弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

素人判断による交渉が勝訴の意義を損なった例

1.交渉のやり方-許される交換条件と許されない交換条件

 交渉における交換条件の出し方には、許されるものと許されないものがあります。

 例えば、代金を払ってくれないなら、物を引き渡さないと言って、代金の支払を求めることは、特に問題ありません。

 しかし、社会保険に加入してくれないなら出勤しないというのは、一般論として許容されていません。社会保険への加入義務が履行されなかったとしても、それはそれとして是正されるべきであり、欠勤を正当化する理由にはなるとは理解されていません。こうした交渉の仕方を個人でして、会社に行かなければ、正当な理由のない出勤の拒否であるとして、解雇されかねません。

 何が許容されて何が許容されないのかは、法律の規定や趣旨に基づいて判断されます。労働事件に限ったことではありませんが、法律の専門教育を受けていないという意味での一般の方が行う交渉は、この点が意識されていないことが少なくありません。結果、紛争が更に激化・複雑化したり、一次紛争では勝っても、二次紛争では負けて勝利の意義が損なわれたりすることがあります。

 近時公刊された判例集に掲載されていた、東京地判令元.12.28労働判例ジャーナル99-36ネットジャパン事件 も不適切な交渉のやり方で、勝訴の意義が損なわれた事件の一つです。

2.ネットジャパン事件

 本件は被告会社と有期雇用契約を締結していた原告が、期間途中での解雇が無効であるとして、地位確認や賃金の支払を求めて被告会社を訴えた事件です。

 被告会社はコンピュータソフトウェアの開発、製造、輸入、販売等を目的としている株式会社です。

 原告になったのは、被告会社でプログラマーとして勤務していた方です。

 スカイプグループ内で、時間が足りなくて退職した同僚から引き継いだ仕事上の問題の解決を保証できないとのメッセージを送信したところ、社長から「解決を保証できないという話は聞きたくない。」などと回答されました。

 その後、更に「社会保険がなく、年末年始も祝日も休めず、病気のまま残業をしても残業代が支払われず、このような状況は合理的でないと思う」などと記載したメッセージを送ったところ、社長から「本日と明日の2日間で完成させるように」との返信を受けました。

 その2日後、社長から普通解雇されたという流れになります。

 原告は、この普通解雇は無効だと主張し、労働契約の終期までの賃金を支払うように求めましたが、被告会社がこれに応じることはありませんでした。

 被告会社から要求が拒絶された後、原告は、

「4か月分の賃金相当額の補填を求める、補填の問題が解決していないため、ImageBootとAIPのソースコードは提出できない、これは被告にとって損失であり、全員にとって不利益となるのでよく考えるべきである。」

旨のメールを送信しました。

 ここからソースコードを引き渡す・引渡さないの二次紛争が派生し、被告会社は原告を改めて懲戒解雇するとともに、地位確認等を求める訴訟の中で、原告に対して損害賠償を求める反訴を提起しました。

 被告会社には実際に時間外労働に係る割増賃金を支払っていなかったなどの問題があり、裁判所は普通解雇・懲戒解雇とも無効だと判断しました。しかし、次のとおり述べて、被告会社からの損害賠償請求も、一部認める判断をしました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告に対し、本件ソースコード5及び平成27年11月30日時点で本件私物パソコン内に保存されていた被告の業務上作成したソースコードの各提出義務を怠ったものである。そして、前記認定事実のとおり、原告が同年12月2日に同ソースコードの提出と引換えに被告に対し金銭の支払を要求し、その後も同要求を繰り返したことなどの事情を考慮すれば、原告が被告の要求にもかかわらず上記各ソースコードを提出せず、その提出と引換えに被告に対して金銭の支払を要求したことについては、被告に対する不法行為も成立するというべきである。」

(中略)

「原告が同ソースコードの提出義務を怠ったことにより被告に損害が生じたことは認められるものの、損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるから、民事訴訟法248条を適用し、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき,相当な損害額を認定するのが相当である。」
「そして、・・・その他本件で顕れた一切の事情を総合すると、被告の損害額は500万円と認めるのが相当である。」

3.認容率は低いが・・・

 被告会社はソースコードの提出を受けられなかったことにより、3億1468万9021円もの損害が生じたと主張していました。認容率は2%以下ではありますが、それでも500万円もの支払は労働者個人にとって、かなり大きなものです。

 裁判所は、有期雇用契約の更新拒絶こそ有効としたものの、普通解雇・懲戒解雇はともに無効と判断しました。そして、被告に対し、原告に4万8190.47米国ドルを支払うよう命じました。これにより、原告は、被告から約500万円の支払いを受けられるはずでしたが、被告会社に対する損害賠償義務を負っているため、手元に残るお金は殆どなくなってしまいました。

 こうした事態に至ったのは、法的に許容されていない交渉の仕方をしたからです。残業代が払われないことや、違法な解雇に対して権利主張すること自体に問題はありませんが、労働成果物(ソースコード)の引渡しと絡めて交渉することは、法律上、許容されていません。そのため、被告会社に反訴提起の余地を与えてしまい、原告の得られる経済的利益は大きく損なわれてしまいました。

4.交渉を自力でやるのは危ない

 交渉にはルールがあります。結びつけることができる条件と、結びつけることができない条件があります。これは法律の体系的理解のもとで判断することになりますが、そうした判断を法専門家の助けなしに行うのは、現実問題、かなり困難だと言わざるを得ません。

 折角の権利を目減りさせないためにも、交渉事は弁護士に委託していしまった法が安全です。また、その方が結果的に安上がりで済むことも多いのではないかと思います。