弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

最低賃金法違反と不法行為の成否

1.残業代の不払と不法行為の成否

 残業代(時間外勤務手当等)の不払を不法行為(民法709条)であると構成して、損害賠償請求をすることができないかという論点があります。

 これは残業代の時効と不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効とが異なっていることから議論されてきた問題です。旧来、残業代の消滅時効は2年と、不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効は3年と定められていました。そのため、残業代請求の枠からはみ出た1年分の未払割増賃金相当額について、不法行為に基づく損害賠償として請求することが試みられました。

 この問題について、広島高判平19.9.4労働判例952-33 杉本商事事件は、

「控訴人は、不法行為を理由として平成15年7月15日から平成16年7月14日までの間における未払時間外勤務手当相当分を不法行為を原因として被控訴人に請求することができるというべきである。」

「被控訴人は、前記・・・認定の時間外勤務手当については、仮に存在しても、本件提訴が平成18年7月14日であることからすれば、労働基準法115条によって2年の消滅時効が完成している旨の主張をする。しかしながら、本件は、不法行為に基づく損害賠償請求であって、その成立要件、時効消滅期間も異なるから、その主張は失当である。」

と判示し、未払割増賃金を不法行為に基づく損害賠償請求の枠組みで請求することを認めました。

 しかし、杉本商事事件で広島高裁が判示した見解を採用する裁判例は少なく、一般的には未払割増賃金を不法行為構成で請求することは難しいと理解されています。

2.法改正により残業代請求の枠組みからはみ出ることはなくなったが・・・

 法改正により、現在では、残業代の消滅時効期間は5年(ただし、当分の間は3年 労働基準法115条、同法附則143条3項)とされています。

 財産権を害する不法行為の消滅時効は3年であるため(民法724条1号)、現行法のもとでは、残業代請求の枠組みからはみ出た分を不法行為に基づく損害賠償請求で補足しなければならない事態は、あまり想定できません。

 しかし、サービス残業を強いるなどの行為が慰謝料の発生原因になるのではないかという問題は依然として残っています。そのため、残業代を払わないまま長時間労働させることが不法行為を構成するのではないのかという議論は、未だ実益を完全に喪失したとはいえない状況にあります。

3.最低賃金法との関係ではどうか?

 残業代と不法行為の問題の亜種として、最低賃金法と不法行為の関係をどのように考えるのかという問題があります。

 これは最低賃金を割り込むような労働をさせた場合に、差額賃金相当額や慰謝料を不法行為に基づく損害賠償請求の枠組みで請求することができないかという問題です。

 残業代の不払と不法行為の成否と並行的に考えることができるのでしょうか?

 それとも、残業代とは別の考慮が働いてくるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令4.1.19労働判例ジャーナル123-20 未払賃金等請求事件です。

4.未払賃金等請求事件

 本件の被告は、個人事業として自動車整備・販売業を営んでいた方です。

 原告になったのは、被告が営んでいた工場(本件工場)で、自動車整備等に関する作業を行っていた方です。最低賃金額を下回る金額の賃金しか支払われていないとして、最低賃金額との差額賃金を請求したほか、不法行為に基づいて時効消滅した差額賃金相当額の損害賠償等を請求したのが本件です(本件は法改正前の事案です)。

 裁判所は、最低賃金法違反を認めましたが、不法行為の成立に関しては、次のとおり述べて、これを否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、未払賃金のうち消滅時効が完成したものについて、不法行為に基づく損害賠償請求として、同賃金相当額を請求している。」

「しかし、最低賃金に基づいて算出した賃金額との差額である未払賃金や時間外労働に対する割増賃金は、それに相応した未払賃金ないし割増賃金の請求権が原告に発生しており、最低賃金を下回る支払をされたこと又は時間外労働をしたことによって、損害があるとは直ちに評価できないし、また、消滅時効が完成した結果、未払賃金ないし割増賃金の請求権が行使できなくなったとしても、それは時効の援用による結果であって、それ自体を不法行為と評価することはできない。加えて、本件において、上記未払賃金の不支給が単なる債務不履行にとどまらず不法行為を構成することを基礎付けるような事情は認められない。」

「したがって、原告の請求のうち、不法行為に基づく未払賃金相当額の損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、認めることはできない。」

5.慰謝料請求ならどうだろうか?

 上述のとおり、裁判所は、最低賃金との差額賃金相当額を不法行為構成で請求することを否定しました。

 しかし、裁判所が示した論理は、差額賃金には妥当しても、生活を脅かされるようなレベルの賃金しか支給されないことによって受けた精神的苦痛との関係にはあてはまらないように思われます。私の感覚では、最低賃金を割り込む賃金しか支給しないことは、個人の尊厳を毀損する行為であり、それによる精神的苦痛は慰謝料の発生原因になって然るべきではないかという気がします。

 本件では慰謝料請求はなされていなかったようですが、時効の問題が整理された今、この問題は、慰謝料請求の可否という観点から、改めて検討する必要があるように思われます。