弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

病気休職中に産業医面談を実施してくれなかったことを安全配慮義務違反に問えるか?

1.権限不行使の問題

 国家賠償請求の局面においては、しばしば権限の不行使が問題になります。公権力が適切に権限を行使していれば防げたはずなのに、それをしなかったのは問題だという主張のされ方をします。事件類型としては、安全措置の懈怠、規制処分権限の不行使、省令制定等の制定権限の不行使といったものがあります(宇賀克也ほか編著『条解 国家賠償法』〔弘文堂、初版、平31〕73-74頁参照)。

 これに対し、民-民の場合、一方が他方を規制するという関係には立ちません。したがって、損害賠償請求訴訟の中で、権限の不行使に違法性が認められるか否かが問題になることは、基本的にはありません。

 しかし、民-民ではあっても、一方が他方に対して従属することになる労使関係においては、使用者が権限を行使しなかったことが、安全配慮義務違反の有無という形で争われることがあります。

 近時公刊された判例集に、こうした権限の不行使の適否が問題になった裁判例が掲載されていました。東京地判令2.10.8労働経済判例速報2438-20多摩市事件です。この事件では、病気休暇中の月1回の産業医面談を実施しなかったことの適否が問題になりました。公務員に関する裁判例ではありますが、安全配慮義務違反の有無が争われた事案であり、民-民の労使関係の在り方を考えるうえでも参考になります。

2.多摩市事件

 本件で被告になったのは、普通地方公共団体である多摩市です。

 原告になったのは、被告の職員として勤務していた方です。人事権を濫用した違法な転任処分を受けたことにより、自立神経失調症に罹患して病気休職に追い込まれ、更にはハラスメントによって退職を余儀なくされたとして、被告に対し、債務不履行ないし国家賠償法に基づく損害賠償を請求した事件です。

 本件の争点は多岐に渡りますが、その中の一つに、権限不行使の問題があります。

 被告には、

「病気休職の手続及び病気休職中の職員の復職審査に関する要綱」

という告示(平成26年12月3日多摩市告示第486号)があり、そこには、次のような規定がありました。

(産業医の受診)

 第3条 病気休職中の職員は、健康状況の継続的な確認のため、産業医(多摩市職員安全衛生管理規則(昭和61年多摩市規則第26号)第12条に規定する産業医をいう。以下同じ。)の診察を、原則として1月に1回程度受けなければならない。ただし、当該職員の病状等の診察を受けることのできない正当な事由がある場合は、この限りでない。
 2 産業医は、前項の規定による診察のほか、病気休職中の職員の健康状況を確認し、又は必要な指導を行うため、当該職員の同意を得て、情報提供依頼書により当該職員の主治医等から治療経過等の情報提供を受けることができる。
 3 産業医は、第1項の診察を行ったときは、産業医意見書に必要事項を記入し、任命権者に提出するものとする。
 4 任命権者は、病気休職中の職員が正当な理由なく第1項の診察を受けない場合は、当該職員に対して産業医の診察を受けることを命じることができる。

(所属長等による病気休職中の職員への対応)

第4条 病気休職中の職員の所属長(以下「所属長」という。)又は総務部人事課長(以下これらを「所属長等」という。)は、次に掲げる方法により、当該職員の病状及び療養状況を把握し、当該職員が療養に専念できるよう必要な措置を講じなければならない。
(1)必要に応じて当該職員又は家族等の関係者と面談又は連絡を行うこと。
(2)産業医から当該職員についての助言又は指導を受け、その助言又は指導を実施すること。
2、3(略)

 しかし、原告には、休職期間のうち、9か月以上に渡って、産業医面談が実施されていない時期がありました。

 こうした取り扱いについて、原告は、

「被告は、本件要綱3条の定めにより、病気休職中の職員(以下「休職者」ともいう。)に対し、月1回の産業医面談を実施すべき義務を負っていたにもかかわらず、これを怠り、原告に対し、平成30年6月11日まで9か月間という長期にわたって産業医面談を実施しようとしなかった。被告の上記不作為は、原告に対して負う安全配慮義務に違反する。」

と安全配慮義務違反を主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、安全配慮義務違反を否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告には、休職者に対して月1回の産業医面談を実施すべき義務があると主張する。」

「しかしながら、一般に、産業医面談は、休職者の治療を目的とするものではなく、使用者が休職者に対して復職又は休職に係る適切な処分をするにあたり、当該休職者の体調を把握する目的で実施されるものであるところ、本件要綱も、第1条において、『心身の故障のため病気休職をする職員について、病気休職の手続、職場復帰に際しての審査等について定める』ものとされていること・・・から、本件要綱に基づく産業医面談も上記目的で実施されるものであることが認められる。以上に加えて、本件要綱が、産業医面談を受けることを休職者の義務として規定し(3条1項本文)、被告が休職者の病状等に応じて上記義務を免除すること(同項ただし書)や正当な理由なく上記義務を履行しない休職者に対して受診命令を発令すること(同条4項)を定めていることに照らすと、本件要綱の規定を根拠に、被告において休職者に対して月1回の産業医面談を実施すべき義務があると解釈することはできない。

「原告は、被告において休職者に対して産業医面談を実施すべき義務は、労働契約法5条及び労働安全衛生法13条の定める企業の安全配慮義務に由来するものであるから、本件要綱に定めがないからといって被告が上記義務を負わない理由にはならないとも主張する。しかしながら、労働契約法5条は、使用者の労働者に対する一般的な安全配慮義務を定めたものであり、労働安全衛生法13条は、事業者の産業医選任義務を定めたものであるから、これらの規定から直ちに、被告について、休職者に対して月1回の産業医面談を実施すべきであるという具体的義務が発生すると解することはできない。」

「以上によれば、原告の上記主張を採用することはできない。」

3.確かに、因果関係論・損害論との関係で難しい問題はあるが・・・

 産業医面談の不実施が安全配慮義務違反に該当したとしても、損害との間の因果関係を認定できない可能性は否定できないと思います。その意味では、安全配慮義務違反が認定できたとしても、結論は変わらなかったかも知れません。

 しかし、

「療養に専念できるよう・・・産業医・・・の助言又は指導を実施する」

という建て付けの要綱がありながら、産業医面談の不実施を義務違反としたことは、やや自治体・使用者側の利益に傾斜しすぎているのではないかという感が否めません。本件は、労働者側にとって、厳しい裁判例であるように思われます。