他方、原告が被告を退職したのは令和元年(2019年)7月5日で、被告を提訴したのは令和2年(2020年)5月25日でした。提訴から起算すると、固定残業代の導入からは実に8年以上が経過しています。被告は、

「本件変更は、当時、従業員全員に説明をし、メールにて同意を得た上でされたものであり、その後も長年にわたり従業員からクレームを受けたことはなかった。

などと指摘し、固定残業代の導入には合意が成立していたと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、合意の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「労働契約の内容である労働条件は、労働者と使用者との個別の合意によって変更することができるものであり、このことは、就業規則に定められている労働条件を労働者の不利益に変更する場合であっても、その合意に際して就業規則の変更が必要とされることを除き、異なるものではないが、就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である(最高裁判所平成25年(受)第2595号同28年2月19日第二小法廷判決参照)。」

「これを本件についてみるに、前記前提事実によれば、本件変更は、就業規則に定められた賃金に関する労働条件の変更に当たるところ、本件全証拠を精査しても、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為が明確にされたと認めるに足りる証拠はない。また、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告の給与は、平成23年2月の入社当初は、基本給18万5000円、住宅手当2万円、営業手当5000円、技術手当5000円、特別勤務1万円の合計22万5000円、同年5月分以降は、基本給20万円、住宅手当2万円、営業手当5000円、技術手当1万円、特別勤務1万円の合計24万5000円であったところ、本件規定の導入により、平成23年10月分以降は、基本給14万8800円、業務手当8万3000円、職務手当3万3200円の合計26万5000円となったことが認められ、その変更内容は、月額2万円程度の手取り給与の増額と引き換えに、56時間ないし42時間分の割増賃金を別途請求することができなくなり、割増賃金の算定基礎賃金も業務手当分が含まれないことにより減少するという内容であるから、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度は重大であるというべきである。さらに、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、本件変更は、被告において一方的に決定したものを従業員らにメールで周知したものであることが認められるところ、上記決定や周知の際、従業員らに対して、上記不利益性を含む変更の内容について十分な情報提供や説明がされたと認めるに足りる証拠はない。」

以上を総合すれば、本件変更について、労働者の自由な意思に基づいて合意がされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するということはできないから、これにより原告の労働条件が変更されたと認めることはできない。

「これに対し、被告は、本件変更の際に、従業員全員に説明をし、メールにより同意を得た旨主張するが、これらの事実を認めるに足りる的確な証拠はなく、上記主張は採用することができない。」

「また、被告は、本件変更後、長年にわたり従業員らからクレームを受けたことはなかったから、当該変更につき従業員らによる承諾又は追認がされた旨主張する。しかし、一般に労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれていること等に鑑みれば、上記のような事情をもって、直ちに当該変更を受入れる旨の労働者の行為がされたと認めることはできず、被告の上記主張は採用することができない。

「以上によれば、本件変更について、原告を含む従業員らの自由な意思に基づく同意があったと認めることはできないから、これにより原告の労働条件が変更されたとは認められない。

3.労働条件の不利益変更の効力は古くても争いやすい

 裁判所は、提訴から8年以上も前に導入された固定残業代においてなお、その効力を否定しました。民法的な考え方でいうと、相当特異に感じられますが、労働条件の不利益変更との関係では、かなり昔のものでも争える場合が少なくありません。

 在職中に労働条件の不利益変更に悩まされた方は、退職後に法的措置をとってみることも一考に値します。労働条件の不利益変更が、相当程度前であったとしてもです。

 固定残業代をはじめ、労働条件の不利益変更の問題は、当事務所でも多数扱っています。相談・事件化をご検討の際には、当事務所も選択肢の一つとして加えて頂けると幸甚です。