弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

取締役に就任したら退職するという就業規則-これにより自動的に退職したことになるか?

1.役員就任と同時に行われる合意退職

 従業員を取締役などの会社の役員に就任させるにあたり、一旦退職合意を交わして従業員の地位を整理してから役員になってもらうことがあります。

 現行法上、従業員と取締役を兼務することは禁止されていません。

 それでは、なぜ、このようなことをやるのかというと、比較的簡単にクビを切れるようにするためだと思います。

 従業員(労働者)と取締役とでは、地位の安定の度合いが全く異なります。

 従業員の解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合には無効となります(労働契約法16条)。

 しかし、取締役などの会社役員は、株主総会決議によって、いつでも解任することができます(会社法339条1項)。正当な理由のない解任に関しては、残任期分の報酬に見合う損害賠償を支払う必要が生じますが(同条2項)、逆に言えば、損害賠償さえすれば、ただ単に気に入らないという理由で解任することもできます。

 偉くはするけれどもリスクは負ってもらうという趣旨であることもあれば、ただ単にリストラの前段階としてクビにしやすくするために持ち上げられているだけといった趣旨であることもあると思います。

 しかし、従業員としての立場を整理することができるのは、飽くまでもきちんとした法的処理を行っていた場合だけです。

 そして、単に就業規則に、取締役に就任したら退職する、といった定めがされているだけでは、きちんとした処理がされているとは認められません。

 この点が問題になった近時の裁判例に、大阪地判令元.6.13労度う判例ジャーナル92-32松尾事件があります。

2.松尾事件

(1)事案の概要

 この事件で被告になったのは、繊維製品の製造並びに販売等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告の元取締役の方です。従業員(平成19年退職)→取締役(平成27年11月解任)→従業員、と地位が移り変わっているところ、取締役在任中の報酬額が月198万6000円であったのに対し、取締役から従業員になってからの賃金は168万6000円であるとされました。

 こうした取扱いの適否が問題になったのが本件です。

 未払賃金を請求した原告に対し、被告は、大意、

従業員から取締役に就任するにあたり、原告は一旦会社を退職している、

したがって、198万6000円は全て役員報酬である、

(だから、役員から授業員に戻るにあたっての、賃金額の改定は労働条件の不利益変更ではない、旧契約の解除と新契約の締結である 括弧内筆者)、

といった争い方をしました。

 従業員から取締役に就任するにあたり、従業員としての地位が喪失されているという主張の根拠になったのは、被告の就業規則です。

 被告の就業規則には、

「取締役に就任したときに退職する旨の定めがある・・・(62条)」

との文言がありました。

(2)判決の要旨

 裁判所は次のように述べて、原告の請求を認容しました。

「被告は、平成25年5月1日から平成26年4月30日事業年度分の確定申告書、平成26年5月1日から平成27年4月30日事業年度分の確定申告書及び平成27年5月1日から平成28年4月30日事業年度分の確定申告書において、役員報酬としてはC及び被告代表者の分しか記載しておらず、原告に対する支払を従業員に対する手当に含めていること、被告は、平成19年以降も原告に給与明細書を交付し、平成25年7月以降平成27年11月までの間、同明細書に基本給198万6000円と記載していたこと、被告は、平成19年以降も原告を賃金台帳に掲載し、支払われた金員(平成25年7月以降平成27年11月までは198万6000円)を基本給として記載していることが認められる。他方、平成19年頃に原告が退職届を提出するなどの退職手続(就業規則(甲3)63条参照)が行われておらず(弁論の全趣旨)、また、一般の従業員と異なり、退職金の支給の検討すら行われなかったことは被告も認めるところである。さらに、平成27年11月頃、原告に従業員としての地位がなければ、取締役を解任された時点で、被告から原告に何らかの金員を支払う根拠がなくなるにもかかわらず、平成27年12月以降も、改めて雇用契約を締結するなどの手続なく(弁論の全趣旨)、賃金が支払われている(前提事実(6))。加えて、被告代表者が、原告による被告に対する敵対的行為を理由に、罰として給料を30万円下げた旨供述しており、平成27年12月以降の支払(これが賃金であることは当事者間に争いがない。)とそれ以前の支払が同質のものであることを前提としている。そして、原告は、他の従業員と一緒に梱包や検品を行っていたと供述するところ、被告において、原告も他の従業員と同様に朝8時から出社して午後5時半頃まで仕事をしていること自体は、被告代表者も認めている(被告代表者本人)。」

(中略)

「以上によれば、原告が被告を平成19年頃に退職したとは認められず、また、平成27年12月以降の原告の賃金額は、198万6000円と認めるのが相当である。」

3.就業規則に定めがあれば争えない?

 就業規則の規定・文言は重要な資料ですが、それだけで勝負が決まってしまうわけではありません。税金関係の資料との整合性、賃金台帳との平仄、退職手続、退職金の支給などの諸々の事情が退職を示しているわけではないとすれば、就業規則の書きぶりに関わらず、労働者としての地位を主張できる可能性があります。

 役員就任にあたり、なぜか退職された扱いにされ、それを背景とした紛争を抱えてる方がおられましたら、ぜひ、一度ご相談頂ければと思います。