弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

残業代請求-黙示の指示が認められる要件

1.黙示の指示

 残業代を請求した時に使用者側から寄せられる反論パターンの一つに、

「勝手に働いていただけだ。」

という主張があります。

 確かに、使用者から明示的に残業を禁止されていた場合には、時間外労働をしたとしても、労働時間としてカウントしてもらえないことがあります。

 しかし、裁判官の執筆に係る文献に、

「時間外労働は、労働義務と不可分一体であるため、使用者の明示または黙示の指示があれば、労働時間と認められ、労働者が規定と異なる出退勤を行って時間外労働に従事し、使用者が異議を述べていない場合や、業務量が所定労働時間内に処理できないほど多く、時間外労働が常態化している場合には、黙示の指揮命令に基づく時間外労働と認められる・・・。黙示の指示が認められれば、時間外労働への従事を事前の所属長の承認にかからしめる就業規則があっても、労働時間該当性は否定されない」(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕65頁参照)

と書かれていることからも分かるとおり、明示的な指示がなかったとしても、黙示的にでも指示があったと認められるような事情があれば、時間外労働の労働時間性が否定されることはありません。

 それでは、具体的に、どのような事情があれば、「黙示の指示」や「黙示の指揮命令」が認めらえるのでしょうか。

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令2.10.20労働判例ジャーナル107-44 学校法人木村学園事件です。

2.学校法人木村学園事件

 本件は、被告学校法人の元職員の方が提起した残業代請求訴訟です。

 原告は、タイムカードに基づいて、各労働日の始業時間・終業時間を主張しました。

 しかし、被告学校法人は、

所定労働時間を超えて時間外労働をする必要はなかった、

タイムカードの打刻時刻が遅くなったのは帰り支度が遅くなったからにすぎない、

などと主張し、残業代の支払い義務の存在を争いました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、タイムカードに沿って労働時間(始業時刻・終業時刻)を認定しました。

(裁判所の判断)

「原告主張の始業時刻及び終業時刻はいずれもタイムカードに打刻された始業時刻及び終業時刻であることが認められ、加えて、証拠・・・によって認められる原告の業務内容や原告の陳述内容・・・を総合すると、平成29年11月1日から平成30年3月10日までの原告の始業時刻及び終業時刻並びに休憩時間は基本的に原告主張のとおりであると認めるのが相当であり、この認定を左右するに足りる他の証拠はない。そして、被告は、タイムカードの記載のほか、原告の上司等を通じるなどして、原告が所定労働時間外において労務に従事していることを認識しつつ、原告を労務に従事させていたはずであるから、原告は、所定労働時間外において労務に従事していた時間、被告の黙示の指揮命令下に置かれていたものといえる。したがって、原告主張の始業時刻から終業時刻までの時間から休憩時間を控除した時間は、基本的に労働時間に当たるというべきである。」

3.「労務に従事していることを認識」していれば足りるのか?

 裁判所は、

「原告が所定労働時間外において労務に従事していることを認識しつつ、原告を労務に従事させていたはずであるから」

との理屈で黙示の指揮命令を認めました。

 このフレーズは、様々な事案への応用可能性を持っています。

 労働者が労務に従事していることを認識する契機には、様々なものがあります。打刻したタイムカードの提出はもとより、上司へのメールの送信、レポート等労働成果物の提出、業務日誌の提出など、使用者側の認識を立証する方法は多岐に渡ります。

 時間外労働の労働時間性の立証について、明示的に禁止することなく時間外勤務を認識していたことさえ立証すれば足りるとした場合、時間外労働に労働時間性が認められる範囲は、かなり広くなるではないかと思われます。

 タイムカードのある事案であったことから、打刻に沿った始業時刻が認められたのは、当然といえば当然の事案ではあります。

 しかし、ありふれた事案の中にも、他の事件でも使えそうな意義深い判断を示した裁判例は少なくありません。本件も、そうした裁判例の一つとして、位置付けられるのではないかと思われます。