1.パンプス・ハイヒールの強制問題
ネット上に、
「#Kutoo は労働環境だけの問題じゃない 石川優実さん『性差別でもある。なぜ1つの問題にしたがるの』」
という記事が掲載されていました。
https://www.bengo4.com/c_23/n_10362/
記事には、
「職場でヒールやパンプスを履くよう強制する風習をなくしたいーー。女優でライターの石川優実さんの呼びかけで始まった『#KuToo』運動は、『2019ユーキャン新語・流行語大賞』の候補30語にも選ばれた。」
「この運動は、職場でのパンプスやハイヒールの着用義務をなくし、履く履かないを選べるようにしようというものだ。」
「独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)の副主任研究員・内藤忍さんと対談。内藤さんは、女性にだけパンプスやヒールの着用を義務付けることは、『性別に基づく差別だと思う』と指摘する。」
「イベントに登壇した小川さんも『女性だけヒールを履かされる。女性差別の問題であることは明確だと思う』。」
「石川さんは『性差別ではないという人がいるが、これは労働問題であり、健康問題であり、性差別の問題。皆なぜか一つにしたがるが、いろんな側面がある問題だと思う』と強調した。」
などと書かれています。
職場のパンプス・ハイヒールの強制問題に関しては、以前、ブログ記事にまとめたことがあります。
https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/06/03/181429
あくまでも個人的な見解ではありますが、リンク先の記事で書いたとおり、ハイヒールやパンプスの着用を義務付けること、少なくとも、人事考課上不利益に取り扱うことには違法性が認められる可能性が高いのではないかと思います。
ただ、これが性別に基づく差別の問題かというと、本当にそうだろうか? という気はしています。
2.問題の本質は、差別か、それとも、個人的自由の侵害か
ある問題が差別かどうかを考えるにあたっては、簡単な思考実験をしてみると良いと思います。
どちらか片方に合わせて、問題の根本的な解決に繋がるかどうかです。
記事の問題についていうと、男性にもパンプス・ハイヒールの着用を義務付けるルールが作られたとします。
そうすれば、女性のみにパンプス・ハイヒールの着用が義務付けられている状態は解消され、性別に基づく差別だという切り口からの議論は成立しなくなります。
しかし、そうやって区別をなくしたところで、誰が救われるかといえば、誰も救われないと思います。
区別をなくしたところで問題が解決しないのであれば、それは区別そのものではなく、それ以外の何らかの権利・自由を侵害しているところに問題の本質があるからだと推測されます。
パンプス・ヒールの着用義務の問題に関して言えば、
「労働者個人が自己の外観をいかに表現するかという労働者の個人的自由」(神戸地判平22.3.26労働判例1006-49 郵便事業(身だしなみ基準)事件)
が侵害されているところに問題の本質があるのだろうと思います。
3.なぜ、このようなことを書くのか
この問題に関しては、人それぞれ色々な切り口があっていいと思いますし、一つの問題にしたいと思っているわけでもありません。法律構成を離れ、感じ方の問題として差別と受け止める方がいても、それが不自然であるとも思いません。
それでは、なぜ、このようなことを書くのかというと、誰かが訴訟を提起する時に、差別・平等権侵害の問題としてのみ法律構成するのは危ないと思われるからです。
先に述べたある問題が差別かどうかを確認する方法は、大学の講義で聞いたことが印象に残っていて、それ以来個人的に実践している思考手順です。どこかに出典があるわけではありませんが、法律系の大学教授が言っていたことなので、あながち独自の見解というわけでもないだろうと思います。
裁判所は当事者が判断してくれと言うこと以外のことは判断しません。裁判は仕組みとしてそうなっています。そのため、差別・平等権侵害のみで当事者が法律構成し、それについての判断を求めれば、裁判所は差別・平等権侵害を構成するかだけを判断します。裁判官が「差別ではないけれど、業務上の必要性に疑義があるし、個人的自由の侵害との関係で行き過ぎなのではないか。」と思っていたとしても、差別・平等権侵害としてのみ構成されていれば、基本的には請求は棄却されてしまいます(その前に、法律構成を追加することは検討しないのかという注意喚起くらいはあるかも知れませんが)。
それほど経済的な利益に繋がる事件でないとは思いますが、パンプス・ハイヒールの着用の強制に違和感を持つ方は相当数おられるようですし、その中で訴訟を提起したいという考えを持つ方がいても不思議ではないと思います。
差別・平等権侵害の問題として勝ち切ることに意味があると考えるのであれば構わないと思いますが、そうではなく着用義務が何とかなりさえすればよいという場合、本件の問題の本質を差別・平等権侵害以外にあると捉える法律家は一定数いると思われるため、法的措置を弁護士に依頼するにあたっては、「差別・平等権侵害の問題としてのみ構成してほしい」といった依頼の仕方はしない方がよいだろうと思います。