1.実労働時間の主張立証責任
割増賃金(残業代)を請求するにあたっての実労働時間の主張立証責任は、原告である労働者の側にあります。したがって、割増賃金を請求するにあたっては、労働者の側で始業時刻・終業時刻を特定し、その間、労務を提供していたことを立証する必要があります。
しかし、使用者の側で労働時間を把握・管理する責務・義務が懈怠している場合、働いた各日について何時から何時まで働いたのかを明確に主張・立証することは、現実問題として極めて困難です。そのため、使用者の側で労働時間を証する資料をきちんと提出できない場合、労働者側で乗り越えなければならない立証のハードルを下げるべきではないのかという議論があります。
こうした議論に対し、裁判所は、次のような姿勢をとっています。
「使用者側が調整し、保管すべき賃金台帳その他の書類を保持せず、あるいは証拠提出しないために、労働者において正確な残業時間が不明である場合には、それは使用者の責任であるから、労働時間の立証の評価にあたっては、このことも考慮し、使用者の不利益に扱うべきであるとする主張も実務上されることがある。」
「この点については、行政法規である労基法108条・109条の存在を理由として、労働契約上の賃金請求権に関する主張立証責任を労働者から使用者に転換することは困難であり、勤怠管理が適切に行われていない場合であっても、実労働時間を推認できる程度の客観的資料がない場合には時間外労働時間の存在を認定することは困難である・・・。もっとも、労働時間の適切な主張立証とともに、労働時間数についても、労働者の側が一応の立証をしたと評価される場合には、使用者の側において有効かつ適切な反証ができていなければ、労働者の提出資料によって、労働時間性及び労働時間の認定がされることになる。」(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕165頁参照)。
噛み砕いて言うと、
①主張立証責任の転換はしない、
②客観的資料がなければ、時間外労働の存在が認定できないのは仕方ない、
③ただし、労働時間数について、労働者側で一応の立証がされ、使用者側から有効な反証活動がなければ、労働者側提出資料に基づいて労働時間の認定を行う、
というルールを打ち出しています。
昨日ご紹介した、東京地判令4.2.25労働判例ジャーナル125-24 阪神協同作業事件は、③のルールの発動例という意味でも参考になります。
2.阪神協同作業事件
本件は、いわゆる残業代請求事件です。
被告になったのは、各種自動車運送事業を営む株式会社です。
原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、一時期支店長職にあった元従業員です。被告を退職し、未払割増賃金(残業代)を請求する訴えを提起したのが本件です。
原告は平成29年5月分から平成31年4月分までの割増賃金を請求しましたが、平成29年9月20日以前の期間に関しては、タイムカード等の客観的資料が全くなかったため、この期間に相当する割増賃金については、資料から認められる労働時間の平均値を用いて推計で計算しました。
このように平均値から推計する手法について、裁判所は、次のとおり述べて、これを認めました。
(裁判所の判断)
「原告は、タイムカードが証拠提出されていない平成29年4月21日から同年9月20日までの期間については、以上の方法により特定した労働時間の平均値をもって労働時間を推計しているところ、同年9月21日前後は原告がC支店長として勤務していた時期であり、同日以前と以後で原告の業務に特段の変化があったとは認められないこと、原告の労働時間に季節等の時期による顕著な繁閑の差があったとは認められないこと、被告は従業員の労働時間を管理すべき立場にありながらタイムカードその他労働時間を裏付ける資料を何ら提出せず、積極的な反証をしないこと等を踏まえると、原告による上記推計は相当というべきである。」
3.平均値からの推計計算が認められた
個人的な実務経験の範疇でいうと、裁判所は割増賃金(残業代)請求の局面において、主張・立証のハードルをなかなか緩和しません。立証のハードルは高く、「立証されたとは認められない」という論理のもと、請求が制限されたことは少なくありません。③のルールは主張するのですが、これが奏功する場面は決して多くありません。
そうした中、③のルールを適用した事案、しかも、平均値から推計することを肯定した事案というのは比較的稀なもので、今後の実務の参考になります。