弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

短時間労働者に配転されて健康保険の被保険者資格を喪失したことはどうやって争うのか?

1.健康保険に加入する利益

 一定の要件を満たす短時間労働者は、健康保険の被保険者にはならないとされています(健康保険法3条1項9号)。

 それでは、不当に出勤日や労働時間を大幅に削減され、被保険者資格を喪失した場合、労働者側は、その効力をどのように争えばよいのでしょうか?

 被保険者資格を喪失させる処分に対しては、審査請求をして争うことができます(健康保険法189条参照)。しかし、事業主から被保険者資格喪失届出が提出された場合、紛争の係属中であったとしても、健康保険組合は、一応資格を喪失したものとして扱い、被保険者証の回収等の所定の手続をとることとされています(昭和25年10月9日 保発第68号 厚生省保険局長通知第68号「解雇の効力につき係争中の場合における健康保険等の取扱について」参照)。そのため、出勤日・労働時間の削減措置の違法性が余程明らかな場合を除き、審査請求によって結論が覆ることは期待できません。

 それでは、配転の無効を求める訴えや、異動前の部署に勤務する雇用契約上の地位の確認を求める訴えで、訴訟等の司法判断を仰ぐことはできないのでしょうか?

 ここでネックになるのは、配転の無効を求める訴えが、過去の法律関係の確認を求める措置であることです。一般論として、過去の法律関係の確定を求める訴えは、確認の利益が否定されます。

 また、異動前の部署で勤務する義務の確認の請求も、基本的には認められていません。一般に就労請求権はないと考えられているからです。

 このように行政的にも司法的にも争いにくい中、健康保険の被保険者資格の喪失の適否は、どのような手続で争って行けば良いのでしょうか? 近時公刊された判例集に、この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が掲載されていました。東京地判令3.8.3労働経済判例速報2468ー22 エコシステム事件です。

2.エコシステム事件

 本件で被告になったのは、一般乗客旅客自動車運送事業等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結し、タクシー乗務員として勤務していた方です。被告から勤務形態を非常勤に変更された結果、厚生年金保険や健康保険の非保険磋資格が失われたとして、変更前の勤務の地位で勤務できる立場にあることの確認を求める訴えを提起しました。

 単に配転の効力を争う事件であれば、従来、このような請求を掲げることは困難と理解されてきましたが(配転の効力を争う場合、通常は、新部署に勤務する呼応契約上の義務がないことの確認を求めることになります)、裁判所は、次のとおり述べて、訴えの利益を認めました。

(裁判所の判断)

「被告は、本件配転命令により原告に定時制昼勤務を命じたとして、原告が、平成29年10月31日(本件配転命令の発効日)から令和元年6月20日(退職日)までの間、定常日勤昼勤務のタクシー乗務員たる雇用契約上の地位を有していたことを争っており、原被告間の法律関係について紛争が存在する。」

「もっとも、確認の訴えは、原則として、現在の権利又は法律関係を対象とすべきであるところ、本件地位確認請求の対象は、原被告間における過去の法律関係を対象とするものである。」

「また、原告が本件地位確認請求の目的とするところは、本件資格喪失確認処分の取消し(健康保険法上の傷病手当金の受給)にあるものと認められるところ、この点について、被告は、年金事務所等に対し本件資格喪失確認処分の取消しを求めるべきであり、被告を訴訟の相手方とすべきではない旨を主張する。」

「しかし、解雇の効力について係争中の場合における健康保険等の取扱に関し、厚生省保険局長通達(昭和25年10月9日保発第68号)は、保険者において解雇の効力を認定することの困難性等を根拠に、当該解雇が法令等に違反することが明らかな場合を除き、事業主から被保険者資格喪失届の提出があったときは、一応資格を喪失したものとしてこれを受理すべきであり、後に裁判所が解雇無効の判定をし、その効力が生じたときは、当該判定に従い遡及して資格喪失の処理を取り消すべきものとしているところ(甲21)、日本年金機構足立年金事務所長に対する調査嘱託の結果(令和3年2月8日付け回答)によれば、同機構理事長は、労働条件の変更に伴う健康保険等の資格喪失についても、解雇の場合と同様に、裁判所が当該労働条件の変更を無効と判断すれば、当該資格喪失処分を取り消す運用をしていることが認められるから、本件地位確認請求について確認の利益を肯定すべきである。

「これに対し、被告は、本件資格喪失届に係る処分が取り消されるとしても別の事由による資格喪失届の提出を指示される可能性もある旨を主張するが、かかる抽象的可能性によって本件地位確認請求の確認の利益(訴えの利益)の有無が左右されるものではない。」

「また、被告は、令和2年10月23日には原告の全ての傷病手当金請求権が時効により消滅している旨を主張するが、時効の援用が保険者の自由意思に委ねられるものである以上(民法145条参照)、やはりその可能性によって本件地位確認請求の確認の利益の有無が左右されるものではない。」

3.過去の法律関係の確認を求めることが認められた

 結局、裁判所は、

「原告が、被告に対し、平成29年10月31日から令和元年6月20日までの間、□□営業所定常日勤昼勤務のタクシー乗務員たる雇用契約上の地位を有していたことを確認する。」

との請求を認容しました。

 これは就労請求権がない中では、異例なことです。被保険者資格の喪失を回復することが主目的である場面は、こうした異例な取扱いが許容されるとを示した点に、本裁判例の先例的な意義があります。

 健康保険に加入していれば、私傷病で休職することになっても傷病手当金を受け取れるなどのメリットがあるため、被保険者資格の有無は生活上の利益と密接に関連しています。同様の事態に直面し、困っている方がおられましたら、参考にして頂ければと思います。