弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

発生原因・発生機序の良く分からない疾患(化学物質過敏症)に労災の適用が認められた例

1.発症の機序や原因が良く分からない疾病で労災は使えるのか?

 負傷、疾病、障害、死亡等が「業務上の」(労働者災害補償保険法7条1項1号)ものであるといえるためには、負傷等と業務との間に相当因果関係があることを要すると理解されています(最二小判昭51.11.12集民119-189参照 なお、この裁判例は公務災害に関する裁判例ですが、労災の裁判例でもしばしば引用されています)。

 相当因果関係とは、簡単に言うと、ある行為から、ある結果が発生することが、社会通念上相当だといえる関係を意味します。

 このように労災の適用要件を相当因果関係として理解すると、一つの困難な問題が発生します。医学的な発生原因・発生機序がよく解明されていない疾病をどのように取り扱うのかという問題です。

 原因が何なのか・特定の原因が特定の結果を引き起こす機序が何なのかが解明されていないと、原因-結果の関係を分析しようにも、検証のしようがありません。理論的帰結としては、発生原因・発生機序が解明されていない疾病で、業務起因性(相当因果関係)が認められることはありえないことになります。

 実際、裁判実務上も、医学的な発生原因・発生機序がよく解明されていない疾病で労災の適用が認められた事例はあまりありません。

 しかし、少数ながらも、相当因果関係が認められた裁判例はあります。稀に話題になるのですが、近時公刊された判例集にも、「化学物質過敏症」という発生原因や発生機序が良く分かっていない疾患について、相当因果関係を認めた裁判例が掲載されていました。札幌高判令3.9.17労働判例1262-5 国・岩見沢労基署長(元気寿司)事件です。

2.国・岩見沢労基署長(元気寿司)事件

 本件は元気寿司株式会社に勤務していた従業員の方が提起した労災の不支給処分の取消訴訟です。事業所内のトイレに散布された殺菌剤(本件殺菌剤)の原液を拭き取る作業に従事した際、化学物質過敏症を発症したとして、労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付等をの支給を申請しました。一旦は療養補償給付・休業補償給付の支給決定を受けたものの、各支給決定が取り消されるとともに、障害保障給付も支給しない処分を受けました。これに対し、各処分の取消を求めて出訴しました。

 本件では化学物質過敏症の業務起因性(業務との相当因果関係)が争点になりました。一審はこれを否定し、原告の請求を棄却しましたが、原告の控訴を受けた本件二審は、次のとおり述べたうえ、原告(控訴人)の請求を認めました。

(裁判所の判断)

「労災保険法に基づく業務災害に対する保険給付は、労働基準法(以下『労基法』という。)75条1項が定める『労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかった場合』に行われる(労災保険法7条1項1号)。労基法75条2項は、同条1項に規定する業務上の疾病の範囲は厚生労働省令で定めることとし、これを受けて労基則35条及び別表1の2が業務上の疾病の範囲を定めており、同別表は、疾病の具体的列挙規定(1号から9号までのうち、包括的救済規定以外のもの)、追加規定(10号)、包括的救済規定(2~4号、6号及び7号の各末尾の規定並びに11号)から構成されている。」

「控訴人は、化学物質過敏症を発症したと主張して労災保険法上の保険給付の支給を求めるところ、化学物質過敏症は、上記具体的列挙規定及び追加規定に掲げられた疾病には当たらないから、上記包括的救済規定、具体的には同別表4号9(同号1から8に掲げるもののほか、これらの疾病に付随する疾病その他化学物質等にさらされる業務に起因することの明らかな疾病)又は11号(その他業務に起因することの明らかな疾病)に該当するか否かを検討することになる(なお、同別表11号に該当する疾病は、1号から9号までのいずれの号の大分類にも属さない疾病であって、業務との因果関係が認められるもの及びこれらの号の大分類のうちいずれのものに該当するかについて疑義があるが、業務との相当因果関係の認められる疾病であり、上記各号末尾の包括的救済規定に掲げられた疾病は、①これらの号に例示的に掲げられた具体的疾病に付随して生じる疾病で、業務との相当因果関係が認められるもの、②今後の労働環境の変化、医学の発達等により業務との相当因果関係が認められ、かつ、これらの号の大分類の中に属すると考えられる疾病((イ)これらの号に例示された有害因子による例示疾病以外の疾病及び(ロ)これらの号に例示された有害因子以外の有害因子であって、これらの号の大分類に属するものによる疾病)であると解される。)。」

「ここでいう『業務に起因することの明らかな疾病』とは、具体的列挙規定に掲げられた疾病とは異なり、一般的な形での業務起因性の推定は困難であるが、有害因子への曝露条件や身体的素因等を検討した結果、個別に業務と当該疾病との間に相当因果関係が客観的に認められる疾病は、業務上疾病として取り扱うことを意味するものと解される。」

「そして、労災保険法に基づく労働者災害補償制度は、使用者が労働者を自己の支配下に置いて労務を提供させるという労働関係の特質に鑑み、業務に内在又は通常随伴する危険が現実化して労働者に疾病等を負わせた以上、使用者に無過失の補償責任を負わせるのが相当であるとする危険責任の法理に基づくものであると解されることから、業務と疾病等との間の相当因果関係の有無は、当該疾病等が当該業務に内在又は通常随伴する危険が現実化したことによるものであるかどうかによって決すべきである。」

被控訴人は、業務起因性を肯定するためには、①当該有害因子を有する業務に従事したこと(労働の場における有害因子の存在)、②当該有害因子について、業務上の事由により発症したと認めるに足りるだけの曝露を受けていること(有害因子の曝露条件)、③発症した疾病が、曝露した有害因子により発症する疾病の症状・徴候を示し、かつ、曝露時期と発症との間及び症状の経過に医学的矛盾がないこと(発症の経過及び病態)の3要件を満たす必要があると指摘した上、化学物質過敏症については、その概念・発症機序・診断基準が未確定で、化学物質過敏症を発症したと認めるに足りる有害因子の曝露量は不明であるといわざるを得ず、控訴人が、有害因子について、業務上の事由により発症したと認めるに足りるだけの曝露を受けたかについて判断することができず、要件②(有害因子の曝露条件)を満たしているとはいえないし、化学物質過敏症の概念及び発症機序が確立されているとはいえない以上、控訴人が発症した疾病が、曝露した有害因子により発症する疾病の症状・徴候を示し、かつ、曝露時期と発症との間及び症状の経過に医学的矛盾がないことについても、判断することができないから、要件③(発症の経過及び病態)を満たしているとはいえない旨主張する。

しかし、被控訴人の上記主張によれば、化学物質過敏症については一切労災を認めないということになりかねない。

そして、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りると解される(最高裁昭和50年10月24日第2小法廷判決・民集29巻9号1417頁、最高裁平成9年11月28日第3小法廷判決・裁判集民事186号269頁参照)こと、労基則別表1の2第4号9や第11号等の包括的救済規定が、業務上の疾病の範囲を、発症の原因とその機序が確立した医学的知見により説明することができる場合に限定する趣旨であるとは解されないこと、前記・・・のとおり、ごく微量の化学物質によって多彩な精神・身体症状を呈する病態が存在すること自体は、一般的に肯定されていること、発症の原因や機序が科学的に解明されていないとしても、症状の推移と業務との対応関係などの各事案の個別具体的な事情に照らして、業務と疾病との間に相当因果関係が認められる場合はあり得ると考えられることからすれば、発症の原因や機序が十分に解明されていないことを理由として、直ちに業務起因性を否定することは相当でない。

(中略)

「以上からすれば、本件においては、控訴人の化学物質過敏症の発症機序などについて確定することこそできないものの、控訴人が、業務上の事由により化学物質過敏症を発症したと認めるに足りるだけの有害因子(次亜塩素酸ナトリウム等)の曝露を受けており、控訴人において発症した疾病が、曝露した有害因子(次亜塩素酸ナトリウム等)により発症する化学物質過敏症の症状・兆候を示し、かつ、曝露時期と発症との間及び症状の経過に医学的矛盾がないものと認められる。したがって、控訴人の化学物質過敏症は、本件拭き取り作業に内在又は通常随伴する危険が現実化したことによるものであって、これらの間には相当因果関係があると認められる。

3.発生原因・発生機序が不十分でも勝てることはある

 相当因果関係という概念の性質上、発生原因・発生機序が分からない疾患に労災が認められることは基本的にはありません。

 しかし、本件裁判例のように、稀に認められる例もあります。本当に全くの未解明であればどうにもなりませんが、ある程度は解明されている疾病で協力医がみつかれば、労災が認められる可能性もなくはないのだろうと思われます。