弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

法内残業の時間単価を所定労働時間の時間単価よりも低くすることは可能なのか?

1.法外残業に対する割増賃金の支払義務

 法外残業をさせた場合、

「通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の二割五分以上五割以下の範囲内でそれぞれ政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない」

とされています(労働基準法37条1項)。

 そして、「通常の労働時間又は労働日」の賃金は、所定労働時間1時間あたりの賃金額(時間単価)に残業の時間数を掛け算した値になります(労働基準法施行規則19条参照)。

 つまり、法外残業の時間単価が、所定労働時間の時間単価を下回ることは、有り得ないことになります。通常の労働時間の賃金に割増率を掛け算した額を支払わなければならないことから、法外残業は使用者に相応の負担を生じさせます。

 それでは、法内残業(法定労働時間の枠の中に収まっている部分の残業、所定労働時間が法定労働時間よりも短い場合に発生する)の時間単価については、どのように考えられるのでしょうか。

 労使間の合意によって時間単価や金額を自由に設定することは許されるのでしょうか、それとも残業をさせる以上は法内残業であったとしても所定労働時間をもとにした時間単価(以上の額)で残業代を計算しなければならないのでしょうか。

 法内残業の扱いに関しては未解明な部分が少なくありませんが、近時の公刊物に、この点を判示した裁判例が掲載されていました。

 仙台地判平31.3.28労働経済判例速報2395-27富国生命保険事件です。

2.富国生命保険事件

 この事件では一定額の「総合職加算」「勤務手当」が法内残業時間の対価であると認められるか否かが問題となりました。

 労働契約上、「総合職加算」は「総合職に対して支給する。総合職加算の支給対象者は、法内残業時間に対する時間外勤務手当の支給対象外とする。」と定められていました。

 また、「勤務手当」は「総合職等に対して支給する。勤務手当の支給対象者は、法内残業時間に対する時間外勤務手当の支給対象外とする。」と定められていました。

 原告となった労働者は、このような定めのもと法内残業時間が固定されてしまうと、

「法内残業が恒常化している者の場合には総合職加算の額も勤務手当の額も法所定の残業代に満たないことから、これらを法内残業手当と見ることはでいない」

はずだと主張しました。要するに、法内残業の時間数が一定のレベルを超えてしまうと、総合職加算や勤務手当の額は固定されているため、所定労働時間の時間単価を下回る現象が生じることから、こうした法内残業の対価の定め方は違法ではないのかという立論になります。

 これに対し、裁判所は、以下のように述べて、法内残業であれば、時間単価は所定労働時間内の時間単価を下回っても、それだけで直ちに違法になることはないと判示しました。

(裁判所の判断)

所定労働時間を超えていても、法定労働時間を超えていない法内残業に対する手当については、労働基準法37条の規制は及ばない。また、所定労働時間内の労働に対する対価と所定労働時間外の労働に対する対価を常に同一にしなければならない理由はないから、清算の便宜のために残業時間にかかわらず法内残業手当の額を固定した結果、法内残業をした日の多寡によっては、法内残業に対する時間当たりの対価が、所定労働時間内の労働時間に対する時間当たりの対価を下回る結果となったとしても、それだけで直ちに違法とはいうことはできない。

3.法内残業の固定残業代にも要注意

 本当に法内残業に対する時間単価が所定労働時間内の労働時間に対する時間単価を下回って良いのかには疑問もあります。これが許容されるとなると、所定労働時間に高い賃金が払われるような体裁を整えつつ、法内残業の固定残業代を低く設定することによって、所定労働時間内の時間単価の価値を希釈することが可能になってしまいます。

 判決が用いた論理構成の正誤の問題は措くとして、存在する以上は、上記のような裁判例を完全に無視するのは勇気が要ります。

 予想外のトラブルを避けるためには、求人情報や労働条件等を確認する際、法内残業に固定残業代の定めが置かれていたら、取り敢えず身構えてみても良いだろうと思います。求職者の立場で応募するにあたっては、見せかけ上の労働条件の良さに惑わされるのではなく、「1日8時間、週40時間まで働くと時給換算はどうなるか?」といった視点からも情報を眺めて行く必要があります。