弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

司法記者の倫理(NGT裁判の報道の在り方)

1.NGT裁判の報道

 ネット上に、

「山口真帆『襲撃犯ツーショット写真』流出! 裁判隠し玉は『交際日記』」

という記事が掲載されています。

https://taishu.jp/articles/-/70166?page=1

 記事には、

「5月にNGT48を卒業した山口真帆(24)。昨年12月、マンションの自室前でファンの男性から暴行を受けた事件をめぐり、当時、山口が所属していたAKB48グループの運営会社が、犯行グループを相手に損害賠償を求めて係争中だ。」

「そんな中、山口と犯行グループ・K氏との衝撃的な“疑惑のツーショット”写真が報じられた。『しかし、この報道に対して山口本人はSNS上で、あくまで指示されたポーズを取る“写真会”での写真と完全否定したんです』(スポーツ紙記者)」

「だが、ここにきて、『K氏らが裁判資料として、山口が住むマンション内にある彼女の向かいの部屋にあたる314号室を、自身が賃貸契約していたとする書類を提出していたことが明らかになったんです』(全国紙司法担当記者)」

「また、裁判資料と一緒に提出された陳述書には、『K氏が“山口に何回も衣類やアクセサリーを、ゆうパックで送ったこと”や、“マンション内の廊下や共有ロビーで直接プレゼントを手渡したこと”が記されているんです』(前同)」

「そんな中、ある芸能事情通は事件の真相解明につながる犯人グループの“隠し玉”があると耳打ちする。『今後の裁判に向け、被告側がさらに提出する新証拠と噂されるのが、一説には、K氏が今までに山口にプレゼントしてきた高級服やアクセサリーなどの購入明細書だといわれています。そこには日付ももちろん記入されていますから、まさに山口とK氏が、いつから親しい関係になったかが分かる、オトナの“交際日誌”とも受け取られかねない、証拠になるのではないかといわれているんです』」

「さらに、もう一つの証拠の提出も囁やかれている。『K氏が送ったとされる高額プレゼントの運送記録ですよ。運送会社では過去数年間の運送記録は開示請求が可能なんです。それが開示されれば、K氏が山口にプレゼントを送っていたか否かの、本当の真実が明らかとなる。山口がK氏に住所を教えていたのではないか? といった深い闇が、ついに明らかになるかもしれませんよ』(前同)」

「こうなると被害者として真実を明らかにするためにも、山口の証人としての出廷の可能性もありそうだ。『山口は自ら潔白の自信があるのであれば、証人出廷し、100%疑惑を晴らせばいいんですよ。ファン、メンバー、スタッフたち皆のためにも出廷し、K氏ら犯人グループに罪を償わせるべきですよ』(前出の司法記者)」

などと書かれています。

2.被告側の主張、立証活動に意味はあるのだろうか?

 被告側は、写真会で撮影された写真に加え、

① 向かいの部屋の賃貸借契約書、

② 衣類やアクセサリーを送ったり渡したりしていたとする陳述書、

③ 高級服やアクセサリーの購入明細書、

④ 高額プレゼントの運送記録、

といった証拠を提出しようとしているようです。

 しかし、こういった主張・立証活動には、殆ど意味がないと思います。

 報道によると、NGT裁判の訴状には次のような事実が書かれていたとあります。

「訴状によると、NGTファンの男性2人は昨年12月8日、新潟市内の山口の自宅前で、山口の顔をつかむなど暴行。その後、今年1月に山口が事件を明らかにして以降、劇場公演の中止や予定していたホールツアーの中止、広告打ち切りなどによる損失、メンバーの自宅警備費用などにかかった計1億円余りのうち3000万円を請求している。」

https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201907100000437.html

 これが請求原因(不法行為に基づく損害賠償請求権の発生を根拠付ける事実)の骨子であるとすれば、重要なのは、

ファン男性2名による暴行⇒山口氏による事件の公表⇒劇場公演やツアーの中止・広告打ち切り・自宅警備費用の増加、

という一連の流れです。

 ここでは、

「ファン男性2名による暴行」(加害行為)の事実の存否と、

劇場公演の中止等の損害が、「ファン男性2名による暴行」(加害行為)から通常生じる類の損害と認められるかどうか

が、本件の裁判の本質を構成するはずです。

 暴行の主体が顔見知りであったのか、そうでなかったのかは、周辺的な事情にすぎず、それほど重要な問題ではないだろうと思います。

 顔見知りであるかどうかは暴行(加害行為)の存否に影響を与える事実ではありませんし、暴行事件が大事に発展したのも犯人と被害者との間に面識があったかどうかとは関係がないと思われるからです。

 訴訟記録を分析しなければ断定はできないにしても、報道から推測される請求原因との関係では、①~④のような立証活動は訴訟上、あまり意味を持たない可能性が高いのではないかと思います。

3.被告の立証予定から「つながり」があると推測して良いのだろうか?

 賃貸借契約書、購入明細書、運送記録に関しては、一般の方でも比較的容易に想像できるものだと思います。

 では、陳述書というのは、どういった書類なのでしょうか。

 陳述書とは、事件に関して経験したり認識したりした事実を時系列に沿って述べたもので、言い分を裁判所や相手方が理解し、事件の経緯や問題の所在を把握するために用いられる書類です。

(参考)

http://www.courts.go.jp/maebashi/saiban/tetuzuki/minji/index.html

 要するに、当事者の一方的な認識が書かれた文書以上の意味合いを持つものでしかありません。関係者からの反対尋問に晒される前の供述で、真実性が何らかの形で担保されているようなものでもありません。

 第三者委員会の報告書によると、

「当該マンションは一時期からマンスリーマンションとして賃貸されており」(25頁)

とのことなので同マンションの居室に入居することはそれほど困難ではなかったと思われます。

 また、マイクロバスを追尾することなどにより、

「ファンがメンバーの居住先を特定することは、さほど困難なことではない」(25頁)

状態であったとされています。

 加えて、

「本件事件の被疑者である甲に至っては、当該マンションに複数のメンバーが居住していることを突き止めた上で、以前から当該マンションを賃借していた」(20頁)

とも書かれています。

https://ngt48.jp/news/detail/100003226

 このような事実関係のもとでは、①、③、④は被告側が一方的につながりを持とうとしていた以上の意味は持たないと思います。②の陳述書に書かれていることが真実かどうかは、山口氏の言い分と付き合わせて、真偽をきちんと検討してみなければ分からないことです。

4.「隠し玉」といった表現は適切か?

 賃貸借契約の件は報告書段階で既に書かれているので、元々隠れていないと思います。

 また、民事訴訟法は、

「攻撃又は防御の方法は、訴訟の進行状況に応じ適切な時期に提出しなければならない。」(156条)

「当事者が故意又は重大な過失により時機に後れて提出した攻撃又は防御の方法については、これにより訴訟の完結を遅延させることとなると認めたときは、裁判所は、申立てにより又は職権で、却下の決定をすることができる。」(157条1項)、

と規定しています。

 重要書証は、さっさと出さなければ、後出しジャンケン的に出しても「今更そんなもの出されても、提出は認められません。」という形で取調べをしてもらえないことがあります。

 こういうルールのもとで裁判実務は運用されているため、重要書証は訴訟が進行すればするほど出なくなるのが普通です。

 裁判では「乞うご期待」みたいなことは普通生じません。初期段階が最もインパクトの強いやりとりがなされ、だんだん収束して行きます。

5.山口氏は自分の意思で証人になれるのだろうか?

 記事には、

「『山口は自ら潔白の自信があるのであれば、証人出廷し、100%疑惑を晴らせばいいんですよ。ファン、メンバー、スタッフたち皆のためにも出廷し、K氏ら犯人グループに罪を償わせるべきですよ』(前出の司法記者)」

と書かれています。

 しかし、証人尋問は当事者が証人尋問の申出をしなければ実施されません(※)。

 つながりがなかったと仮定した場合、出てこられると嘘がばれるため、被告側から証人尋問が申し出られることはないと思います。

 他方、山口氏とAKSとの関係は必ずしも良好ではないことを考えると、AKSが山口氏の証人尋問を求めるかも不透明なところがあります。

 そういう状況の中で「真実」らしきものが議論されて、それが面白おかしく報道されることが問題なのに、証人として出廷しろと煽るのは酷なのではないかと思われます。

6.司法記者の倫理

 一般社団法人日本新聞協会の新聞倫理綱領には、

「新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。」

と書かれています。

https://www.pressnet.or.jp/outline/ethics/

 裁判において本質的とも思われない類の事実に焦点を当て、証拠力の不分明な証拠を重要証拠のように取り上げ、「隠し玉」云々の言葉を使って人の興味関心を引き、制度上の障壁があるのに潔白の自信があるなら証人として出廷するように求める、これが個人の名誉を重んじ、プライバシーに配慮した報道であるのかは、検討の余地があるように思われます。

 フリーランスの働き方は現在の私の研究テーマですが、芸能人はフリーランスの中でも特殊性の高い職業属性だと思います。

 真実について切実な利害関係を持つ方が、訴訟手続から締め出されたまま「真実」が議論され、報道によって拡散されて行く、そうした構造に疑問を提起する記事が一つくらいあっても良いだろうと思い、本記事を執筆しました。

 

(※ 令和元年11月21日追記)

 当事者が申し出ない限り、証人尋問は採用されないということの法的根拠について補足しておきます。

 民事訴訟では「弁論主義」という考え方が採用されています。

 伊藤眞『民事訴訟法』〔有斐閣、第三版三訂版、2008〕264-265頁には、

「弁論主義とは、訴訟物たる権利関係の基礎となる事実の確定に必要な裁判資料の取集、すなわち事実と証拠の収集を当事者の権能と責任に委ねる原則である。現行法の規定、すなわち159条・179条・・・などの規定は、民事訴訟の一般原則としての弁論主義を前提としたものである。

「弁論主義の具体的内容は、以下の3つに区分される。第1に、権利関係を直接に基礎づける事実、すなわち主要事実については、当事者による主張がなされない限り、裁判所は、これを判決の基礎とすることはできない。この原則から、主張責任の概念、および判決の基礎となる事実によって構成される訴訟資料とその認定のための証拠資料の区別などが派生する。第2は、主要事実について当事者の自白の拘束力が認められることである。第3は、いわゆる職権証拠調べの禁止であり、事実認定の基礎となる証拠は、当事者が申し出たものに限定される。

という記述があります。

 幾つかの例外はありますが、民事訴訟は基本的には弁論主義というルールのもとで審理されます。

 当事者が証拠の申出をしない限り、証人尋問が採用されることはないというのは、弁論主義の第3の原則に係るものです。

 当事者がこういう証拠を調べてくれと言わない限り、裁判所が独自に真実を探求するということはありません。

 また、第2のルールからも分かるとおり、別に客観的な意味での真実でなかったとしても、原告・被告双方で争いのない主要事実は、裁判所はそのまま判決の基礎にします。客観的には事実Aが正解であったとしても、原告も被告も事実はBであると主張し、原告・被告間の主張に対立がなければ、裁判所は事実Bを基礎に判決を言い渡します。

 こうした拘束力が発生するのは主要事実に限定されるとの理解が通説です(前掲文献268頁「弁論主義の適用対象は、主要事実に限定される。」参照)。しかし、第1のルールがありますので、主要事実だろうが間接事実だろうが、原告も被告も事実がBであることを前提とした主張・立証活動を行えば、裁判所が真実を事実Aであると認識する契機はありません。

 したがって、実務家的な発想で言うと、主要事実だろうが間接事実だろうが、当事者が言えば真実と違った事実を前提に判決を作り出すことは可能なのです。

 もちろん、普通の裁判では、原告も被告も自分に有利な認識を真実だと信じて事実主張をするので、真実とは異なる事実がそのまま判決の基礎となることはありません。しかし、有利な結論を得ることにこだわらない、何か別の目的のもとで裁判がされている場合、上記のように真実を弁論に顕出させない方法で前提事実を作り出すことは理論上可能です。

 一般の方は、こういう結論をおかしいと思うかもしれません。

 しかし、これは普通の事案では何の問題もありません。判決の効力は基本的には当事者にしか及ばないからです(民事訴訟法115条1項1号)。

 当事者Xと当事者Yとの間の事件で事実Bが真実であるという認定がなされたとしても、当事者Xが当事者Zに対して改めて訴えを起こしたとき、当事者Zは事実Aが真実であるという主張をすることができます。そして、証拠上、事実Aが真実であるという話になると、裁判所は事実Aを基礎として判決を書きます。自分の関与していない裁判で、誰がどのような主張をしようが、その裁判での事実認定に他人が拘束されることはないため、上記のようなルールが敷かれていても普通は問題にならないのです。本件の問題は判決効が及ぶとか及ばないとか形式論理を離れたところ、世の中の空気が作り出され、それによって多大な不利益を受ける可能性があるということにあります。

 弁論主義は専門家には当たり前すぎるルールとして理解されています。裁判に真実を探求する機能があることは否定しませんが、訴訟における真実というのは、相対的なものでしかありません。事実認定にしても、証拠があるかないかをチェックするだけなので、立証されたという域に達しない事実は「多分そうだろうな」と思っていても、事実として認定されることはありません。しかし、これは事実が存在しないことを意味するわけではありません。裁判所が判断するのは、事実があるかないかではなく、証拠上事実を認定することができるかどうかなのです。

 しかし、一般の人は裁判所が認定する事実を、あたかも絶対的・客観的真実であるかのように誤解している節があります。そうした誤解を前提に、山口氏の関与しないところで議論された事実を、あたかも客観的真実であるかのように面白おかしく報道するのはどうかと思っています。そういうやり方で、人の働く場が制約を受けていく場面を目の当たりにするのは、労働問題に関心のある弁護士として違和感を覚えます。

 他の裁判に関しては、弁護士のコメントがどこからともなく出てきますが、この裁判について論評を加えている弁護士はあまり見当たらないため、専門家的な見方を書いてみることにしました。裁判がこういうものだというのは、一般の方には分かりにくいので、議論の一助になればと思います。

 

(令和元年11月22日追記)

1.NGT裁判で絶対的・客観的真実が解明されることへの疑問

 以前、NGT裁判に関して、

「裁判資料の横流し? 訴訟記録と非当事者の名誉・プライバシー保護の問題」

という記事を書きました。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/11/03/005508

 その中で、

「真相の究明が本当に可能なのだろうかと疑問に思います。

 根拠は事件のキーパーソンである山口氏とAKSとの関係が必ずしも良好ではなさそうであることです。

 訴訟は認否反論をぶつけ合って進めて行きます。

 被告となった二人が、事件についていい加減な事実主張をしたとしても、当該主張の真偽を山口氏に直接確認することができなければ、有効な反論を打ち出すことに難渋するのではないかと思います。山口氏の側にしても、自分が当事者になっている裁判というわけではないため、訴訟に積極的に関与して自分の事実認識を語ることができるわけではありません。結果、事実認定が被告の主張の側に流れ、真相がますます良く分からなくなってしまうこともあり得ると思います。」

という文章を書きました。

2.訴訟の流れ

 訴訟は、大雑把に言うと、

① 主張、証拠(書証)の整理(訴訟において本質をなす重要な事実が何なのか、当該事実関係を立証するためにどのような証拠があるのかの確認)、

② 当事者双方の言い分の食い違いを認識、

③ 人証調べ(関係者を呼んできて、直接話を聞く)、

④ 裁判所による最終的な心証形成→判決

という経過を辿って結論(判決)に行き着きます。

 純粋に法律論のみが争点となるような事件では、事実関係について言い分の食い違いがないため、③が行われないこともあります。しかし、①~④の順番に流れて行くのが手続の標準形です。

 ①の主張、証拠の整理が、どのように行われていくかと言うと、相互に書面で認否・反論を出し合う形で行われます。

 認否というのは、相手方が主張している事実について、

ア.事実に間違いがない部分、

イ.事実ではないと考えている部分、

ウ.事実関係について認識していない部分(知らない部分)、

の仕分けを行うことです。

 これによって、裁判所は事実だと思っても差し支えないところ、事実かどうかを究明する必要があるところを認識します。

3.山口氏との良好な関係がなければ、裁判が難しい理由

 山口氏との良好な関係がなければ、真相の究明が難しいと考えるのは、相手方の主張に対して、きちんと認否をとることができないからです。

 その趣旨を、今回の日刊大衆の記事に、当てはめて説明します。

 記事には、

「K氏が“山口に何回も衣類やアクセサリーを、ゆうパックで送ったこと”や、“マンション内の廊下や共有ロビーで直接プレゼントを手渡したこと”が記されているんです」(前同)」

と書かれています。

 請求原因との関係でどれだけの重要性がるのかは疑問ですが、この陳述書に基づいて、被告側から、

山口氏に対して衣類やアクセサリーを送っていたこと、マンション内の廊下や共有ロビで直接プレゼントを手渡したこと

が主張として提示されたと仮定します。

 このような事実が存在するのかどうかは、山口氏に対して直接確認しなければ分かりません。

 山口氏に聞いて事実と相違することが分かれば、

「所掲の事実は否認する。贈答物を交付された事実はない。」

などの認否、反論をすることができます。

 しかし、山口氏との関係が悪くて、相手の主張する事実の真偽を確認することができないと、

「所掲の事実は知らない。」

としか認否できません。

3.「不知」認否の実務上の意味

 民事訴訟法159条2項は、

「相手方の主張した事実を知らない旨の陳述をした者は、その事実を争ったものと推定する。」

と規定しています。

 しかし、実務上、「知らない」と答えた事実について、裁判所が一々精査することはありません。精査する手がかりがつかめないので、何もできないからです。

 立証段階においても、

「プレゼントをしました。」

という被告の本人供述しかなく、

「プレゼントは受けていません。」

という山口氏の供述がない場合、矛盾する証拠が存在しないため、

「プレゼントをしました。」

とう事実は、すんなりと認められてしまう可能性が高くなります。

 弁論主義との関係で、裁判所は弁論に顕出された資料でしか判断しないため、山口氏がツイッター等で

「プレゼントは受けていません。」

と事実関係を否認したとしても、それが裁判での資料になることはありません。

 これが、関係者不在のところで、事実が作り出され、真相がますます分かりにくくなってしまうメカニズムです。

4.AKSは山口氏を証人として呼ぶか

 もちろん、以上のような供述証拠の状況は、山口氏が法廷に出てきて、

「プレゼントは受けていません。」

ときちんと証言すれば回避できます。

 しかし、ここでも山口氏との関係性は問題になります。

 一般的な弁護士は、

「何をしゃべるか分からない証人は基本呼ばない。」

という発想で裁判をやるからです。

 これは法廷に顕出される情報をコントロールしたいからです。自分の思い通りに手続を進めるためには、不確定要素は少ない方が良いのです。

 そのため、証人尋問を行うにあたり、ぶっつけでやるといった怖いことは普通はありません。一般的には入念な予行練習のもとで行います。

 しかし、証人との関係が良好でないと、どのような質問をしたらどのような回答が返ってくるのかを事前に打ち合わせて確認しておくことができませんし、場合によっては殊更に当方に不利なことを言ってくるかも知れません。

 そのため、「呼んで一発逆転に賭けなければ確実に負ける」といったような事情でもない限り、関係性の悪い証人を呼ぼうという発想にはなりません。

 事前にプレゼントをやりしたする関係があろうがなかろうが、暴行事件が発生し、それが世に出て警備費用等が増加したという一連の経過の立証は可能であろうという判断ができる場合、別に山口氏を呼ぶリスクを冒す必要はないという発想になることは、それほど不自然ではありません。

 なお、AKSの裁判の意図が真相の究明や損害賠償責任の追及とは別のところ、山口氏への嫌がらせにある場合には、呼ぶのか呼ばないのかの予測は困難です。

 普通、裁判は勝つためにやります。しかし、勝つことを気にしないでいいのであれば選択肢は色々出てきます。世間の目から山口氏を呼ぶにしても、質問をコントロールすればよいだけだからです。

 証人尋問は質問と答えの繰り返しで行われます。

 したがって、

「プレゼントをもらいましたか。」

という質問をしなければ、

「もらっていません。」

という証言は現れず、山口氏の口をふさいでいるのと同じことになります(被告側は「もらっていません。」という回答が出ると困るため、「プレゼントをあげましたよね。」といった質問をすることはないと思われます。)。

 現時点で山口氏が証人として呼ばれるかどうかは分かりません。しかし、呼ばれたとしても、それはAKSの都合のもとで呼ばれるのであって、山口氏の利益のために呼ばれることにはならないだろうと思います(訴訟は第三者ではなく当事者の利益確保のために行われるものなので、それ自体は普通のことではありますが。)。

5.NGT裁判で作り出される「真実」、AKSの使う「真相究明」の意味

 報道には、

「当時会社に所属していたメンバーが暴行を受けたにもかかわらず、結局不起訴になっている。その理由すら会社としては分かっていない。そうした事情も含めて真相を究明していきたい」

「裁判所からは今後の裁判を非公開で進めていくことを提案されたが、遠藤弁護士は『最終的には裁判所が裁量で判断することになりますが、我々としては白日の下にさらされる形で、公開の法廷でやりとりをする形で進めたい』と主張。『被告が非公開を要求してきたら?』と聞かれると『「公開で」ということでお願いし続けていくしかない』と力を込めた。」

と書かれています。

https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/akb/1467066/

 AKSの「真相を究明」という言葉や、上述のような訴訟方針は、以上に述べたようなNGT裁判の特性を踏まえたうえで評価される必要があります。

 訴訟提起はするにしても、AKSの言う「真相の究明」は裁判所からの非公開審理の提案を断ってまでやるようなことなのだろうか、個人的には疑問に思います。

6.司法記者の役割

 本件は上述のような構造的な問題があることから、

「人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮」

した報道が強く要請される類の事件だと思います。

 そうした観点が報道からあまり感じられないことは、少し残念に思います。