弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

賃金を合意で減額するには、使用者の「説明」が前提となる-これから予想される労働条件の切り下げへの対応

1.「自由な意思」と合意の効力

 民法上、合意は、錯誤がある、騙された、強迫されたなどといった事情でもない限り、基本的に、その効力を否定することはできません。

 しかし、労働法の領域では、

「労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる理由が客観的に存在する」

か否かで合意の効力が左右されることがあります。

 合意の内容を理解していて、騙されても、脅されてもいない、そうした事案であったとしても、使用者から一方的に押し付けられた合意の効力を否定できる場合があります。

 「自由な意思」が問題になる場面としては、賃金減額の場面、配転の場面、契約形態の変更の場面、賃金控除・相殺、賃金放棄等が問題となる場面、妊娠・出産等に伴う場面などがあります(近時の裁判例群は、第二東京弁護士会労働問題検討委員会『働き方改革関連法 その他 重要改正のポイント』〔労働開発研究会、第1版、令2〕363頁以下にまとめられています)。

 昨日紹介した横浜地判令元.6.27労働判例1216-38 しんわコンビ事件は、労働基準法に違反する労働契約の理解のほか、賃金減額に対する「自由な意思」に基づく同意の有無が問題になった事案でもあります。

2.しんわコンビ事件

 しんわコンビ事件では、平成29年3月ころに使用者(被告)が行った労働者A(原告A)に対する2万円の賃金減額の効力が問題になりました。

 部下に対する管理監督が行き届いていないとの理由で、賃金の減額が行われたという経緯になります。

 平成29年8月15日に退職するまでの間、原告Aが賃金減額に異議を述べていなかったことから、賃金減額には同意があったのではないかが争点になりました。

 裁判所は、次のとおり判示して、賃金減額の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、原告Aに対し、同人の部下に対する管理監督が行き届いていないことなどを理由に賃金を平成29年3月以降1か月2万円減額しているが・・・、減額に際しては乙山次郎が原告Aに対して一方的に前記理由を告げたのみであり、賃金減額に係る具体的理由が十分に説明されたとはいい難く、これに対して原告Aが異議を述べなかったという点を踏まえても、労働条件の不利益変更につき、原告Aが自由な意思に基づいて同意したとは認められない。したがって、2万円の賃金減額について合意があったと評価することはできず、同月以降の原告Aの賃金は、平成29年2月分までと同様の月額合計51万円と認められる。」

3.これから予想される労働条件の切り下げへの対応

 新型コロナウイルスが経済に悪影響を及ぼすことが懸念されています。

 本当に賃金の切り下げが必要な場合には、ある程度仕方がないにしても、このような時期には、さほどの必要性がないにもかかわらず、世の中の空気に便乗して人件費の切り下げを行おうとする動きが不可避的に生じます。

 どれだけ高度・詳細な説明が求められるのかは一概には言いにくいのですが、少なくとも、「管理監督が行き届いていない」といった抽象的な減額事由を一方的に告知するだけではダメだとする裁判例があります。

 景気の問題と労働者の非違行為には質的な差異があり、しんわコンビ事件の判旨を直ちに景気悪化を理由とする賃金の切り下げの場面に類推することができるかには、なお詳細な考察が必要になります。

 しかし、資料に基づいて使用者から具体的な必要性を真摯に説明してもらった場合であればともかく、「新型コロナウイルスの関係で景気が悪いから。」といった抽象的な理由が告知されただけで一方的に賃金を減らされたといったケースでは、その時の空気感や同調圧力から異議を述べられなかったとしても、十分な説明がなく自由な意思に基づく同意がないとして、事後的に争える余地があるのではないかと思います。しんわコンビ事件でも、辞める約5か月前の賃金減額の効力を争えています。

 冒頭で紹介したような法理があるとしても、一般論として、合意の効力を覆すのは大変なので、安易な賃金切り下げへの合意は推奨できません。

 しかし、労使間の賃金減額の合意に関しては、その時に何も言えなかったら即終わりではないということは、一般の方も、知識として知っておいてもよいと思います。