弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

なしくずし的に業務に従事していた場合に雇用契約の成否を考えるうえでの着眼点

1.労働契約の成否は必ずしも明確ではない

 民法623条は、

「雇用は、当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約することによって、その効力を生ずる。」

と規定しています。つまり、労働契約の典型である雇用契約が成立したといえるためには、必ずしも書面を作成することが求められているわけではありません。労働契約法4条2項が、

「労働者及び使用者は、労働契約の内容(期間の定めのある労働契約に関する事項を含む。)について、できる限り書面により確認するものとする。」

と規定していることからも分かるとおり、労働契約書・雇用契約書の作成は、飽くまでも努力義務に留められています。

 労働基準法15条1項本文は、

「使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。」

と規定しています(労働条件通知書)。しかし、これは労働条件を提示するものにすぎず、雇用契約の成立を約する書面ではありません。また、比較的小規模な事業体では、労働基準法が遵守されておらず、労働条件通知書が交付されていないこともあります。

 このように労働契約書・雇用契約書の作成が必須ではないことから、契約が成立しているのかが明確ではない段階において、何となく・なしくずし的に会社での業務に従事してしまっているという例は相当数あります。

 それでは、このように書面による明確な手掛かりがない場合、既に労働契約・雇用契約が成立したといえるのかどうかは、どのように判断されるのでしょうか? この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令4.1.17労働判例ジャーナル124-52 医療法人社団純心会事件です。

2.医療法人社団純心会事件

 本件で被告になったのは、病院及び介護老人保健施設を経営する医療法人(被告純心会)と、その副理事長(被告P3)です。

 原告になったのは、有料職業紹介業及び医療に関するコンサルタント業を目的とする株式会社(エースメディカル)の代表取締役です。契約の成否が明確にされないまま、名刺の交付を受けたり、医師や看護師の求人業務を提供したりしていたため、本件では原告と被告との間で雇用契約が成立していたと認められるのかどうかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、雇用契約の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、令和2年2月4日から被告純心会に就職した旨主張し、原告本人は同年1月24日に雇用契約が成立した旨供述する。」

「確かに、原告が、被告純心会に履歴書を提出したこと(なお、提出した時期は明らかでない。)、P4医師が単身では身の回りのことができないため、被告純心会で勤務するのであれば、原告もP4医師の世話をするため併せて雇用するという話が出ていたことが認められる・・・。」

「しかし、その後、P4医師と被告純心会との間では雇用契約書が作成されているのに対し・・・、原告と被告純心会との間では雇用契約書が作成されていない(なお、原告に係る雇用契約書が作成されていないことは原告も自認している・・・。」

「また、仮に、原告と被告純心会との間で雇用契約が締結され、被告が純心会で勤務していたのであれば、社会保険等の各種手続のために各種書類を提出することが必要になるが、原告が、被告純心会に対し、各種書類を提出したという事実はない。」

「さらに、原告が、令和2年2月29日に被告P3に送信したメールをみると、『まだ、雇用も、決まった無いので』との文言があることが認められるところ・・・、かかる文言に照らせば、原告が、同日時点において、いまだ原告と被告純心会との間で雇用契約が成立していないとの認識を有していることがうかがわれる。」

「そして、原告が、同年3月2日及び同月11日に被告P3に送信したメールをみても、『私とP3副理事長では、先生のおっしゃるとおり、生きる場所が違うのかもしれません。事務長も決まっておられるようですし、丸亀では、先生に褒めて頂けるような仕事が出来ない気が致します。』、『折角誘って頂きましたが、お世話になるのは、またの機会にお願いしたく存じます。』などの文言があることが認められるところ・・・、かかる文言に照らせば、原告が、同日時点において、被告純心会で勤務しないこととした旨の意向を示していることがうかがわれる。」

「加えて、原告が、同年3月20日に被告P3に送信したメールをみると、『私への不信感により雇用契約を結んでいただけない理由とも承知しております。』、『就職させていただいてビクビクしながらサラリーマンを続けるのは、いささか抵抗があります。』、『P4先生と込みで雇う必要もありません。以上で今回の就職はご辞退させていただきます。』などとの文言があり・・・、原告が、同月15日及び同月21日にP7総務部長に送信したメールをみると、『丸亀に行くのを、P2理事長&副理事長に正式に、お断り致しました。』、『雇用契約も、頂いて無いので』、『昨日、P2理事長&副理事長に、ご了解頂きました。』などとの文言があることが認められるところ・・・、かかる文言に照らせば、原告が、各メール送信時点において、被告純心会との間で雇用契約をいまだ締結していないこと及び被告純心会に就職することを辞退することとした旨の認識を有していたことがうかがわれる。」

「以上を総合考慮すれば、原告と被告純心会との間において、雇用契約を締結することが検討されたという事実は認められるものの、その後、原告と被告純心会との間において、雇用契約が締結されるに至ったことを客観的に裏付ける証拠はなく、原告の供述は上記各メールからうかがわれる原告の認識とも齟齬していることなどをも併せ考慮すれば、原告の供述を採用することはできず、ほかに、原告と被告純心会との間において、雇用契約が締結されたことを認めるに足りる証拠もない。

「したがって、原告と被告純心会との間で雇用契約が成立していたと認めることはできない。」

「原告は、〔1〕被告純心会から、被告純心会の新病院準備室長という肩書の名刺を交付されていたこと、〔2〕原告が、医師や看護師の求人業務に従事していたこと、〔3〕病院の買収に関係する重要な会食に参加したことなどを主張するほか、〔4〕原告が知人に対して送信した被告純心会の事務長に就任する旨のメールを提出する。」

「しかし、〔1〕について、被告純心会が新病院準備室長の肩書の名刺を交付したからといって、直ちに、被告純心会が原告と雇用契約を締結したことになるものではない。また、原告が、被告P3に対し、被告純心会の事務長という肩書であれば医師に面会することができるが、職業紹介等を業とするエースメディカルの代表者という肩書では医師に面会できないため、病院開設責任者と説明している旨のメールを送信していること・・・、原告が代表者を務めるエースメディカルが有料職業紹介業及び医療に関するコンサルタント業等を目的としていること・・・、被告純心会が、令和元年11月頃、エースメディカルに医師の紹介を依頼していること・・・、その後も、原告が、被告P3に対し、複数の医師の情報を紹介していること・・・などに照らせば、被告純心会の肩書を付した名刺は、原告が医師に面会するため便宜上使用していたものであることがうかがわれる。」

「〔2〕について、原告は、エースメディカルの代表者でもあったところ、エースメディカルは有料職業紹介業及び医療に関するコンサルタント業等を目的とする会社であること・・・、エースメディカルと被告純心会が採用コンサルティング契約を締結していること・・・、実際、エースメディカルがP4医師を被告純心会に紹介していること、被告らが、エースメディカルではなく原告個人に医師等の求人等を行うことを指示したことを客観的に裏付ける証拠はないことなどからすれば、原告が、医師や看護師等を被告純心会に紹介したり、その準備段階としての面談等を行っていたとしても、それは、エースメディカルの業務として行ったものであって、被告純心会の従業員の立場で行ったものではない。」

「なお、原告は、エースメディカルと被告純心会が締結した契約はP4医師に限定したものである旨供述する・・・。しかし、エースメディカルと被告純心会との間で作成された契約書・・・の文言をみても、そのような限定は付されておらず、かえって、活動事項として人材の推薦が挙げられていること、契約期間が定められていることなどが認められるところ、仮に、同契約がP4医師に限定したものであったのであればこれらの文言が記載されることは想定し難いというべきである。」

「については、確かに、原告が令和2年3月9日に行われた会食に同席していることが認められるが、被告純心会が、エースメディカルに対し、医師の紹介を依頼していること・・・、被告純心会とエースメディカルが採用コンサルティング契約を締結していること・・・、原告がエースメディカルの代表者であることなどからすれば、原告が、医師らが参加する会食に同席したとしても、直ちに、被告純心会の従業員としての立場で同席したことになるものではない。」

「エ〔4〕については、確かに、原告がP14やP15にメール又はLINEを送信していることが認められるが・・・、それらは原告の一方的な認識を示すものにすぎず、また、原告がP4医師に送信したLINE・・・は、P4医師が保険医の登録を取り消されていることが判明したことなどから被告純心会を退職し、被告純心会と原告あるいはエースメディカルとの間でトラブルが生じた後である令和2年7月2日に送信されたものであるから、これらをもって、原告と被告純心会との間で雇用契約が成立していたことの証左であると評価することはできない。」

3.雇用契約の成立を否定した例

 以上のとおり述べて、本件の裁判所は、雇用契約の成立を認めないと判示しました。

 この事件は事業会社の代表取締役の方と被告純心会との雇用契約の締結の可否が問題になりましたが、本件の判示はフリーランスの方が仕事を受注した時にもあてはまるように思われます。

 フリーランスによる労働者性の主張の可否を案考えるうえでも、本件の判示は参考になります。