弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

「農家の嫁にはなれん」との言動の適法性

1.問題ではあっても違法とまでは認められない言動

 職場で上司や同僚から不適切な言動を受け、損害賠償を請求することができないかと相談を受けることがあります。

 しかし、事実として不適切な言動が認められる場合でも、必ずしも損害賠償まで請求できるわけではありません。裁判では、

「問題(不適切)ではあっても、違法とまでは認められない。」

という領域があるからです。言動を理由に損害賠償を請求するためには、ただ単に不適切であるというだけではなく、不適切さが違法だといえるレベルにまで達している必要があります。

 言動の違法/適法の境目がどこにあるのかは、言語で表現するのは難しく、実務経験を重ねたり、判例集を読み込んだりすることを通じて、感覚的に掴み取って行くしかありません。

 そうした観点から、近時公刊された判例集に、興味深い裁判例が掲載されているのを見付けました。神戸地判令2.12.3労働判例ジャーナル108-40 社会福祉法人むぎのめ事件です。この事件では、

「私は農家の出なので、たくさん泥を触って育ってきたんで感染症などと言ってたら農家の嫁にはなれん。」

という言動に違法性が認められるか否かが問題になりました。

2.社会福祉法人むぎのめ事件

 本件で被告になったのは、障害者福祉施設(本件施設)を運営する社会福祉法人(被告法人)や、その理事長(被告P2)です。

 原告になったのは、本件施設で被告の正職員として働いていた女性です。被告法人による解雇の効力を争うとともに、セクシュアルハラスメント(セクハラ)やパワーハラスメント(パワハラ)を受けたことを理由に損害賠償を請求する訴訟を提起しました。原告からセクハラと主張されたのが、冒頭に掲げた言動です。
 原告入職当時、本件施設では、羊毛フェルト手芸作業(ニードル作業)が実施されていました。ニードル作業とは、フェルト作業専用の針(ニードル)を羊毛フェルトに突き刺し、整形して行くことをいいます。

 本件施設では、少なくとも平成28年7月10日までの間、ニードルは、本件施設の利用者ごとに準備するのではなく、利用者間で共用されていました。

 この状態を見た原告の方は、

ニードル使用時に誤って指を刺すリスクがあること、

その際、出血を伴うこともあること、

ニードルを使用することにより、ニードルに付着した血液を通じて各種の感染症が蔓延するリスクがあること

などをに思いをめぐらせ、、ニードルの管理方法を変更したうえ、ニードル作業関係者に対して血液感染のリスクを伝えるほか、血液検査を実施すべきだと考えました。

 こうした考えに基づいて、被告法人や、市(市生活支援課)、県(伊丹事務所)に働きかけをしていったところ、

「問題のない通所者の作業に関し、3回にわたり伊丹事務所に、本人の独断で、行政から指導するよう詰問、恫喝口調で電話を行い、同事務所に迷惑をかけた」ことや、

「通所者の氏名を記入した文書を、本人の独断で同事務所に送付した」こと

などを理由に解雇されてしまいました。

 冒頭に掲げた、被告理事長P2の

「私は農家の出なので、たくさん泥を触って育ってきたんで感染症などと言ってたら農家の嫁にはなれん。」

との言動は、一連の経過の中でなされたものです。

 この言動が不法行為を構成するか否かについて、裁判所は、次のとおり述べて、問題ではあっても違法とは認められないと判示しました。

(裁判所の判断)

「被告P2が、9月16日、原告に対し、『私は農家の出なので、たくさん泥を触って育ってきたんで感染症などと言ってたら農家の嫁にはなれん。』という趣旨のことを述べたことが認められる・・・。」

確かに、被告P2の上記発言は、性別役割固定の肯定とも受け取れるものであり、ジェンダーの視点から見ると問題であるといえる。しかし、上記発言は、一般通常人の捉え方を基準として、性的不快感を感じさせるものとまでは認められず、原告に対する不法行為を構成するものとは認められない。

3.性的不快感を感じさせるものと認められるか否か、微妙なラインであろう

 被告P2は農家出身とのことですが、昨今の社会情勢に鑑みると、一般通常人の捉え方を基準として、性的不快感を感じさせるものとまでは認められないと断言できるかは、それほど自明なことではないように思われます。むしろ、その性別役割分担論的な発想に嫌悪感を抱く人は少なくないように思います。

 近時の裁判例の動向を見ていると、不適当と違法の境界線上に位置する言動について問題提起される事案が増えているように思われます。無用な紛争を避けるためには、職場において、性別役割固定と捉えられかねないような言動は、とらないに越したことはありません。

 

※ 令和4年10月21日、一部文章を改定しました。