弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

退職意思を伝えるのは辞める直前に

1.退職意思を表明した従業員に冷淡になる会社

 辞意を表明した従業員に対し、冷淡な対応をとる会社があります。

 冷淡なだけならまだしても、それほど重大でもない非違行為を取り上げては懲戒処分を科するといったように、見せしめ的な行為に及ぶ会社も少なくありません。こうした無理のある懲戒処分は、そう簡単には有効になりません。

 しかし、懲戒解雇を言い渡された場合、事後的に懲戒解雇が無効であるとの判断が得られたとしても、退職したいと口走っていたことが、得られる経済的な利益との関係で、不利に取り扱われることがあります。

 一昨日紹介した大阪地判令2.8.6労働判例ジャーナル105-30 福屋不動産販売事件も、そうした事例の一つです。

2.福屋不動産販売事件

 本件で被告になったのは、不動産の売買・賃貸・仲介及び管理等を目的とする株式会社です。

 原告P1は被告会社の従業員であった方です。居住用と偽って社員割引制度を利用して不動産を購入したことを理由に懲戒解雇されたため、解雇の効力を争い、被告会社を相手取って地位確認等を求める訴えを提起しました。

 裁判所は、居住目的であると虚偽の届出を行って不動産を購入した事実を認定したものの、

「福屋不動産販売(枚方)が具体的に被った損害としては仲介手数料を得られなかったというにとどまり、その額も福屋不動産販売(枚方)にとり大きな額であったとまでいえない。加えて、結果的には、原告P1は、本件宅地・居宅に現在に至るまで居住し続けていること(原告P1本人、弁論の全趣旨)を考慮すると、上記のとおり、懲戒事由に該当するとしても、解雇が社会通念上相当とまでは認められない。」

として、懲戒解雇の効力を否定しました。

 しかし、次のとおり述べて、平成29年8月27日に本部長に対して退職を希望する旨伝えていたことなどを根拠に、具体的な退職時期が決まっていなかったにも関わらず、遅くとも平成30年3月末には退職していたはずであるとして、同年4月1日以降の賃金請求を認めない判断をしました。

(裁判所の判断)

「原告P1は、福屋不動産販売(枚方)に対し、平成29年8月27日、退職を希望する旨伝えていたところ・・・、あくまで退職の希望を述べたにすぎず、このことから直ちに原告P1が退職したとまでいえるわけではない。しかしながら、原告P1は、福屋不動産販売(枚方)に対し、退職の時期については、会社に迷惑が掛からないよう会社に任せる旨伝え、退職の時期を福屋不動産販売(枚方)と話し合う予定であった。また、原告P1は、有給休暇を消化して退職しようと考えており、有給休暇が40日残っていた。さらに、原告P1は、指揮をとるのがしんどくなったために福屋不動産販売(枚方)を辞めようと思い、退職後、特に次に何をやるか決まっていなかった・・・。これらの事情に加え、有給休暇消化期間や引継ぎ等に必要な期間、一般的には、人事異動があったり、切りのよさから年末や年度末等に退職することが多いことも考慮すると、本件解雇・・・がなければ、原告P1は、遅くとも平成30年3月末には退職していたものと考えるのが相当である。そうすると、本件解雇・・・が無効である以上、平成30年3月31日までの賃金については、福屋不動産販売(枚方)ないし被告の責めに帰すべき事由により原告P1が労務を提供できなくなったものと認められる一方、平成30年4月1日以降については、本件解雇3がなかった場合、原告P1が被告において労務を提供する意思を有していたとはいえず、同月分以降の賃金については、被告の責めに帰すべき事由によって労務を提供できなくなったものとは認められない。

「原告P1は、有給休暇の取得等を前提として退職するつもりであったのであり、懲戒解雇を前提として退職することはあり得ないと述べるが、そのことから、懲戒解雇がない場合にも労務を提供する意思があったといえるものではない。また、原告らは、被告の労働条件が安定していることも就労の意思を基礎づける事情として指摘するが、原告P2及び原告P3と異なり、退職後に他社で就労を予定していたわけではない原告P1においては、被告の労働条件の安定していること(労働条件の比較)によって労務提供の意思が基礎づけられるものでもない。」

3.安易に辞めたいと口にするのは慎重に

 裁判所の事実認定によると、本件は、

平成29年3月 被告会社に対して本件宅地・居宅を居住用で取得する旨を届け出る、

平成29年4月 被告会社の社内で本件宅地・居宅を転売する方法を同僚に打診する、

平成29年8月 被告会社の本部長に退職を希望する旨を伝える、

平成29年9月 被告会社が原告P1に対する事情聴取を始める、

平成29年10月 被告会社が原告P1を懲戒解雇する、

との経過が辿られています。

 詳細は不明ながら、退職を希望する旨を伝えてから、懲戒解雇に向けた手続が急ピッチで進んでいるように見えます。

 一般論として、退職を表明すると、会社との関係は悪くなりがちです。悪くなったところで濫用的な懲戒権の行使が認められないのは勿論ですが、懲戒解雇の効力を否定できたとしても、退職意思を表明していると、就労意思がないものと認定され、賃金請求との関係で不利な取扱いを受けることがあります。

 となると、退職の具体的な予定がない中で辞めたいと口にすることは、労働者にとってリスク要因でしかないと言えるかも知れません。

 辞めたいという言葉は、一度口にすると、のっぴきならなくなるため、ギリギリまで口に出さない方が無難だと思われます。