弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

切札を出す手順-証拠提示は提訴前の段階から計画的に

1.適時提出主義

 

 民事訴訟法156条は、

「攻撃又は防御の方法は、訴訟の進行状況に応じ適切な時期に提出しなければならない。」

と規定しています。いわゆる適時提出主義を規定した条文です。こうした条文があるため、訴訟の帰趨を左右するような重要な証拠は、早期に裁判所に提出しておく必要があります。提出時期が遅れると、それ自体が心証形成に不利に働く可能性があるほか、最悪の場合、証拠提出が認められないというペナルティを受けることもあります(民事訴訟法157条)。

 この証拠の提示は適切な時期にというルールは、訴訟の場面単体で考えておけばよいわけではありません。どこに対して、どの手札を、どのタイミングで切っていくのはは、訴訟提起前の紛争の生成段階から慎重に考えて行く必要があります。

 近時公刊された判例集にも、そうした切札を出す手順の重要性を意識させる裁判例が、掲載されていました。高松地裁令2.6.16労働経済判例速報2425-13 高松労基署長事件です。

2.高松労基署長事件

 本件は労災給付の不支給処分の取消訴訟です。

 原告になったのは、介護老人保健施設において看護師長として勤務していた方です。在職中に発症した適応障害が業務に起因するものであると主張して休業補償給付を請求したところ、不支給処分を受けたため、その取消を求めて出訴したという事案です。

 原告は幾つかの業務負荷を主張しましたが、その中の一つに長時間労働があります。

 原告は、その日のうちに自宅カレンダーに勤務時間を書きこんでいたとして、カレンダーの記載を根拠に、長時間の時間外労働があったことを主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、自宅カレンダーに記載された勤務時間についての記載の信用性を否定しました。結論としても、原告の請求を棄却しています。

(裁判所の判断)

「原告は、業務内容や労働時間が当初に聞いていたものと異なっていたことから、労働時間を記録しようとしたが、Z7から、タイムカード打刻後に時間外労働を行うよう指示され、自身の正確な労働時間を記録するものがなかったため、自宅カレンダーに勤務時間を記載するようになったと述べ、前記指示があったことの根拠として、入職時にZ7からもらったという『新入職員への皆様へ』と題するメモ(書証略)を提出する。」

「しかし、原告の給与体系は年俸制であり、労働時間によって給料が増減するものではないから、Z7が、原告に前記指示をする理由が明らかではないから、Z7が、前記メモの『形だけタイムカード(必ずおす)←『出勤確認のみ』、『※残業、休、祝 おさないでよい おすとややこしくなる』との記載のみから、タイムカード打刻後に時間外労働を行うよう指示がされていたと認めることはできない。」

「以上に加え、タイムカード上の終業時刻が午後9時や午後10時台であるにもかかわらず自宅カレンダーへの記載がない日があることや、原告は、労働時間を正確に記録する目的で自宅カレンダーに記載していたと述べているが、休業補償給付の請求時にはそのことを告げなかったことにも照らすと、その作成の経緯は不自然であるといわざるを得ない。そして、タイムカード等が開示された後に自宅カレンダーが提出されたという経緯も併せ考えると、自宅カレンダー中の勤務時間についての記載を直ちに信用することはできない。

3.事後的に作られた証拠かは分からないが・・・

 裁判所で指摘されているとおり、原告の方は、休業補償給付の請求を行った際、労働基準監督署からの、

「『出勤・帰宅時間・残業時間など勤務状況を記録(メモ)していたもの(例えば、手帳、日記、カレンダー、家計簿、メール)』があるか」

という質問に対し、「ない」と回答していました。

 また、労働基準監督署による事情聴取において、

「セキュリティーのカードもないので、私の正確な勤務時間が分かるものは何もないと思います。私もこんなことになるとは思っていなかったので、記録をつけてはいません。」

と回答していました。

 こうした経緯があるため、自宅カレンダーが、元々あったのか、事後的に作成されたものなのかは良く分かりません。

 しかし、もし、元々あったのであれば、提出のタイミングを誤ったために、裁判所で不利な心証形成を受けたことになります。

 証拠の提示時機に関しては、時機に後れた攻撃防御方法として却下されなければそれでいいという単純なものではありません。切られていなければならない手札が適切な時期に切られていないと、そのこと自体が後の紛争で不利に働く可能性が生じます。

 本件はやや極端な例ではありますが、認定が微妙な労災申請など難易度の高い事件を進めるにあたっては、紛争になる前段階から、進行について、弁護士と相談しておくことが推奨されます。