弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

労災民訴-取締役への責任追及の壁

1.取締役への責任追及

 会社法429条1項は、

「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。」

と規定しています。

 そして、取締役の職務には、自らが法令を遵守することとや、株式会社の業務の適正を確保するために必要な体制を整備することが含まれます(会社法355条、同法348条3項4号、同法362条4項6号参照)。

 使用者が労働者に対しその生命・身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう必要な配慮をすることは、法的な義務であるとされています(労働契約法5条 安全配慮義務)。

 以上のような法令上の規定があるため、取締役が労働者への安全配慮義務を遵守して職務を執行していたとはいえない場合、それによって損害を受けた労働者は、会社だけではなく取締役個人に対しても、損害賠償を請求できる可能性があります。

 概ねの場合には、被害を受けても、会社さえ訴えておけば、適切な損害賠償を受けることができます。

 しかし、会社が破綻・清算してしまったなど、会社に対する責任追及が困難になる事情がある場合、以上のような法令上の規定をもとに、取締役個人に対して責任追及せざるを得ない場合があります。

 ただ、取締役個人の責任を追及するためには「悪意又は重過失」という要件が充足されていなければなりません。単なる過失では足りず、職務・任務の懈怠に悪意や重過失があったことが必要になります。

 この「悪意又は重過失」のハードルは結構高く、しばしば労働者側の悩みの種になります。近時公刊された判例集に掲載されていた、横浜地判令2.3.27労働判例ジャーナル100-30 サンセイ事件も、そうした事案の一つです。

2.サンセイ事件

 本件は、脳出血で死亡した従業員(平成23年8月7日死亡:故P7)の遺族が提起した、いわゆる労災民訴と呼ばれる損害賠償請求事件です。本件の特徴は、P7の勤務先であった会社(被告会社)だけではなく、取締役ら(P4代表取締役、P5元代表取締役、P6専務取締役工場長)も被告として訴えられていることです。

 P4~P6らも被告として訴えられたのは、被告会社が解散のうえ、清算結了の登記をしてしまっていたため、被告会社のみを訴えても、損害賠償金を回収できるのか否かに懸念が生じたからではないかと思われます。

 脳出血の背景には長時間労働があり、裁判所では、

発症前1か月                85時間48分
発症前2か月 111時間09分 2か月平均 98時間28分
発症前3か月 88時間32分  3か月平均 95時間09分
発症前4か月 50時間50分  4か月平均 84時間04分
発症前5か月 63時間20分  5か月平均 79時間55分
発症前6か月 75時間43分  6か月平均 79時間13分

の時間外労働があったとの事実が認定されています。

 「発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合」が脳血管疾患の労災認定の基準となっていることと対照すると、労働者・故P7の労働時間がいかに長かったのかが分かります。

https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/dl/040325-11a.pdf

 原告となった遺族は、各取締役(P4.P5、P6)に損害賠償を請求しました。ここに立ちはだかったのが、「悪意又は重過失」の壁です。

 裁判所は、次のとおり述べて、過失を認めながらも重過失を否定し、各役員に対する損害賠償請求を認めませんでした。

(裁判所の判断)

「被告P6は、残業時間集計表によって平成23年6月分及び7月分の故P7の残業時間がいずれも80時間を超えていると認識していたこと・・・に加え、P8支社の工場長の地位にあるとともに故P7の直属の上司であり・・・、故P7の業務内容及び仕事量を直接把握しており、故P7が高血圧を呈していたことや残業時間が1か月当たり80時間を超えると過労死の危険が高いことも知っていたと認められる。そうすると、被告P6は、被告会社の取締役として、遅くとも平成23年6月分の残業時間の集計結果の報告を受けた同月23日頃には、被告会社が故P7の生命、健康等を損なう事態を招くことのないように、故P7の業務の負荷を軽減するための是正措置を講じるべき義務があったのに、これを怠ったことにより、故P7の死亡という結果を招いたことについて過失があったと認めるのが相当である。
 しかし、一方で、前記・・・認定のとおり、被告P6は、故P7の業務の負担を軽減するために、他の従業員に業務を代わってもらうように故P7に声掛けをしたほか、自ら故P7の業務を代わりに行っていたこと、見積りソフトを作成して業務を効率化しようとしていたこと、発症前1か月の時間外労働時間(85時間48分)は発症前2か月の時間外労働時間(111時間09分)よりも軽減したこと、実現はしなかったものの被告P4と相談しながら被告会社の従業員の増員を検討していたことが認められる。さらに、本件脳出血の発症日の約1週間後にはお盆休みを控えており、故P7がその期間を利用して身体を休めることを期待したとしてもあながち不相当とはいえない。以上によれば、被告P6の上記注意義務の懈怠について悪意ないし重大な過失があったと認めることはできない。

(中略)

「被告P4は、被告P6から報告を受け、残業報告書の内容を確認することにより、故P7を含むP8支社の従業員の時間外労働時間について把握し、従業員の増員等の対策を講じようとしていたものである。そして、故P7の業務を軽減させるための有効な措置を講じなかった点について取締役としての任務懈怠が認められるものの、被告P6と同様に、悪意又は重過失を認めることはできない。」

「被告P5は、P8支社の労務管理等を直接行っていたわけではないが、被告会社の取締役として、労務管理等について被告P6及び被告P4を監督する義務を負っていたということができる。しかし、被告P6及び被告P4の任務懈怠について悪意又は重過失が認められないのであるから、被告P5の任務懈怠についてもこれを認めるのは相当でない。

4.悪意又は重過失のハードル

 会社に対する損害賠償請求は一部認容されています。しかし、上述のとおり、取締役個人に対する責任追及は否定されました。

 かなりの長時間労働が恒常化している一方、それが是正されていないなど、被告となった取締役らの経営には明らかに問題がありました。それでも、単なる過失に留らない「悪意又は重過失」の要件を満たすには至りませんでした。

 本件は一つの事例判断ではありますが、裁判所が捉えている「悪意又は重過失」の水準を知るうえで参考になります。