弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

過重労働と安全配慮義務違反-労働者からの申告がなくても安全配慮義務違反が認められ、過失相殺が否定された例

1.安全配慮義務違反・過失相殺

 労働契約法5条は、

「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」

と規定しています。これを安全配慮義務といいます。

 安全配慮義務の具体的内容には幾つかの類型があり、その中の一つに「過重労働」という類型があります。過重労働との関係についいていうと、使用者は、

「労働者が過重労働により心身の健康を損なわないよう注意する義務、具体的には、健康診断や実態調査等により労働者の健康状態や労働の実態を把握し、それに応じて業務の軽減など適切な措置を講じるべき義務を負う」

とされています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕818頁参照)。

 安全配慮義務違反は債務不履行として損害賠償を請求する根拠になります(民法415条)。

 しかし、安全衛生との関係で労働者の側にも落ち度があると、過失相殺といって、損害賠償額がザクザクと削られて行きます(民法418条)。落ち度といえるようなものがなくても、裁判所が公平の観点から応分の損害を分担すべきという価値判断をすれば、やはりザクザクと損害賠償額が減らされて行きます。また、落ち度の内容が、使用者側による結果の予見を不可能にする類のもので合った場合には、安全配慮義務違反の事実自体が否定されてしまうこともあります。

 そのため、労働者側の問題が安全配慮義務違反・過失相殺の有無や程度に与える影響は常に法曹実務家の注目を集めるテーマとなっています。こうした観点から、近時公刊された判例集に興味深い裁判例が掲載されていました。横浜地判令4.4.27労働判例ジャーナル125-1 セーフティ事件です。何が興味深いのかというと、加重労働時間で労働者側からの申告がなかったことについて、安全配慮義務違反の成否への影響を否定し、なおかつ、過失相殺も否定していることです。。

2.セーフティ事件

 本件はいわゆる労災民訴の事案です。

 被告になったのは、役員車等の運行・保守管理の請負等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告で働いていたDの遺族(妻・長女)の方です。Dは被告との間で雇用契約を締結し、被告の顧客である会社の役員付運転手として勤務していました。勤務時間中に心筋梗塞で死亡し、労災保険給付の支給決定を受けた後、Dが死亡したのは被告における長時間の時間外労働等が原因であるとして、被告に対して損賠賠償を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件ではDから業務が過重であるだとか、健康状態が悪いだとかいった内容の申告がなかったため、それが安全配慮義務違反・過失相殺の局面でどのように評価されるのかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、安全配慮義務違反を認め、過失相殺を否定しました。

(裁判所の判断)

・安全配慮義務違反について

「使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり(最高裁平成10年(オ)第217号、第218号同12年3月24日第二小法廷判決・民集54巻3号1155頁参照)、Dの使用者であった被告は、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積してDが心身の健康を損なうことがないように、労働時間を始めとする業務を適切に管理し、負担を軽減する措置を採るべき義務を負っていたといえる。」

「上記・・・判断のとおり、Dは、業務において著しい疲労の蓄積をもたらす過重な業務に就労していたのであり、被告は上記義務に違反したと認められ、Dの死亡について債務不履行責任又は不法行為責任を負うというべきである。」

被告は、被告に安全配慮義務違反がないとして種々主張するが、前記・・・において認定した事実を踏まえれば、Dが作成した日報や毎月の労働時間が記載された給与管理表等を確認すれば、Dが長時間の時間外労働及び休日出勤等により疲労が蓄積して健康を損なう恐れがある状況にあったことは容易に知り得たということができる。この点、車両管理責任者であったF及びFを補佐していたというGの証言をみても、両名は、業務の過重性及び健康状態のいずれについてもDから申告がなかったとの説明に終始しており、Dから特段の申告や要望がなければ被告において負担軽減措置をとる等の対応をとる必要性はなかったと考えていたものといわざるを得ず、上記安全配慮義務違反の観点に従った適切な労務管理が被告においてなされていたとはいい難い。その他、安全配慮義務違反がない旨の被告の主張は、いずれも、本件事案において、被告の責任を否定すべき的確な主張ということはできず、これらを採用することはできない。

・過失相殺(素因減額)について

「上記認定のとおり、Dに心筋梗塞発症のリスクファクターが複数あり、心筋梗塞発症の身体的要因があったことは認められるが、Dは、通院治療するなどして健康管理に留意していたと認められること、Dは、自身の健康状態等について、通院治療中である旨を被告に報告し、被告は、健康診断によってDの健康状態等について把握しており、Dの業務の過重性について容易に知り得たことなどからすると、本件において、Dの落ち度というべき事情は認められず、損害の衡平な分担の観点から過失相殺をすべきとはいえない。

3.業務の過重性を使用者側で容易に知り得たといえる場合には大した問題ではない

 この種の事案では、労働者側から業務が過重であるという申出がなかったと、使用者側から殊更強く主張されることが珍しくありません。

 しかし、使用者側には労働時間を管理する義務・責務があり、過重労働を容易に認識できたようなケースにおいて、労働者側からの申告がなかったことは、それほど重視されるわけではないのだろうと思われます。過重労働が深刻な健康被害を引き起こしかねないことはいわば常識であり、気付いている限り労働者からの申告の有無に関わらず、過重労働は是正されるべきだという価値判断があるのではないかと思われます。

 提訴前に裁判外での交渉で労働者側からの申告がないことなどがを指摘された時など、大幅な過失相殺されるのではないかと萎縮する方がおられるかも知れません。しかし、労働者による申告の有無が裁判所において重視されるとは限らないことは、十分に意識しておく必要があります。