弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

従業員(労働者)である上司に残業代不払を発生させない責任はあるか

1.残業代不払を理由とする個人責任の追及

 株式会社の取締役は、会社に対する善管注意義務ないし忠実義務として、会社に労働基準法24条及び37条を遵守させ、労働者に対して割増賃金(残業代)を支払わせる義務を負っていると理解されています(東京地判令3.8.31労働判例ジャーナル118-60 損害賠償等請求事件参照)。

 そのため、何等かの理由で会社が労働者に残業代を支払うことができず、労働者の損害が顕在化した場合、任務懈怠に悪意・重過失のある取締役は、労働者個人に対する損害賠償義務を負うことになります(会社法429条1項参照)。

 それでは、取締役の一歩手前で残業代の不払の発生に関与した労働者である上司に対する責任追及をすることはできないのでしょうか?

 この論点を考えるにあたっては、

飽くまでも労働者であるにすぎない上司に、残業代の不払を発生させないように注意すべき義務があるのか(①)、

仮に義務があったとして、それを会社に対する義務であるに留まらず、個々の部下の労働者に対する義務として構成できるのか(②)、

が問題になります。

 昨日ご紹介した、東京地判令3.12.23労働判例ジャーナル124-60 SRA事件は、このうち①との関係でも有益な判断を示しています。

2.SRA事件

 本件で被告になったのは、電子計算機のソフトウェアシステムの設計・開発等の受託などを目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、金融第二事業部の副事業部長として勤務していた方です。労災事案を発生させたこと、三六協定違反行為を発生させたこと、時間外労働に対する賃金の未払を生じさせたことなどを理由に、3か月間、月俸額10分の1を減額する懲戒処分(本件処分)を受けました。これに対し、原告の方は、本件処分の無効を主張し、差額賃金の支払等を請求する訴えを提起しました。

 興味深いのは、時間外労働に対する賃金の未払を生じさせたことが懲戒事由になるのかどうかの判断です。裁判所は、次のとおり述べて、懲戒事由への該当性を認めました。結論としても、本件処分は有効だと判断しています。

(裁判所の判断)

「平成28年11月11日、原告は、P3事業部長と共に、金融第二事業部の勤怠管理システムであるピット勤怠につき、ピット勤怠の入退室時刻が始業終業時刻として初期入力される仕様を改め、始業時刻は9時又は入室時刻のいずれか遅い時刻、終業時刻はその8.5時間後の時刻が初期入力される仕様とし(所定休憩時間1時間を除くと7.5時間となる。)、社員はピット勤怠における標準時間外労働の申請をしてPMの承認を得た範囲でのみ前記の始業終業時刻を変更して申告ができることとし、被告が顧客から受注したプロジェクトの管理及び作業する社員の労務管理を行う管理者(PM)に対しては、標準時間外労働(1日7.5時間を超える労働)についてはピット勤怠において申請させ、PMが承認した範囲のみを労働時間として報告させること、標準時間外労働が月30時間を超えるときはPMが副事業部長である原告の許可を得ること、月50時間を超えるときはPMがP3事業部長の許可を得ること、P7社員については時間外労働を禁止し、標準時間外労働をさせるときはPMがP3事業部長の許可を得ることと指導した。P7社員は、平成28年11月13日から平成29年2月末まで1日1~2時間の標準時間外労働を行ったが、直接の上司がP3事業部長の許可を得ようとせず、直接の上司からピット勤怠における承認を得られる見込みもなかったため、ピット勤怠における標準時間外労働の申請をせず、時間外労働を全く申告しなかった。また、P8社員は、平成28年12月に標準時間外労働の合計が月50時間を超えていたが、直接の上司との相談の結果、月50時間を超えた場合に必要なP3事業部長の許可を上司が得ることはせず、月50時間以内に収まるように標準時間外労働の申請を抑制することとした結果、申告しない時間外労働が4箇月で78.72時間に及んだ。そのほかにも、標準時間外労働をしたが、申請が面倒であるなどの理由で申請をせず、結果として時間外労働を申告しなかった社員がいた。」

原告は、金融第二事業部に所属する社員の労働時間の管理を行う者として、平成28年11月から平成29年2月まで当時、前記のピット勤怠の仕様変更やPMに対する労働時間管理の指導を統括していたところ、P6社員からのメールやP11部長からの情報提供などにより、標準時間外労働の申請をしたがPMによる承認が完了していないものが月合計10時間以上累積している社員が多数いること、全く標準時間外労働の申請をしていない社員がいること、及び、直接の上司との話合いにより、事業部長の許可が必要な月50時間を超える標準時間外労働の申請を抑制していた社員がいることを知っていたから、直接の上司が事業部長の許可を得ようとしないなどの理由で、標準時間外労働をしてもピット勤怠における申請を行わない社員がいることを知り得たところ、これを放置し、その結果、P7社員及びP8社員に対する残業代が支払われないという事態を生じさせた。また、その他の社員についても、正確な人数及び時間は明らかではないが、別紙9の人数及び標準時間外労働時間の範囲で、時間外労働をしたが申請しなかったため、残業代が支払われないという事態を生じさせた。

原告の前記行為は、就業規則87条7号の懲戒事由である『過失等によって業務に支障を来たしたとき、または会社に有形無形の損害を与えたとき』に該当するといえる。

(中略)

「原告は、部下の始業終業時刻を把握して、標準時間外労働があればこれを申請させて承認するのはPMの仕事であり、原告は全ての部下の始業終業時刻を知り得る立場にはないから、責任はない旨主張する。」

「しかし、前記・・・のP6社員からのメールや前記・・・のP11部長の発言からすれば、原告は、直接の上司であるPMなどが、部下の始業終業時刻を把握して標準時間外労働があればこれを申請させて承認するというあるべき行動をとっていない事実があることを知り得たといえる。とすると、原告は、PMなどの前記行動を改めさせるべきであり、金融第二事業部の社員の労働時間の管理を担当し、PMなどを監督する責任がある原告において、P8社員やP7社員の労働時間の過小申告につき責任がないということはいえない。

「原告は、P7社員及びP8社員がピット勤怠において標準時間外労働の申請を行うことができたのに、自らの判断で申請しなかったものであるとか、P7社員が、事業部長が怖かったから申請しなかったことについては原告の責任はない旨主張する。しかし、社員が時間外労働をした場合には、社員の判断でこれを使用者に申告しなかった場合でも、使用者は時間外労働を把握した上で残業代を支払う義務を負うものである(労働基準法24条本文、賃金全額払原則)。したがって、金融第二事業部に所属する社員の労働時間の管理を担当していた原告としては、同部の社員が自らの判断で標準時間外労働の申請をしていないことを知った場合、そのような事象の原因を解明し、正確な申請を行わせるよう取り計らう責務があった。そして、P7社員及びP8社員が時間外労働を申請しないという判断に至ったのは、直接の上司が、標準時間外労働の申請に必要な事業部長の許可を得ることをせず、申請しても直接の上司からピット勤怠における承認がされる見込みがなかったためであると認められるのであり、かつ、原告はその事実を知り又は知り得たが、事業部長の許可を得ようとしないという直接の上司の前記行動を何ら是正しなかったものであり、金融第二事業部の社員の労働時間管理を担当し、直接の上司らの監督者であった原告に責任がないということはできず、原告の主張は採用できない。」

「原告は、P8社員が50時間を超える時間外労働を申請せずに翌月に回すといった取扱いについては、これを改めるようP11部長に伝えていたから、義務違反はない旨主張する。しかし、原告は、平成28年12月のP8社員の時間外労働の申請が50時間未満のままであり、前記扱いが改められていないことを知り得たのに、何らこれを改めさせることなくRJBでP8社員の労働時間の承認をしている。したがって、原告には、平成28年12月のP8社員の時間外労働の申請が50時間未満のままであることを知った時点において、前記扱いを改めるよう求めるべき義務があったのにこれを怠った任務懈怠があり、責任を免れることはできない。」

3.残業代の不払を発生させないように注意すべき義務は肯定できるか?

 従前、議論の乏しい問題でしたが、裁判所の判示を見る限り、部下と同じく労働者であったとしても、上司には部下に残業代の不払を生じさせないようにする責務ないし義務があるというところまでは肯定できそうに思います。

 残る問題は、この責務ないし義務が、会社に対する懲戒責任の根拠としてだけではなく、個々の部下である労働者に対する債務ないし注意義務としても機能するのかであり、今後の裁判例の動向が注目されます。