弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

新型コロナ感染と安全配慮義務違反に基づく損害賠償

1.新型コロナ感染と安全配慮義務違反に基づく損害賠償

 労働契約法5条は、

「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」

と規定しています。

 これはいわゆる安全配慮義務を定めた条文です。

 安全配慮義務に違反した使用者に対しては、債務不履行による損害賠償責任を追及することが可能です(荒木尚志ほか『詳説 労働契約法」〔弘文堂、第2版、平26〕94頁参照)。

 新型コロナウイルスに感染してしまった方も、それが職場の安全対策の不備に起因する場合、理論的には安全配慮義務違反に基づいて損害賠償を請求できます。

 ただ、実際に損害賠償請求事件として動かしていくにあたっては、二つの大きな壁を乗り越える必要があります。

 一つは、仕事に起因して感染したことを、どのように立証するのかという問題です。

 新型コロナウイルスは感染の仕方が非限定的です。

 厚生労働省のホームページによると、新型コロナウイルスは、

「一般的には飛沫感染、接触感染で感染します。閉鎖した空間で、近距離で多くの人と会話するなどの環境では、咳やくしゃみなどの症状がなくても感染を拡大させるリスクがあるとされています。」

と書かれています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00094.html

 会話するだけで感染するとなると、感染経路に関する仮説が多数成り立ってしまうため、新型コロナウイルスに感染したとしても、それが仕事に起因して感染したことを、どのように立証するのかという問題があります。

 もう一つは、安全配慮義務の具体的な内容をどのように構成するのかといった問題です。

 安全配慮義務違反を理由とする損害賠償の実務では、

「労働者側が、使用者の義務の内容、すなわちその事案においてとるべきであった措置を特定したうえ、義務違反の事実を主張立証しなければならない」(前掲『詳説 労働契約法』94-95頁参照)

とされています。

 安全配慮義務を問うにあたっては、

「当該事故の予見可能性があってその発生を回避する可能性が存したことが、責任発生の要件となる」

と理解されています(菅野和夫『労働法』〔弘文堂、第12版、令元〕674頁)。

 こうすれば感染しないといった医学的知見の蓄積が明確でなく、職場における標準的な安全対策も確立されていない中、従業員が感染する予見可能性があったことを立証し、とるべきであった感染回避措置を特定し、それをとっていれば感染回避可能性があったことを立証することは、かなり難しい問題ではないかと思います。

 新型コロナウイルスの問題が取り沙汰された当初は、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求は実務的には極めて困難なのではないかという印象を持っていました。

 しかし、時間が経つにつれて、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求訴訟を組み立てていくために使えそうな材料が集積されてきて、そう悲観したものではないかも知れないと見解を改めつつあります。

2.因果関係論

 一つ目の問題、仕事に起因して感染したことをどのように立証するのかに関しては、令和2年4月28日に

「基補発0428第1号 新型コロナウイルス感染症の労災補償における取扱いについて」

という通達が出されたことが大きな意味を持っています。

 この通達では、労災認定について、

「患者の診療若しくは看護の業務又は介護の業務等に従事する医師、看護師、介護従事者等が新型コロナウイルスに感染した場合には、業務外で感染したことが明らかである場合を除き、原則として労災保険給付の対象となること。」

「感染源が業務に内在していたことが明らかに認められる場合には、労災保険給付の対象となること。」

調査により感染経路が特定されない場合であっても、感染リスクが相対的に高いと考えられる次のような労働環境下での業務に従事していた労働者が感染したときには、業務により感染した蓋然性が高く、業務に起因したものと認められるか否かを、個々の事案に即して適切に判断すること。
 この際、新型コロナウイルスの潜伏期間内の業務従事状況、一般生活状況等を調査した上で、医学専門家の意見も踏まえて判断すること。
(ア)複数(請求人を含む)の感染者が確認された労働環境下での業務
(イ)顧客等との近接や接触の機会が多い労働環境下での業務

という取扱をとることが定められています。

https://www.mhlw.go.jp/content/000626126.pdf

 労災保険給付の対象になるということは、業務起因性、つまり、仕事と疾病との相当因果関係があるということです。

 感染経路が特定できなかった場合でも、職場で複数の感染者が確認されただとか、接客業で多数の顧客と接触する機会を持っていただとか、そういった事実さえ立証できれば、業務により感染した蓋然性が高いことを理由に、相当因果関係が認められる可能性があるということです。

 通達の運用実務には、まだ不分明なところが多いものの、労災申請を先行させ、そこで業務起因性が認定されれば、その資料を流用することにより、訴訟の場における仕事に起因して新型コロナウイルスに罹患したことの立証のハードルをクリアできる可能性があると思います。

3.安全配慮義務の具体的な内容の構成

(1)予見可能性

 厚生労働省のホームページによると、中国における確定患者の致死率は、30歳未満の方で0.2%であったとのことです。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00094.html

 要するに、働き盛りの方が死亡する可能性はゼロコンマ以下の世界になってくるわけですが、こうした疾病に対し、死亡・重症になることへの予見可能性を認定することができるのでしょうか。

 この問題に関しては、炭鉱労働者のじん肺に関して積み重ねられてきた判例法理が参考になります。

 じん肺発症の事案においては、

「使用者の予見義務(可能性)は、生命・健康という被害法益の重大性に鑑み、安全性に対する障害の性質・程度や発症頻度まで具体的に予見する必要はない

と理解されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕820頁参照)。

 近時公刊された判例集に掲載されている石綿ばく露の事案においても、

「安全配慮義務の前提として使用者が認識すべき予見義務の内容は、生命、健康という被害法益の重大性に鑑みると、安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧であれば足り、必ずしも生命・健康に対する障害の性質、程度や発症頻度まで具体的に認識する必要はないというべきである

とされています(神戸地判平30.2.14労働判例1219-34住友ゴム工業(旧オーツタイヤ・石綿ばく露)事件参照)。

 生命・健康侵害との関係では、予見可能性の内容はかなり希釈されているため、何となく安全に疑念を抱かせるレベルの危険性があることさえ立証できれば、立証のハードルをクリアできる可能性があります。

(2)結果回避のためにとるべきであった措置の特定

 損害賠償請求をするうえで最も難しいのは、この問題だと思います。

 しかし、これも徐々に知見が蓄積されつつあります。

 感染拡大に向けて職場がすべきことの内容として、令和2年3月31日には、厚生労働省から日本経済団体連合会宛てに

「基安発 0331 第2号 新型コロナウイルス感染症の大規模な感染拡大防止に向けた職場における対応について(要請)」

といった文書が出されました。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_10631.html

https://www.mhlw.go.jp/content/11303000/000617466.pdf

 また、日本産業衛生学会からは、

「職域のための新型コロナウイルス感染症対策ガイド」

というガイドラインが出されています。

https://www.sanei.or.jp/?mode=view&cid=416

https://www.sanei.or.jp/images/contents/416/COVID-19guide0511koukai.pdf

 一般社団法人日本経済団体連合会からも、

「オフィスにおける新型コロナウイルス感染予防対策ガイドライン」

というガイドラインが出されています。

https://www.keidanren.or.jp/policy/2020/040_guideline1.html

 いずれもかなり新しいものなので、こうした諸規程に書かれている取扱いは、各職場で慣行として定着しているようなものではないだろうと思います。

 しかし、樹上作業者の転落事故事案において、事故当時には一般的ではなかったとしても、二丁掛けの安全帯を提供し、その使用方法を指導すべきであったとした裁判例もあります(東京高判平30.4.26労働判例1206-46日本総合住生活ほか事件

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/10/14/182149)。

 安全配慮義務違反は業界慣行から逸脱していなければ認められないというものでもないため、業務起因性・相当因果関係が認められていて、かつ、各種規程にみられる取扱と異なる事実の存在が立証できる場面では、結果回避のためにとるべきであった措置の特定や、その立証の問題も、ある程度はクリアできる可能性があるのではないかと思います。

4.損害賠償の問題が出るのは、まだ先であろうが・・・

 本日、私の所属する第二東京弁護士会労働問題検討委員会で、新型コロナウイルスと安全配慮義務の問題についての勉強会が行われました。発表してくれたのは二名の弁護士ですが、いずれも優れた知見・観点を提供してくれました。

 労災申請や損害賠償のために足掛かりが構築されてきたのが最近なので、損害賠償の問題が顕在化するのは、まだ先であるように思いますが、勉強会で共有してもらった知見と併せ、この問題に関する現時点での私の認識を、備忘を兼ねて書き記しておくことにしました。