弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

労働者側で「退職合意がなされたにもかかわらず・・・」という文書を発出しても、合意退職を否定できた例

1.退職意思の慎重な認定

 以前、

合意退職の争い方-退職の意思表示の慎重な認定 - 弁護士 師子角允彬のブログ

という記事を書きました。

 この中で、東京地裁労働部に、退職の意思表示を厳格に認定する傾向があることを、お話させて頂きました。

 そうした観点から、もう一つ、合意退職の成否を争うにあたり、参考になる裁判例をご紹介させて頂きます。東京地判令3.4.27労働判例ジャーナル114-26 寶清寺事件です。参考になるポイントは、労働者側で、使用者に対し「退職合意がなされたにもかかわらず・・・」という文書を発出していたにもかかわらず、合意退職の成立が認定されなかったところです。

2.寶清寺事件

 本件で被告になったのは、日蓮宗の宗教法人(被告寺)と、その代表役員・住職の方(被告b)です。

 原告になったのは、被告bの二女dと婚姻し、名前を変えた方です。副住職として扱われ、基本給や賞与の支給を受けていました。

 原告とdは、平成30年12月頃、離婚について話し合い、同月18日に別居に至りました。被告寺は、この日、平成31年2月末日付で契約を終了させる合意が成立したとして、原告の退職処理を行うとともに、退職の事実を檀家向けの媒体でる新聞に記載しました。

 こうした扱いに対し、原告が、

被告寺に対して、地位確認等を、

被告寺及び被告bに対して、名誉毀損、違法な退職勧奨、及び、パワーハラスメントを理由とする損害賠償金の支払いを、

請求したのが本件です。

 地位確認等請求との関係でいうと、原告は、外観上、合意退職が成立したことを前提としているかのように捉えられかねない行動を、複数とっていました。

 その中の一つが、冒頭に掲げた文書の発出です。

 原告は、被告寺から、平成30年12月30日に即時の退寺を求められ、同月31日には厚生年金の資格喪失手続をとられました。こうした扱いを受け、平成31年1月18日、原告は、被告bに対し、

「当初平成30年12月18日時点で、平成31年2月末日での退職合意がなされたにもかかわらず、平成30年12月30日の即日解雇については納得しておりません。」と記載された文書を発出しました。

 本件では、こうした行為が合意退職の成立を認定する根拠にならないのかが問題になりました。

 裁判所は、次のとおり判示し、合意退職の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告寺は、原告と被告寺は、平成30年12月18日、原告が平成31年2月末日で被告寺との契約を終了させることに合意した旨主張し、証拠(乙30、被告b本人)がこれに沿う。」

「しかし、原告が被告寺との契約(労働契約)を終了させることに合意したことを裏付ける原告作成の退職願、退職届等の書面は提出されていない。そして、被告b自身、平成30年12月18日の話合いにおいて、原告自身が被告寺を退職することに同意する旨の発言をしたかどうかについて『聞いておりませんが。』とも供述しており・・・、原告が被告寺を退職することに同意する旨の発言をしていないことが認められる。そして、何より、原告は、前記・・・のとおり、被告寺において僧侶となるために自らの氏や名まで改めるまでしているのに、被告寺を退寺した場合、自らの僧侶としての身分はどうなるのか、自らの氏や名はどうなるのかなどの退寺の条件が全く明らかでないにもかかわらず退寺することに易々と同意するはずがない。

「被告寺は、次の各事実から、原告が被告寺を退職することに同意していたことが推認されると主張するが、これを採用することはできない。」

「被告寺は、原告は、平成30年12月18日の夜に、自宅マンションに置いていた私物の全てを搬出して引っ越し、dに対して自宅マンションの鍵を返したことから、原告が被告寺を退職することに同意していたことが推認されると主張し、確かに、前記・・・のとおり、原告は、同日の夜に、自宅マンションに置いていた私物の一部を搬出し、被告bに対して自宅マンションの鍵を返している。」

「しかし、これは、前記・・・のとおり、被告bが同日に原告に対して直ちに自宅マンションから転居するよう求めたことを受け、自宅マンションの所有者が被告bであったことからこれに従ったものにすぎず、これをもって原告が被告寺を退職することに同意していたことを推認することはできない。」

「被告寺は、原告が、平成30年12月20日、自宅マンションを訪れて、dに対し、財産分与として小切手及び現金の合計550万円を交付したことから、原告が被告寺を退職することに同意していたことが推認されると主張し、確かに、前記・・・のとおり、原告は、平成30年12月20日、自宅マンションを訪れて、dに対し、小切手及び現金の合計550万円を交付している。」

「しかし、これは、前記・・・のとおり、被告bが、平成30年12月18日の話合いにおいて、原告に対し、総額2212万3000円の法礼金を支払ったとして、その半分をdに返すように言ったことに従ったものにすぎず、これをもって原告が被告寺を退職することに同意していたことを推認することはできない。」

被告寺は、原告が『当初平成30年12月18日時点で、平成31年2月末日での退職合意がなされたにもかかわらず』と記載した書面を被告bに送付していることなどから、原告が被告寺を退職することに同意していたことが推認されると主張し、確かに、前記・・・のとおり、原告は、『当初平成30年12月18日の時点で、平成31年2月末での退職合意がなされたにもかかわらず、平成30年12月30日の即日解雇については納得しておりません。』と記載した書面を被告bに送付している。

しかし、原告の上記記載は、被告bが平成30年12月30日の即時退職を主張したことに対する反論としてされたものであり、これをもって原告が被告寺を退職することに同意していたことを推認することはできない。

「このほか、被告寺は、原告がdと離婚すると発言していたとか、書面に離婚に伴う財産分与を行うことを前提とする記載をしていたことなどから、原告がdと離婚することや被告寺を退職することに同意していたことが推認されると主張する。」

「しかし、離婚には様々な条件が付随するから、原告がdと離婚することが最終的にはやむを得ないと思っていたとしてもそれをもって直ちに離婚することに合意したと認めることはできないし、現時点においても、原告とdとの離婚は成立していない。」

「以上によれば、原告と被告寺が、平成30年12月18日、原告が平成31年2月末日で被告寺との契約を終了させることに合意したことを認めることはできない。」

3.住職という地位の特殊性も判断には影響しただろうが・・・

 本件の原告は僧侶となるために、自らの氏名を改めるなど、並々でない行為に及んでおり、こうした地位の特殊性が、合意退職の認定を妨げる方向で、大きな影響を持ったのが確かだと思います。

 ただ、そうであるにしても、

「退職合意がなされたにもかかわらず・・・」

という書面を自ら発出しながら、合意退職の成立を否定できたことは、注目に値します。このような文書が発出されていた場合、その時点で、合意退職の成立を争うことを断念する弁護士がいたとしても不思議ではないだろうと思います。

 近時の一連の裁判例の傾向からも分かるとおり、退職意思の認定に裁判所は慎重な姿勢をとっています。錯誤、強迫・詐欺といった分かりやすい問題がなくても、また、退職を認めるかのような行動をとっている場合であっても、まだ何とかなる可能性があります。気になる方は、諦める前に、一度、弁護士のもとに相談に行ってみた方が良いだろうと思われます。