弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

勤務先が介護職員処遇改善加算金を受け取っているはずなのに賃金を改善しない場合、介護職員は勤務先を訴えられないのか?

1.介護職員処遇改善加算制度

 介護職員処遇加算制度という仕組みがあります。これは大雑把に言うと、介護職員の賃金等を改善する原資として、一定の要件のもとで対象事業者に金銭を交付する仕組みです。

 この加算金を受け取っておきながら、勤務先の事業者が職員の賃金を引き上げない場合、職員の方は対抗手段をとることはできないのでしょうか。

 この点が問題となった裁判例に、横浜地横須賀支判令元.9.30労働判例ジャーナル94-58 しんわ・ほか2社事件があります。

2.しんわ・ほか2社事件

 本件は介護職員が原告となって、加算金を受け取りながら職員の賃金を改善しなかった被告法人らを訴え、処遇改善相当額等の支払を求めた事案です。

 原告らは、

① 信託構成、

② 第三者のためにする契約構成、

③ 労働契約上の義務構成、

の三つの法律構成でアプローチをかけました。

 信託というのは、

「特定の者が一定の目的・・・に従い財産の管理又は処分及びその他の当該目的の達成のために必要な行為をすべきものとすること」

を言います(信託法2条1項参照)。

 原告の主張の骨子は、

加算金は事業者が賃金改善のための費用に充てる目的で移転された財産である、

したがって、事業者は加算金等を職員の賃金の改善に用いる義務がある、

というものです。

 第三者のためにする契約とは

「契約により当事者の一方が第三者に対してある給付をすることを約」すること

を言います(民法537条)。

 市と被告法人らとの間では、介護職員に対して加算金の給付をすることが約束されていたのだから、介護職員である自分達が受益の表示をすれば賃金改善相当額の支払請求権を確定的に取得するはずだというのが原告の主張の骨子です。

 労働契約法の義務になっているという主張は、労働者に対して行われた処遇改善計画の周知行為を労働契約変更の申し込みとして理解する構成です。

 しかし、裁判所は、いずれの法律構成も成り立たないとし、原告の請求を認めませんでした。裁判所の主な判示事項は次のとおりです。

(裁判所の判断)

① 信託構成

「加算金等制度は、対象事業者に対し、雇用する介護職員の処遇改善を行うことを促すことを目的とした公法上の制度であることからすれば、被告法人らと横須賀市等の間で、原告ら主張に係る信託契約を締結したと評価することもできない。」

② 第三者のためにする契約構成

「加算金等制度は、都道府県等が対象事業者に一定の金員を交付することにより、当該事業者に対して介護職員の処遇改善を促すことを目的とした公法上の制度であり、対象事業者と都道府県等の間で、第三者のためにする契約を含めて私法上の契約があったと解することはできない。

③ 労働契約上の義務構成

加算金等制度は、対象事業者と都道府県等との間で対象事業者に支給される交付金等について定めた公法上の制度であって、処遇改善契約の内容が対象事業者の介護職員に周知されたからといって、同内容が当然に私法上の契約の内容となるものではない。そして、処遇計画書の内容の周知は、対象事業者の介護職員に処遇計画の内容を広く認識させることにより、交付金事業の適正な執行を図るために要請された手続きであって、これを私法上の契約の申込みと解することはできない。また、処遇改善計画書に記載された処遇改善計画はそれ自体が計画に過ぎないものであり、加算金等制度は、対象事業者が処遇計画書の内容どおりに従業員の処遇改善が図られるものではないことを想定しているのであって、直ちに個別具体的な個々の介護職員の処遇改善結果が特定されるものではないと解される。したがって、仮に、対象事業者が処遇改善計画の内容を介護職員が認識した時点で、労働契約変更の申込みについて承諾の意思表示があったとみたとしても、変更後の労働契約の内容が確定していないことになるから、介護職員が事業者に対し、具体的な金銭請求権(賃金ないし賞与請求権)を取得することにはならないというほかない。」

3.いずれの法律構成も否定されたが・・・

 加算金制度では、

「対象事業者が支給を受けた加算金等を介護職員の処遇改善に用いなかった場合・・・加算金制度においては、場合によっては不正受給として、都道府県等は、既に支給した加算金を返還させること又は加算の取消しをすることができる」

とされています。

  加算金を処遇改善に使わなかった場合、使わなかった加算金は都道府県等に返還しなければなりません。ただ、それだけで十分かといえば、必ずしも十分ではないように思われます。

 しかし、加算金で処遇が行われない場合について、この判決の論旨に従うと、最も切実な利害関係を有しているはずの介護職員の方が、自ら声を挙げるための方法は、かなり制約されてしまうように思われます。

 本当に介護職員の方に対して直接救済のためのルートを残しておかなくてよいのかという気はしますが、現状、この問題を労働者側から裁判所に持ち込むのは難しいかもしれません。