弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

人を死に追いやる言葉としての「アスペ」

1.悪口としての発達障害・アスペ(アスペルガー障害)

 数日前に、

「素人による発達障害というレッテル貼りは違法」

という記事で、発達障害という言葉を使って労働者を揶揄し、退職勧奨したことが、違法だと判断された裁判例を紹介しました。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/05/15/193759

 この裁判例が掲載されていた判例集を読み進めていると、「アスペ」などと揶揄されていた労働者が自殺した事案が掲載されていました。名古屋地判令2.2.17労働判例ジャーナル98-22 名古屋市交通局長事件です。

2.名古屋市交通局事件

 本件は名古屋市交通局に嘱託職員として勤務していたP3の母親が原告となって、P3が自殺したのは勤務中に受けたいじめ等が原因であるとして、安全配慮義務違反を主張し、名古屋市を被告として損害賠償を請求した事件です。

 P3は平成25年4月から交通局での勤務を開始しました。

 勤務開始後、藤が丘工場の修車係台車B班に配属されました。ここでサブチーフを務めていたP8が、いじめの主な加害者です。

 P8はP3が配属されて少しした頃から、

「『お前なんかあっち行っとれ。』、『いつまでこの職場にいるんだ。』、『まだいるのか。』、『辞めろ。』などと発言して厳しく当たるようになった。」

と認定されています。

 P6チーフは、P8サブチーフがP3に対して厳しい言動をしている場面に居合わせたことはほとんどなかったものの、P8サブチーフの言動が気になった際には、たびたび注意していました。

 このP6チーフは平成26年10月1日に台車B班から台車A班に異動になります。

 P6チーフは、台車B班の後任のチーフP7に、P8には注意して欲しいと伝えました。

 平成27年4月10日、P7チーフ、P8サブチーフ、P9サブチーフ、P3との間で次のような面談がありました。

「P7チーフは、P3に対し、ピニオン蓋(台車の減速機の部品 括弧内筆者)の変形の件について、今後、部品を壊すことがあれば、若年嘱託職員であるP3の正規職員への採用について修車係長に自信を持って良い評価を伝えることができない旨述べ、油漏れの件について、P3のみの責任ではないとしながらも、技術員として悔しくないのか問うなどした。」

「その上で、P7チーフが、P9サブチーフ及びP8サブチーフに対し、P3へのアドバイスを尋ねたところ、P9サブチーフは、周囲とコミュニケーションを取ることでミスを減らすことができるようになる旨述べた。他方、P8サブチーフは、P3に対し、仕事ができていると思うかと質問し、P3が『大体できていると思います。』と返答すると、『僕はできていないと思う。』などと述べた。」

「P7チーフ及びP9サブチーフはこれを否定したが、P8サブチーフは、さらに、ピニオン蓋の変形の件について、その損害は60万円である、副主任に頭を下げさせた、P3とはみんな一緒に仕事をしたくないと思っている、野球部の人も仲良くしてくれているが、一緒に仕事をするようになればP3を避けるようになるはずであるなどと述べた(なお、ピニオン蓋の変形の件による損害額は、実際には10万円から15万円ほどであったが、P8サブチーフがこれを知っていたか否かは明らかではない。)。」

「その後、P7チーフは、P3に対し、やる気があるなら話を続けるが、ないなら続けても仕方がないなどと述べたが、P8サブチーフは、『何も考えず、やる気があると言っておけばいいと思っているんだろう。』などと述べた。P3は、これに対し、約20分間、返答することができずにいたが、その間、P7チーフとP8サブチーフは、P3に対し、やる気があるのかと数回問うなどした。その後、P8サブチーフが、やる気がないなら辞める道もある、P6チーフらにまた頼るのであろうなどと述べると、P3は、ようやく、『やる気はあります。』と答えた。これを受けて、P7チーフは、P3に対し、話の続きは午後3時30分から行う旨述べ、11時50分頃、面談を一旦終了した。・・・」

 P3が自殺したのは、この面談の三日後です。平成27年4月12日の夜、P3は母親である原告が気付かないうちに自宅を出て、名古屋市内の公園の路肩に停車した自動車内で練炭を燃焼させ、一酸化炭素中毒により死亡しました。

 この種の事案では、いじめを構成する具体的な行為や言動を特定することができるのかが、しばしば問題になります。

 本件も例外ではなく、被告は、

「P8サブチーフのP3に対する言動は、一部不適切な発言はあったものの、作業ミスや手際の悪さに対する指導や注意の過程で行われたもので、全体として業務指導の範囲内であり、いじめに相当するものではなかった。」

「そもそも原告の主張は、P8サブチーフによるいじめについて、日時や具体的内容を特定していない。」

などと原告側の主張・立証の問題点を指摘して争いました。

 しかし、裁判所は、P8サブチーフの言動について、原告が耳にしていた生前のP3の供述や、P9サブチーフの供述をもとに、次の事実を認定しました。結論としても、いじめとうつ病エピソードの発症・自殺との因果関係を認め、損害賠償請求を認容する判決を言い渡しています。

(原告の母親の供述から裁判所が認定した事実)

〔1〕P3が藤が丘工場に配属になり、少しした段階で、「お前なんかあっち行っとれ。」、「いつまでこの職場にいるんだ。」、「まだいるのか。」、「辞めろ」などと言われた。

〔2〕平成25年8月12日、「早くしろ。」と大声で怒鳴られた。P3は、その翌日からしばらく出勤しなくなった。
〔3〕平成26年4月以降も,「辞めろ。」、「まだ辞めないのか。」、「こんなふうでは正規の職員になれないぞ。」などといった嫌味を言われた。

(P9サブチーフの供述から裁判所が認定した事実)

〔1〕P8サブチーフによる厳しい言動の対象になるのは、大人しくて、かつ、P8サブチーフが個人的に嫌いな人であった。
〔2〕P8サブチーフは、単に間違っている旨指摘すれば足りる程度のことでひどく怒ったり叱ったりし、その後、特にフォローもしない。わざわざ近寄って言ったり、他人に言いふらしたりすることもしていた。台車B班のある班員は、クレーン操作をしていた際、P8サブチーフが激怒したため動揺してしまい、P9サブチーフがクレーン操作を交代せざるを得ないほどであった。
〔3〕P8サブチーフは、P3に対し、たびたび他人の名前を出して、P3が批判されている旨述べていた。
〔4〕P8サブチーフは、「アスペ(アスペルガー症候群のこと)」などとP3の人格を否定する趣旨の発言をしていた。
〔5〕P8サブチーフは、P3に対し、辞めろという話を常日頃していた。

3.「アスペ」という言葉による人格の否定

 裁判所はP8の言動について、

「P3が藤が丘工場で勤務を開始して以降、継続して長期間にわたり、強い口調により怒鳴りつけ、職場には不要であるとしてP3の自信を失わせる発言や、正規職員への登用が困難であるとして将来への不安をあおる発言、周囲から必要とされていないとしてP3を職場で孤立させる発言、何らかの精神障害を抱えているかのような指摘をするなど人格を否定する発言をしていたものと認められる。
「そして、P8サブチーフのこのような強圧的な言動は、職場の上司ないし先輩による業務上の指導として正当化する余地がおよそないものであって、P3に対して過重な心理的負荷を与え続けるものであったことが明らかである。」

という評価を下しました。

 本件は「アスペ」という言葉だけで人が自殺に至った事案ではありません。直接の原因は、面談でP8が発した、みんなから嫌われているといった趣旨の誹謗や、「やる気があるのか」などという全く意味のない罵倒だと思われます。しかし、精神障害を有しているかのようなレッテル貼りが自殺の一因を構成していることは否定できません。

 近時の職場内いじめに関する裁判例、法律相談事例を分析していると、しばしば「発達障害」だとか「アスペ(アスペルガー症候群)」だとかいった精神障害と絡めたレッテル貼りを目にします。

 自殺事案の裁判例が公開される意義の一つは、何が人の死を招くのか、自殺を回避するためのターニングポイントがどこにあったのかに関する知見を、社会全体で共有することにあるのではないかと思います。

 発達障害・アスペルガー障害といった本来軽々に使われるべきではない専門用語を、素人が聞きかじってカジュアルに使う風潮は、本当に何とかならないものかと思います。