弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

セクシュアルハラスメント事案の損害賠償-慰謝料・退職を余儀なくされたことによる逸失利益の認定例

1.セクハラ事案の損害賠償

 民法上の不法行為への該当性が認められる場合、セクハラの被害者は、加害者に対して損害賠償を請求することができます。

 被害者が主張する典型的な損害項目に、慰謝料と逸失利益があります。

 慰謝料とは精神的苦痛を慰謝するに必要な金銭のことです。

 逸失利益は、セクハラを受けて退職を余儀なくされた労働者が、被害を受けずに勤務を継続していれば得られたはずの金銭という趣旨で請求されることがあります。

 セクハラは、言葉による比較的軽微なものから、性犯罪に近い肉体的侵襲を伴うものまで、態様が多岐に渡ります。そのため、損害賠償の相場観を身に付けることが困難な不法行為類型の一つとされています。

 相場観・実務感覚を得ていくためには、公表裁判例を一つ一つ地道に読み込んでいくしかありません。昨日ご紹介した大阪地判令2.2.21労働判例1233-66 P社ほか(セクハラ)事件は、セクハラ事案における損害賠償の水準を知るためのサンプルという点でも意義のある裁判例です。

2.P社ほか(セクハラ)事件

 本件で被告とされたのは、経営に関するコンサルティング業務等を目的とする株式会社です。原告らにセクシュアルハラスメントをしたとして、創業者Y1(昭和22年生まれ)も共同被告とされています。

 原告になったのは、被告に採用されていた平成元年生まれの女性X2と、平成6年生まれの女性X1の二名です。

 原告X1は、平成29年9月21日にY1と共にローマ出張に行った時、空港から宿泊予定のローマ市内のホテルへ向かうタクシーでの移動中、「どうや、愛人になるか」「君が首を縦に振れば、全部が手に入る。全部、君次第。」などと言われました。

 その後、ホテルに行った原告X1は、チェックイン時になって、入室できる部屋がY1名義で予約された部屋しかないことを知らされました。このように伝えられた結果、実際には二部屋が予約されていましたが、X1は自分とY1のための部屋として1部屋しか予約されていないと認識しました。Xは自分用の部屋を予約するよう懇請したものの、Y1に拒絶され、やむなく部屋に移動しました。Y1がシャワーを浴びる行動に出たことに恐怖を感じ、X1は部屋を出て逃げるように帰国しました。

 その後、代理人弁護士を通じ、平成29年10月5日、被告会社らに対し、Y1の居宅兼事務所での就労が不可能であることを伝えるほか、セクハラの社内調査、再発防止措置、Y1らの謝罪、セクハラのない職場であることが確認されて出社できるまでの間の給与の支払等を求める通知を送付しました。

 しかし、被告会社は事実関係の調査や、出社確保のための方策をとることを怠りました。結果、原告X1は平成29年12月31日付けで被告会社を退職しました。

 原告X1は退職するまでに不就労期間の賃金を請求したほか、上記のようなセクハラが不法行為に該当するとして、

慰謝料

弁護士費用

1年分の賃金額(賞与含む)に相当する逸失利益

を請求しました。

 原告X1の請求に対し、裁判所は、次のとおり損害額を認定しました。

(裁判所の判断)

-慰謝料・弁護士費用-

「被告Y1によるセクハラ行為は、被告会社での地位や権限、年齢・社会経験等に大きな格差があることを背景に、海外出張先で愛人になるよう求めた上、一時的であれホテルの部屋に同室を余儀なくさせるという態様のものであること、原告X1は逃げるようにして帰国することを余儀なくされ、その後の出社することなく退職に至っており、少なからぬ精神的苦痛を被ったと考えられること、その他本件に顕れた一切の事情を総合的に勘案すれば、被告Y1のセクハラ行為による原告X1の慰謝料として、50万円を認めるのが相当である。」

「そして、上記アの認容額、事案の難易、その他本件に顕れた一切の事情に鑑みれば、原告X1の弁護士費用5万円を相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。」

-職場環境整備義務違反に係る逸失利益-

「原告X1は、被告会社の職場環境整備義務違反による損害に関し、少なくとも被告会社に勤務して得ることのできた一年分の賃金を喪失した旨主張する。」

「しかし、原告X1がローマ出張から帰国してから退職までの間には3か月余りの期間があることに加え(なお、後記6のとおり、原告X1はこの間の賃金請求権を有している。)、原告X1の年齢・経歴等も併せ鑑みれば、退職を余儀なくされたこととの間に相当因果関係のある損害は、約定賃金月額30万円の3か月分に相当する90万円の範囲であると認めるのが相当である。」

3.損害賠償の水準は低い

 裁判所は、慰謝料額として50万円、逸失利益として賃金3か月分・90万円(3か月程度もあれば同水準の勤務先に再就職可能だという発想だと思われます)の損害を認めました。

 物理的接触がなく、精神疾患を発症した証拠が見当たらない事案であることを考慮しても、本件ほど露骨なセクハラに対し、慰謝料50万円というのは低額に過ぎるのではないかと思う一般の方は少なくないと思います。

 不就労期間約3か月分の賃金請求が認められていることを考慮しても、職場がきちんとした対応をとってくれず、不本意な形で退職せざるを得なくなった方の逸失利益の請求に対し、3か月分も賃金を渡せば十分だろうという発想は、いかにも乱暴であるように思われます。

 本邦の損害賠償法の体系が、損害填補を旨とし、違法行為の抑止を目的としていないことはその通りなのですが、裁判所が違法行為への抑止力になり得ない水準でしか慰謝料等を認め続けないことに対しては、やはり釈然としない感があります。