弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

責任著者は共著者が不正をしていないか要注意-論文不正に対する責任著者の法的責任

1.責任著者

 「筆頭著者」(first author)という言葉を聞いたことがある人は少なくないと思いますが、これは「発表された研究成果にもっとも貢献した人物で、研究アイデアの提供から実験や研究全般にかかわりのあった人」をいいます。

 このように論文の共著者には幾つかの類型がありますが、その中に「責任著者」(corresponding author)という類型があります。これは「論文にかならず掲載しなくてはならない電子メールなどの問い合わせ先窓口となる人が記載され・・・論文公表の交渉から論文掲載後の研究者などからの問い合わせまで応対し、筆頭著者とともに研究成果に対して全面的に責任を負う」役割の方をいいます。

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 この責任著者になった方は、論文不正を看過してしまった場合、勤務先である所属研究機関に対しても何らかの責任を負うのでしょうか? 所属研究機関は、適正なチェックが行われていないことを理由に、責任著者を懲戒に処することができるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。熊本地判令2.5.27労働判例ジャーナル103-74 国立大学法人熊本大学事件です。

2.国立大学法人熊本大学事件

 本件の被告は熊本大学を設置する国立大学法人です。

 原告になったのは、熊本大学大学院生命科学研究部教授として勤務していた方です。不正行為があった論文について責任著者として適切なチェック等を行わなかったとして被告から停職1か月の懲戒処分(本件処分)が行われたことを受け、本件処分の無効確認と未払賃金の支払などを求めて提訴した事件です。

 本件では複数の論文が問題とされており、その中には原告自ら不正行為を行ったと認定されているものもあります。しかし、同一画像の使い回しといった他の著者の不正行為を看過したことについても責任を問われています。共著者が不正しないか目を光らせておかなければならないというのも酷なように思われますが、裁判所は次のとおり述べて停職処分は有効だと判示しました。

(裁判所の判断)

責任著者は、論文の全てについて内容が正確であることを保証する保証人であるから・・・、論文が発表される前に、その内容をきちんと把握し、それが正確であるか否かを慎重に検討し、捏造や改ざんのない正確な論文であることを確認する義務があるというべきである。しかるに、発表された論文に捏造又は改ざんの不正行為が含まれていることが発覚した場合には、責任著者がそれに関与又は看過したことになり、その論文に対する信頼や価値が失墜するのみならず、責任著者の学者としての力量や管理能力等が問われ、ひいては、責任著者の所属する大学等の職員等に対する管理能力や学術研究に対する信用及び名誉を棄損することになるということができる。そうすると、原告が被告の名誉と信用を失墜させるような行為をしたものとして、本件就業規則33条2号に該当するというべきである。」

「また、原告が大阪市立大学において研究・執筆・発表した論文について、捏造又は改ざんの不正行為が含まれることが発覚した場合には、被告が、そのような不正行為に関与又は看過した責任著者を教授として雇用した上、学生の指導や研究室の運営等をさせていた点で、被告の信用と名誉を失墜させるような行為をしたものとして、本件就業規則33条2号に該当するというべきである。」

「更に、原告が、不正行為が含まれる論文を責任著者として学術誌に発表する行為は、被告の使命と業務の公共性を自覚し、誠実かつ公正に職務を遂行しなければならないとする本件就業規則30条にも該当するということができる。」

-原告が論文原稿のチェックを適切に行わなかったこと-

「上記・・・のとおり、責任著者は、論文が発表される前に、その内容をきちんと把握し、それが正確であるか否かを慎重に検討し、捏造や改ざんのない正確な論文であることを確認する義務があるというべきである。

「しかるに、原告の研究室におけるチェック体制は、認定事実・・・のとおりであり、実験結果に不自然なところがなく、結果も明確で問題がないと判断した場合には、特にデータの細かなチェックはせず、論文の画像のチェックも、筆頭著者以外は行っていなかったものであり、その結果不正行為の含まれた論文を発表するに至ったのであるから、責任著者としての義務を果たしていなかったというべきである。」

「その結果、被告の名誉と信頼を失墜させ、被告の使命と業務の公共性を自覚し、誠実かつ公正に職務を遂行しなかったものとして懲戒事由に該当するということができる・・・。」

「これに対し、原告は、同一の画像が使用されることを想定することができず、論文について詳細なチェックをする義務はなかったと主張するが、前提とする研究室の管理体制が不十分であったことは上記・・・のとおりであるから、原告の主張は採用できない。

-原告が研究室における指導を怠ったこと-

q10教授の研究室においては、データの管理、実験ノートの作成方法、実験結果の管理等について、きめ細かく指導しているところ・・・、旧ガイドライン及び新ガイドラインの策定の経緯等に現れているように、不正行為に対して厳格に対処する必要性が喧伝されていること・・・からすると、原告もq10教授の研究室と同程度の指導をするべき義務があったというべきである。

「しかるに、原告は、自らの研究室の学生に対し、実験ノートの記載方法や生データの管理方法について特段の指導をしなかったのであるから・・・、上記の義務を怠ったということができる。」

「このような原告の行為により、不正行為のある論文が発表されるに至ったから、被告の名誉と信用を著しく傷つけるものであるとともに、被告の使命と業務の公共性を自覚し、誠実かつ公正に職務を遂行すべき義務に違反するから、懲戒事由に該当する・・・。」

「これに対し、原告は筆頭著者らが医師としての経験を有していたから、上記のとおりに指導すべき義務がないと主張するが、実験ノートの記載や生データの保管方法は社会人としての常識や医師として当然に有すべき知識とは別個のものであるから、指導の必要性がないということはできない。

「また、原告は被告が実験手法に係る教育カリキュラムを実施すべきである旨を主張するが、各分野によって実験手法は異なることが認められるから(証人q10 8、13頁)、各研究室において研究主宰者が論文作成のルール、生データの保管、実験ノートの記載方法等について指導すべき義務があるというべきである。よって、原告の主張はいずれも採用できない。」

-論文作成のチェック体制を構築しなかったこと-

q10教授の研究室においては、筆頭著者が医局会において報告し、医局員全員で内容をチェックするなどのチェック体制を構築しているところ・・・、旧ガイドライン及び新ガイドラインの策定の経緯等に現れているように、不正行為に対して厳格に対処する必要性が喧伝されていること・・・からすると、原告もq10教授の研究室と同程度のチェック体制を構築して、不正行為の発生を未然に防止すべき義務があったというべきである。

「しかるに、原告の研究室においては、上記・・・で認定説示したとおり、チェック体制の構築が不十分であったといわざるを得ないから、義務を怠ったというべきである。」

「このような原告の行為は、被告の名誉と信用を著しく傷つけるものであるとともに、被告の使命と業務の公共性を自覚し、誠実かつ公正に職務を遂行すべき義務に違反するから、懲戒事由に該当する・・・。」

3.信頼の原則は通用しない?

 法律学には「信頼の原則」という法理があります。

 これは

「行為者は、他者が適切な行動に出ることを信頼して行動してよく、他者の予想外の不適切な行動によって生じた法益侵害については、その行為者は過失責任を問われない,とする法理。」

を言います。

https://kotobank.jp/word/%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%89%87-159536

 同一画像を使い回さないといったことは研究者倫理として当然のことであり、そのような次元の不正まで一々想定することはできないという原告の言い分は情緒的に理解できなくはありません。

 しかし、裁判所は原告の管理責任を否定しませんでした。

 論文不正に関しては、責任著者として他の共著者の不正を看過してしまったことについても連座して責任を問われかねません。指導の懈怠や、チェック体制構築の不備を責められることもあります。判例法理が必ずしも性善説に依拠していないことには、注意しておく必要があるように思われます。