弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

年俸制-裁量性に乏しい計算式を持っていたとしても労働者への事前開示がなければ減額査定・減額決定は許されない

1.年俸制と減額査定

 年俸制とは、毎年の評価に基づいて基本給(年俸)を決定する仕組みをいいます(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕584頁参照)。契約が複数年度に渡る場合、年俸は使用者の査定に基づいて増減するのが一般的です。

 ただし、評価が低いことを理由に使用者側で一方的に賃金を減額する措置が適法であるといえるためには、①能力・成果の評価と賃金決定の方法が就業規則等で制度化されて労働契約の内容になっており、かつ、②その評価と賃金額の決定が違法な差別や権利濫用など強行法規違反にならない態様で行われたことが必要になると理解されています(前掲『詳解 労働法』604頁参照)。

 昨日、①の要素との関係で、抽象的な考慮要素が掲げられているだけでは、減額査定・減額決定をすることができないと判示した裁判例をご紹介しました(東京地判令4.2.8労働判例1265-5 学究社(年俸減額)事件)。

 しかし、学究社(年俸減額)事件で興味深いのは、これだけではありません。裁量性に乏しいルールのもとで運用されていても、やはり減額査定・減額決定は許されないとしたことにも目を引かれます。

2.学究社(年俸減額)事件

 本件で被告になったのは、中学・高校・大学への受験指導を行う進学塾を経営する株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で期限の定めのない労働契約を締結し、専任講師として就業していた方2名です。

 平成30年度の年俸を通知するにあたり、被告が原告らに交付した年俸通知書には、来期における年俸額の査定について、

「校舎成績(前年度との利益差額や利益増加率と昇給率とを紐づけたもの 括弧内筆者)を考慮した上で、授業アンケート結果及び人事考課に基づき昇給率を定める」

という言葉と共に、実務知識、判断力、企画力、折衝力などの評価項目が書かれていました。

 これだけ見ると抽象的な評価項目が掲げられているだけで、客観性・具体性・合理性に乏しい査定をしているようにも見えます。

 しかし、本件においては、裁量性に乏しい内部運用基準が設けられ、これに基づいて査定が行われているという特徴がありました。具体的に言うと、被告は「年俸改定機械判定の算出方法」という裁量性に乏しい計算式・関数を用いて次年度の年俸を計算していました。

 本件では、こうした恣意の介在する余地に乏しい運用がされていた場合でも、やはり制度的な合理性が担保されておらず、年俸を減額査定・減額決定することはできないのかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、やはり減額査定・減額決定は許されないと判示しました。

(裁判所の判断)

「被告は、『年俸改定機械判定の算出方法』も原告らと被告との間の個別合意の内容となっており、原告らの令和元年度年俸額及び原告X1の令和2年度年俸額は、このような被告の恣意的判断が入る余地のない客観的で公正な基準を用いて昇給率を定め、これを基に算定された以上、有効であると主張する。」

「しかしながら、前記前提事実・・・によれば、『年俸改定機械判定の算出方法』は、被告が年俸制の従業員の年俸額を算定するために設けた内部運用ルールであり、これが原告らに開示されたのは、被告によって原告らの令和元年度年俸の額が一方的に決定された後のことであると認められる。このような『年俸改定機械判定の算出方法』の作成経緯や開示の時期に照らすと、原告らと被告が、被告による原告らの令和元年度年俸額の決定の前に、『年俸改定機械判定の算出方法』を年俸額算定の際に用いる昇給率を定める基準とすることに合意をしていなかったことは明らかである。

「また、被告は、原告X1については平成29年度から、原告X2については平成28年度から、『年俸改定機械判定の算出方法』に基づいて原告らそれぞれの年俸額を算定して提示し、原告らはこのようにして算定された年俸額にそれぞれ同意したのであるから、『年俸改定機械判定の算出方法』によって年俸額を決定することに同意していたと主張する。」

「しかしながら、原告らが被告の提示した年俸額に同意したからといって、その算出方法についてまで同意をしていたと当然にいうことはできない。前記のとおり、被告が原告らに『年俸改定機械判定の算出方法』を開示したのは、原告らそれぞれの令和元年度年俸の額が決定された後のことであり、被告の主張や提出証拠を検討しても、それ以前に被告から原告らに対し『年俸改定機械判定の算出方法』が説明され、原告らとの間でこれに基づいて昇給率を定めて年俸額を算定することについて合意をしたことは認められない。」

3.周知されていなければ幾ら内部基準が整備されていてもダメ

 以上のとおり、裁判所は、労働者に事前に周知されていないルールに基づいて減額査定・減額決定を行うことを否定しました。

 これは事前に知らされていないルールに基づく賃金減額を否定したもので、汎用性の高い判断を示したものといえます。賃金の査定がブラックボックスになっている会社は少なくなく、他の事案への波及が期待されます。