弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

専門業務型裁量労働制の労働者の無能力解雇-改善の機会を与えたといえるための指示・指導の具体性に関する問題(追記あり)

1.専門業務型裁量労働制

 専門業務型裁量労働制(労働基準法38条の3)とは、

「業務の性質上、業務遂行の手段や方法、時間配分等を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要がある業務として厚生労働省令及び厚生労働省告示によって定められた業務・・・の中から、対象となる業務を労使で定め、労働者を実際にその業務に就かせた場合、労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなす制度」

をいいます。

https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/kantoku/040324-9.html

https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/kantoku/dl/040324-9a.pdf

 対象業務が専門的な業務であることから、この仕組みは専門業務型裁量労働制と言われています。

 専門業務型裁量労働制の導入にあたっては、書面による労使協定が必要です(労働基準法38条の3第1項柱書参照)。労使協定で定める事項は法定されており、その中に、

対象業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し、当該対象業務に従事する労働者に対し使用者が具体的な指示をしないこと

という項目があります(労働基準法38条の3第1項3号)。

 要するに、専門業務型裁量労働制が適用される労働者に対し、業務遂行の手段を具体的に指示することは制度上想定されていません。

 このことが解雇の可否の場面で衝突することがあります。

 労働者を解雇するにあたっては、事前に指導等を行い、改善の機会を付与したかどうかを重要な考慮要素としている裁判例が比較的多くみられます。

 そして、無能力解雇を行うにあたっては、業務遂行の手段を具体的に指示することと改善の機会を付与することが密接に結びついていることが珍しくありません。抽象的に「改善しろ。」と言うだけでは注意・指導として意味をなさないからです。

 しかし、専門業務型裁量労働制が適用される労働者に対しては、労使協定との関係で使用者には業務遂行の手段を具体的に指示することが禁止されています。

 そのため、専門業務型裁量労働制が適用される労働者を無能力解雇するにあたっては、

① 改善の機会付与との関係で、業務遂行の手段を具体的に指示することが必要といえるのかどうか、

② そもそも改善の機会付与という名目であれば、業務遂行の手段を具体的に指示することは許されるのか、

といったことが問題になり得ます。

 この問題を考える上での手掛かりとなる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。名古屋地裁令元.9.27労働判例ジャーナル94-64 豊田中央研究所事件です。

2.豊田中央研究所事件

 この事件は、大雑把に言えば、指示された業務をしなかった労働者が、戒告、出勤停止を経たうえで「能力を著しく欠く」ことを理由に普通解雇された事件です。解雇が無効であるとして、原告が地位確認等を求める訴訟を提起したのが本件です。

 被告会社は研究所で、原告には専門業務型裁量労働制が適用されていました。

 専門業務型裁量労働制の適用は戒告処分を受けた後に外されていますが、被告から業務の詳細についての基本方針や業務の具体的な進め方についての資料を示されたうえ、調査を始めるよう助言を受けながらも業務に従事しなかったことが、戒告処分の根拠とされました。

 裁判所は、次のとおり述べて、戒告処分やそれに続く出勤停止、普通解雇の有効性を認めました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告より、平成28年3月3日、平成28年度の業務として、『情報・数理科学に関する国内外研究の諸動向調査』、具体的には、国内の主要な研究者、研究内容を調査してまとめる業務等を指示されたが、経験に乏しい、研究領域が広く対象領域が抽象的である等と申し入れ、上司から、研究者としての視野や幅を広げて成長する機会ととらえて取り組んでもらいたい旨の説明を受け、業務の詳細についての基本方針や業務の具体的な進め方についての資料を示され、原告に経験がある分野を起点に調査を始めるよう助言を受けるも、調査に着手する態度も示さず、抗議内容に対する回答を得たい等として業務に従事しなかったものであって、客観的に見れば、原告は、合理的な理由なく、命じられた業務を遂行しなかったものである。
「また、原告は、被告より、平成28年2月の国際会議の業務報告書の修正を指示されたが、業務打ち合わせへの出席を拒否し、修正指示に従わなかった。」
原告は、これら・・・により、業務上の義務に違反し、または怠った(就業規則59条1号及び2号)等として、本件戒告処分受けたものであって、同処分に不相当なところはない。

「原告は、同年8月24日、被告より、『中研におけるCAE・シミュレーション研究の業務報告書調査』、具体的には、被告所内で実施されてきたCAEやシミュレーションに関する研究の業務報告書の調査等を指示され、ラボノートを用いて週1回進捗状況報告をするよう指示されたが、これを提出せず、同年10月には不必要な離席をするようになり、指示された産業医面談を拒否し、本件出勤停止処分を受けたものであって、同処分に不相当なところはない。」
「原告は、同年11月25日、被告より、本件出勤停止処分を重く受け止め、反省し、今後は職務に専念することを求める旨、被告が指示している業務は『中研におけるCAE・シミュレーション研究の業務報告書調査』であるから指示された業務への従事を求める旨の指導を受け、その後も、複数回、同様の指導を受け、執務室で業務を実施するよう指示を受けたが、本件解雇に至るまで、指示された業務を実施する職場環境にない、職場環境を改善する必要があるので指示された業務を実施する時間はない等との独自の見解により、指示された業務を全く行わなかったものである。」
かかる原告の態度は、自らの独自の見解に固執し、被告の指示、指導を受入れないもので、将来の改善も見込めない状態であったといえ、他の部署に異動した場合に改善が見込まれるとも考えにくい。加えて、原告は、平成23年7月から4度の異動をしたこと、平成25年3月頃に『戦略的研究テーマの抽出』という業務に関する提案をした際も、同提案に対する指摘の趣旨を理解せず、一方的に面談を求める等の対応をした経緯に照らせば、他の部署に異動した場合の改善の余地もないというべきである。」
そうすると、被告が、就業規則41条1号(研究所員としての能力を著しく欠くとき)に該当するとして行った本件解雇は、客観的に合理的な理由が認められ、社会通念上相当であり、解雇権濫用には当たらないから、有効である。

3.専門業務型裁量労働制と具体的な業務指示・指導

 裁判所は専門業務型裁量労働制の適用されていた時期と、原告に対する具体的な業務指示について、次の事実認定を行っています。

原告は、(平成28年3月 括弧内筆者)同月17日、fリーダに対し、会社のルールとして業務命令に従う旨のメールを送信し・・・、専門業務型裁量労働制の適用を申請した・・・。

「原告は、被告に対し、同年4月8日付け『2016年度の業務内容について』を提出し、命じられた平成28年度業務・・・について、数理科学に関する業務に携わったことがなく、一定期間以上にわたり情報分野に関する業務にも携わっていないとして、研究領域の広さや対象の抽象性においても、その領域に経験豊富な方が担うのがふさわしく、過大要求にあたる、平成27年研究業務内容に関し指導実績のないg首席研究員(以下「g首席研究員」という。)の下で実施することを命じたことを抗議する等として、業務命令の合理的理由の説明を求めた・・・。」
「被告は、同年5月19日付け文書において、原告に対し、同年4月6日及び同月25日に面接の上で回答したが、概略を記載するとして、平成28年度の業務内容については、原告が研究員の資格にあることを踏まえた業務指示である旨、g首席研究員が平成27年度業務に関して指導実態がないとの事実はない旨の回答をした・・・。」

fリーダは、原告に対し、同年3月3日から同年6月10日にかけて、複数回、打ち合わせ等を行い、平成28年度業務・・・について、業務の詳細についての基本方針や業務の具体的な進め方についての資料を示し、平成26年及び平成27年度に従事してきた感性及び過去に従事した画像処理の研究から範囲を広げ、研究者としての視野や幅を広げて成長する機会ととらえて取り組んでもらいたい旨、原告に経験がある分野を起点に調査を始め、順次、調査対象の分野を広げる方針で進めたい旨、g首席研究員の平成26年度及び平成27年度の指導実績等を説明した・・・。」

「また、g首席研究員は、平成28年5月26日、原告に対し、同調査の実施内容についてのメールを送信したが、原告は、同月27日、原告が申立てをしているのは今年度業務内容ではなく、会社に申し立てた抗議内容に対する回答を事前に得たい旨の返信をした。これに対し、fリーダは、会社に申立てをして協議していることと業務を遂行することは分けて対応するよう返信した。・・・」
「被告は、原告が対象業務である研究業務に従事していないとして、同年6月1日以降、原告を裁量労働制の適用から外した・・・。

「原告は、同年2月、米国で開催された『人の視覚特性モデルに関する国際会議』に出席するため、海外出張した。」
「fリーダは、同年4月12日、同月25日及び同年5月6日、原告に対し、g首席研究員を査読者として、同出張にかかる業務報告書を提出するよう、指示した・・・。しかし、原告は、同出張は、hプロジェクトマネージャー(以下「h PM」という。)の許可で実施しており、同人が業務報告書の内容を直接確認すべきである、これまで承認者の間に査読者を入れたことがなく、g首席研究員が査読する理由がない等と述べ、これに従わなかった・・・。」
「原告は、同年4月25日、h PMに対し、業務報告書を提出したが、その内容を確認したh PMやg首席研究員は、原告に対し、同年5月11日から同月12日にかけて、その修正を指示した・・・。原告は、修正した業務報告書を提出したが、指示が全て反映されたものではなかったため、g首席研究員は、〔1〕個別発表について、原告の所感を記載していないものについては所感を記載すること、〔2〕個別発表の内容を要約したものなのか、原告の所感なのか、区別して記載すること、〔3〕4件目の発表につき実験内容とその結果がもたらされた理由についての発表者の主張点を記載することを指示した・・・。しかし、原告は、同月24日に指示された業務打ち合わせへの出席を拒否し、この修正指示に従わなかった・・・。」
「被告は、上記・・・により、原告に対し、本件戒告処分をした。」

(なお、本件戒告処分は平成28年7月5日とされています 括弧内筆者)

 裁判所は原告への専門業務型裁量労働制の適用開始日を明示的に認定していませんが、

適用の申請が平成28年3月17日で、

適用から外されたのが平成28年6月1日だとすると、

「業務の詳細についての基本方針や業務の具体的な進め方についての資料を示し」た時期(平成28年3月3日~平成28年6月10日)

と専門業務型裁量労働制が適用されていた時期とが被っているように思われます。

 裁判所は専門業務型裁量労働制が適用されていることと、業務の具体的な進め方についての資料提示・助言がなされていることとの整合性を特に議論することなく、戒告処分の有効性を認めています。

 これは原告側が本人訴訟で、この点を争点化しなかったからではないかと思います。

 しかし、冒頭に述べたとおり、専門業務型裁量労働制が適用されている労働者に対して業務遂行の手段に関し具体的な指示はしてはならないことになっているため、労働者側としては、この点を根拠に戒告の効力を争い、それを普通解雇の有効性に繋げて行くという議論も展開できたかもしれません(本件の場合、それで直ちに結論が覆るとは思われませんが)。

 本件で使用者側が速やかに原告を専門業務型裁量労働制の適用対象から外したのは、おそらく改善の機会付与との関係で具体的な指示・指導を行うことと専門業務型裁量労働制との抵触の問題に気付き、解雇の妨げになることを察知したからではないかと思います。

 しかし、これほど迅速・適格に手を打てる使用者ばかりではないだろうと思います。

 専門業務型裁量労働制が適用されている方の無能力解雇の局面では、改善の機会付与の問題を具体的な指示・指導を行えないことと絡めて議論することにより、労働者側に有利な結論を導くことができるかも知れません。

 通常の労働者に対するのと同じような具合に改善の機会付与と称して具体的な指示・指導が行われていた場合、そのような指示・指導の適法性を問題にできる可能性があります。また、具体的な指示・指導が伴わないまま解雇されている場合には、専門業務型裁量労働制の対象から外して具体的な指示・指導を行って改善の機会を付与すべきであったのではないかといった議論を展開できる可能性があります。

 専門業務型裁量労働制の適用されたまま無能力解雇され、その効力を争うことを検討している方がおられましたら、一度ご相談頂ければと思います。

 

(令和2年5月23日追記)

 裁判所の判示について一般的な観点から説明を捕捉させて頂きます。

 裁判所の認定事実は神の目線から見ての客観的真実ではありません。裁判所は証拠に基づいて事実を認定します。

 しかし、証拠がない事実=存在しない事実 ではありません。また、証拠の評価を誤って、証拠上、本来認定することができない事実が認定されることもあります。

 一審判決で認定された事実とは異なる事実が控訴審で認定されることが実務上稀ではないことからも、裁判所の認定事実が飽くまでも裁判官の主観的な認識であることは理解できるのではないかと思います。

 無能力・能力不足を理由とする解雇が認められたということも、労働者の能力が低いことを意味するわけではありません。労働能力の評価も企業の主観でしかないため、勤務先を変えたことによって評価が真逆になることは、全く珍しくありません。上司や職場が変わって能力を発揮しやすくなったことは誰にでも経験があることだと思います。また、そもそも労働者の反抗的な態度への報復など、評価は能力とは無関係に行われることもあります。要件事実とは関係ないとして捨象された事実の中に問題とみられる行動の理由が隠されていることもあります。

 そのため、裁判所の判示事項が、必ずしも、社会的意味での事案の全貌や、客観的な意味での真実を述べたものではないことは、明確にしておきたいと思います。また、本判決が上訴審でどのような評価を下されたのかも現時点では確認できていません。

 なぜ、このようなことを追記したのかというと、本件の当事者を名乗る匿名の方からのご連絡を頂いたからです。

 コメント内容は拝見し、真摯に検討させては頂きましたが、

本件は判決の引用にすぎないこと、

公刊物に掲載された裁判例であること、

契約すれば誰でもアクセス可能な判例データベースに判決全文が登載されていること、

判例データベースへの搭載にあたり匿名処理が行われていること、

公表裁判例への言及・論評は一般に問題だとは理解されていないこと、

上級審で破棄された判決であるとしても、学術的な検討の価値はあること、

匿名の方からの連絡であり、当事者との同一性が判断できないこと、

などの理由により、現時点では、裁判所の認定事実の意味を追記解説する以上の措置は予定していません。

 ただ、実名で(本件の当事者であることが分かる形で)本追記でも解消されない不都合があることをご説明頂ければ、掲載の適否を再検討したいとは考えています。