弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

契約の打診を退職予定の職場に繋がなかったことは労働者の義務違反か?

1.退職する労働者への悪感情

 労働事件に関する相談を受けていると、退職にまつわるトラブルに触れることがあります。退職にまつわるトラブルには、①勤務先から引きとどめられて辞めさせてくれないという類型と、②勤務先から損害賠償請求や不利益処分が行われるなど辛く当たられているという類型があります。

 ②の類型の一つに、取引先からの契約の打診をきちんと職場に引き継がなかったことを理由とした損害賠償請求があります。

 取引先としては、信頼していた担当者が退職してしまうにあたり、新たに信頼できる仕事の発注先を探そうとします。小規模な事業体は、しばしば人的な繋がりを取引関係の基盤にしているため、社内の人物であれば誰でも良いとはなりません。

 他方、退職を決めた労働者の職場に対する帰属意識は、薄くなってしまっていることが少なくありません。そのため、新たに取引先から契約の打診を受けても、退職を予定している職場ではなく、個人的に信頼している同業者の名前を挙げてしまうことがあります。

 それでは、取引先からの契約の打診を退職予定の職場に繋がなかったことは、損害賠償義務を負う理由になるのでしょうか?

 ケースバイケースではあるものの、この問題を考えるにたり、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令3.2.26労働判例ジャーナル112-60 フォーザウィン事件です。

2.フォーザウィン事件

 本件は使用者から退職した元従業員に対して提起された損害賠償請求事件です。

 本件で原告になったのは、東京都において派遣若しくは業務請負にてシステム開発等の業務を行う株式会社です。

 被告になったのは、システムエンジニアとして働いていた原告の元従業員です。

 原告は、損害賠償保険ジャパン株式会社(損保ジャパン)が発注元となるシステムの孫請けをしていました。具体的に言うと、損保ジャパンから発注された仕事は、先ず沖電気工業株式会社(沖電気)が請負い、その業務の一部がKCCSやモバイルエンジニアリング株式会社(KCME)に下請に出されていまた。そのKCMEから仕事を委託されていたのが原告になります。

 こうした関係性のもと、本件では、被告がKCMEからの案件(ソニーグローバルソリューションズにおける案件・ソニー案件)を打診された際に、原告に繋ぐことなく知人Cノン前を挙げうなどしていて、糊塗のののののノののことの適否が争点の一つになりました。

 より具体的に言うと、原告は、

「被告は、平成30年12月14日以、同月20日頃までの間に、KCMEの社員と平成31年1月以降の業務の話をしている際に、本来、自身が担当することができないことを原告を通じて話し、他の担当者をつけることを前提とした協議など、その後の対応を原告に委ねるべきであったにもかかわらず、これを行わず、自身の個人的な知人であるC(以下「C」という。)をKCMEに紹介した。・・・被告の行為は、雇用契約上の専心義務に違反し、不法行為となる。」

と主張し、被告に損害賠償を求めました。

 しかし、被告は、

「ソニーグローバルソリューションズにおける案件(以下『ソニー案件』という。)を原告に任せられないと判断したKCMEの担当者から、『知り合いに心当たりはいないか。』と訊かれたことから、知人であるCの名前を出しただけであり、雇用契約上の専心義務に違反していない。」

と反論し、原告の請求を争いました。

 この論点に関し、裁判所は、次のとおり述べて、原告の請求を棄却しました

(裁判所の判断)

「原告は、被告は、原告とKCMEとの間で既に合意が成立していたソニー案件について、自身が対応できないのであれば、その旨原告に伝えるべきであったのに、伝えなかったことについて雇用契約上の専心義務違反があると主張する。」

「しかしながら、原告とKCME間の取引基本契約書4条1項には、『個別契約は、甲が乙に注文書を発行し、乙がこれを承諾することにより成立する。』とされているところ・・・、ソニー案件においては注文書が発行されていないばかりか、見積書、現品票、完了報告書等も作成されておらず・・・、平成30年12月14日までにDとEとの間でソニー案件の契約締結に向けてメールでやり取りが重ねられた事実を考慮しても、原告とKCME間でソニー案件についての個別合意が成立したとはいえない。」

「また、DとEとの間でメールのやり取りがなされ、原告とKCMEとの間でソニー案件を被告に業務遂行させる方向で話が進んでいたことは確かであるものの、原告からは同年12月7日頃を最後に一切被告に連絡をしておらず、被告はソニー案件の契約に関する進捗状況を知りようがなかったと認められる・・・。」

かえって、被告は原告の契約社員なのであるから、原告は被告に指揮命令すべきであるところ、原告は、ソニー案件について、被告に対し、契約の進捗状況について説明をせず、業務の開始時期、業務場所等についても何ら具体的な指揮命令をしていない。」
『このような状況下において、被告が、原告はソニー案件を被告にやらせるつもりなのか、そうでないのか判断がつかなかったとしても無理からぬことというべきである。

『これらを踏まえると、被告がソニー案件に対応できない旨を原告に伝えず、その後の対応を原告に委ねなかったとしても、専心義務違反があったとまで認めることはできない。」

(中略)

「原告は、被告が原告に対して退職の意を伝えていないために、原告がKCMEとの間で代替要員について協議する機会を失っていることを認識し得たにもかかわらず、漫然とKCMEに言われるままにCを紹介した結果、原告とKCMEとの契約の成立を阻害して原告に損害を与えたのであり、少なくとも過失による不法行為が成立するとも主張する。」

「しかしながら、KCMEが最終的に原告を取引相手に選ばなかったのは、KCMEの判断であって被告が関与するものではなく、被告の上記行為と原告の損害との間に因果関係を認めることはできない。

「したがって、被告の上記行為につき過失による不法行為が成立するとの原告の主張を採用することはできない。」

5.勤務先が無関心である場合に、取引先の求めに応じて名を挙げることは許容された

 裁判所は、職場からの態度がはっきりとせず、契約を取りに行くという積極的な姿勢がみられない中、取引先からの求めに応じて知人の名前を出す程度のことは、適法性に問題がないと判示しました。

 冒頭で述べたとおり、退職間際の気の弛んだ時の行為を捕捉して行われる報復的な損害賠償請求は、一定の頻度で目にする事件類型です。本件は、こうした事案の処理にあたり、参考になる可能性があります。